死生観というとなんか大袈裟な気がする。
ただ、子どものころから、
命は終わりがあることを感じていたし、
それは、どんな形にせよ、
受け入れなければならないもの・・・だと思っていた。
母の背中を見て育ったからなのかもしれない。
母は、メンタルを患っていたので、
子どもを育てることは、無理だと云われていたらしい。
最近マスコミで取りざたされている話題に近いのかなぁ・・・
よくわからないけど・・・
私には、兄がいて、子どもは一人が限界・・・という事だったのか、
私が生まれるまでに三人の子を人工中絶している。
そして、私も中絶されるはずだった命である・・・
まぁ、話題がそれるので、話を戻す。
母は、東邦医大の精神科にお世話になっていた、らしい。
で、わたしの出産も東邦医大で・・・いろいろあったが無事生まれ、
東邦医大の邦の字を頂いて、邦子である。
当時、いろいろあったのだろうけれど、
母は、東邦医大の白菊会のお仕事少し手伝っていたのではないだろうか?
たぶん、幡井先生が、いろんな意味で、精神的な支えであったのだろうと思う。
もう一人、当時お世話になった女性のドクターがいて、
わが長女の産着もいただいた記憶があるが、お名前が思い出せない・・・情けない・・・
そんなこんなで子どものころから、『死』について、『生』について、考える機会があった。
たしか、無理を言って中学生の時に白菊会の準会員証なるものを頂いた気がする。
白菊会に入会するには、年齢制限があるため、中学生は入会できない。
かなり駄々をこねたんだろうなぁ・・・
その後、私は、結婚したり離婚したり引っ越したり・・・で、
白菊会に手続きもせず、行方不明状態だったわけで・・・。
父が亡くなった時に、お世話なって以来、とんとご無沙汰していた。
父も白菊会の会員だったので、病院まで遺体を引き取りに来ていただいて・・・
母と兄と私は手持無沙汰で、ボーリングをした記憶がある。
ボーリングをしながら、どうしよっかね・・・と兄と話した。
母の気持ちの区切りのために、
告別式だけはしといたほうがいいかもねという話になり、
お寺さんいお願いして、告別式だけ執り行った。
住職が、ご遺体のない告別式は初めてです・・・と言っていたっけ。
もちろん、通夜、葬儀、告別式を執り行った後の遺体引き渡しも可能ですので念のため。
で、あれ以来ご無沙汰・・・だった白菊会ではあるが、
少し前に、母がケガをして施設から入院・・・という段になった時、
兄から連絡があった・・・「白菊会のこと、確認しておいて」と。
母も度々転居したりしたので、もうすっかり白菊会とはご無沙汰だった模様で・・・
兄は『白菊会』に入会していないため、私に連絡が来た。
事務局に電話すると母の名前を聞いて、担当の方が、
「あぁ、山田さん!どうしていらっしゃるかと、思っていました!!」とのこと。
なんとうれしや、母の事、覚えていてくださった。
で、とんとご無沙汰の私とともに、すっかりご無沙汰だった母の会員証も再発行するに至った。
昔、母は『安楽死協会』にもかかわっていて・・・
現在は『尊厳死協会:』となって会の活動は続いている。
母に意思確認をすることは、もうかなわない・・・だから尊厳死協会への入会は無理だ。
兄は、延命治療をしてほしいとの考え方なので、私とは少し違う。
延命治療をしないこと、は、決してその人を死に追いやる行為ではなく、
尊厳を大切に考えた時の選択肢なのだと思うのだが、
やはり、医学が進めば進むほど、一縷の望み・・・を求めてしまう。
尊厳死と安楽死の違いをはっきりしないといけないわけで、
尊厳死協会は安楽死を認めていない。
私自身は、安楽死できたらいいなと思うが、
それに医師がかかわることは、酷だよな・・・とも思うから、
やっぱり、尊厳死が、倫理上の限度なのかもしれないと考えている。
あ・・・また話が逸れた。
白菊会は解剖学の実習で遺体が使われるので、臓器移植の登録はできない。
別役実の『受付』では、両方の登録をすすめていたっけ・・・あれ、現実には無理です。
話はあちこち飛んでいるが、つまり私は白菊会の会員、だと云う事です(^^ゞ
コロナ禍で、解剖実習も大変なんだろうな・・・と思いつつ、
白菊会の事務局とつながれたこと、うれしく思った。
誰かが死ぬときのこと、ではなく、自分が死ぬときのこと、リアルに考えるって大事だと思う。
白菊会に入会すると、それが生きる気力になって、みなさん長生きされると聞いたとこがある。
『死』リアルに考えて、行動することは、どんな時にあっても大切な事なのかもしれない。
