CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

表現するために心の柔軟体操をしないと・・・です。

2015-02-22 10:20:15 | 表現にからむ様々なこと
『イレーヌの店』この歌は、とても難しい。。。
セリフ部分は、正直な心情を語っているのだろうな。。。
だから、ともすると『それらしく』語ることで、済んでしまう。
コトバに頼ってしまう、あぐらをかいてしまう。

『でも 寂しいの』というとき、
寂しそうに表現することが表現ではない。
キチンと寂しくなることが、大事。
寂しそうに・・・には、嘘がある。
キチンと寂しくなるから、『でも』という言葉が出る。
キチンと寂しくなっていないのに『でも』とは言えない。
芝居の場合、『でも』を発するまでの間合いは自分でつっくれる。
台詞忘れたのかしらと思われるほどの間合いは許されないが、
そこに真実があれば、間を埋められる。
しかしだ、歌はそうはいかない。
先に行ってしまう・・・曲は進んで行くから(^^;;

「音楽は時間の芸術」と誰かが言っていたが、
いやはや本当に・・・しんどいのぉ・・・

芝居の稽古の時、
相手を叩くシーンがあるとする。
ただ、平手で頬を叩いたりしようものなら、
演出家は、黙っちゃいない。
芝居を止めて、私のところに駆け寄り、
駄目出しが始まる・・・
邦子さぁ、勘弁してよ・・・と。
嘘は、見抜かれて、容赦なく指摘される。
「まず、ムカッ!がなくちゃ、ダメだよ!」と。
私が演出していても、許さないだろうなぁ・・・
ムカっとするまで叩くな!と言って、
そこから我慢大会・・・役者が心を動かすまで待つ。
芝居は、稽古で『心を動かす』訓練が繰り返される。
柔軟体操と同じだ、心を柔らかくする。

人間、日常生活の中で、無意識に動いているようだけれど
そこには、無意識の意識がある。
五感で感じながら、反応している。

ましてや、言葉を発するというのは、
さらなる感情や意識が働いているのだから、
それはそれは、大変なことです。

それらを、自分の身体で作り、感じる。

いやはや、並大抵のことではない。

ひとつの歌に向き合うときに、
お客様の前にさらすまで、試行錯誤は続きます。

『イレーヌの店』難しくて、深い歌だなぁ。。。

『イレーヌの店』だけではない、
どんな歌も「歌えた!」「歌いきれた!」と思うことはない。
だから、楽しいし、飽きない、飽くことなく向き合い続ける。

歌と対峙するときの私の切り込み方は、ここから。
切り込み方は、ひとそれぞれ、違うんだろうなぁ。

今日もレッスンの録音聴きながら、
なんと、嘘だらけなんだろうと、呆れ果て1日が始まりました。
表現するために心の柔軟体操をしないと・・・です(^_-)-☆

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