もちろん、マイナスにうつむくのでなく、フツウの事として『死』を意識出来た時、
人は、とても楽になれると思うんだなぁ・・・私。
子どもの時、自分が中絶されるはずだったと知った時、ショックではあったが、
あぁ・・・命って奇跡であり偶然であり必然で、それは、死もまたしかり・・・
なんて考えたわけなのです。
とにかく、
『白菊会』とつながれて、よかったよかったと思う私なのでした。
そして『白菊会』のこと知ってほしいなと思うのでした。
医学を心ざし、医者を目指す若者たちが、
命と向き合う最初の一歩である解剖実習は、
とても大切な、時間だと、私は思っています(^^)
ただ、子どものころから、
命は終わりがあることを感じていたし、
それは、どんな形にせよ、
受け入れなければならないもの・・・だと思っていた。
母の背中を見て育ったからなのかもしれない。
母は、メンタルを患っていたので、
子どもを育てることは、無理だと云われていたらしい。
最近マスコミで取りざたされている話題に近いのかなぁ・・・
よくわからないけど・・・
私には、兄がいて、子どもは一人が限界・・・という事だったのか、
私が生まれるまでに三人の子を人工中絶している。
そして、私も中絶されるはずだった命である・・・
まぁ、話題がそれるので、話を戻す。
母は、東邦医大の精神科にお世話になっていた、らしい。
で、わたしの出産も東邦医大で・・・いろいろあったが無事生まれ、
東邦医大の邦の字を頂いて、邦子である。
当時、いろいろあったのだろうけれど、
母は、東邦医大の白菊会のお仕事少し手伝っていたのではないだろうか?
たぶん、幡井先生が、いろんな意味で、精神的な支えであったのだろうと思う。
もう一人、当時お世話になった女性のドクターがいて、
わが長女の産着もいただいた記憶があるが、お名前が思い出せない・・・情けない・・・
そんなこんなで子どものころから、『死』について、『生』について、考える機会があった。
たしか、無理を言って中学生の時に白菊会の準会員証なるものを頂いた気がする。
白菊会に入会するには、年齢制限があるため、中学生は入会できない。
かなり駄々をこねたんだろうなぁ・・・
その後、私は、結婚したり離婚したり引っ越したり・・・で、
白菊会に手続きもせず、行方不明状態だったわけで・・・。
父が亡くなった時に、お世話なって以来、とんとご無沙汰していた。
父も白菊会の会員だったので、病院まで遺体を引き取りに来ていただいて・・・
母と兄と私は手持無沙汰で、ボーリングをした記憶がある。
ボーリングをしながら、どうしよっかね・・・と兄と話した。
母の気持ちの区切りのために、
告別式だけはしといたほうがいいかもねという話になり、
お寺さんいお願いして、告別式だけ執り行った。
住職が、ご遺体のない告別式は初めてです・・・と言っていたっけ。
もちろん、通夜、葬儀、告別式を執り行った後の遺体引き渡しも可能ですので念のため。
で、あれ以来ご無沙汰・・・だった白菊会ではあるが、
少し前に、母がケガをして施設から入院・・・という段になった時、
兄から連絡があった・・・「白菊会のこと、確認しておいて」と。
母も度々転居したりしたので、もうすっかり白菊会とはご無沙汰だった模様で・・・
兄は『白菊会』に入会していないため、私に連絡が来た。
事務局に電話すると母の名前を聞いて、担当の方が、
「あぁ、山田さん!どうしていらっしゃるかと、思っていました!!」とのこと。
なんとうれしや、母の事、覚えていてくださった。
で、とんとご無沙汰の私とともに、すっかりご無沙汰だった母の会員証も再発行するに至った。
昔、母は『安楽死協会』にもかかわっていて・・・
現在は『尊厳死協会:』となって会の活動は続いている。
母に意思確認をすることは、もうかなわない・・・だから尊厳死協会への入会は無理だ。
兄は、延命治療をしてほしいとの考え方なので、私とは少し違う。
延命治療をしないこと、は、決してその人を死に追いやる行為ではなく、
尊厳を大切に考えた時の選択肢なのだと思うのだが、
やはり、医学が進めば進むほど、一縷の望み・・・を求めてしまう。
尊厳死と安楽死の違いをはっきりしないといけないわけで、
尊厳死協会は安楽死を認めていない。
私自身は、安楽死できたらいいなと思うが、
それに医師がかかわることは、酷だよな・・・とも思うから、
やっぱり、尊厳死が、倫理上の限度なのかもしれないと考えている。
あ・・・また話が逸れた。
白菊会は解剖学の実習で遺体が使われるので、臓器移植の登録はできない。
別役実の『受付』では、両方の登録をすすめていたっけ・・・あれ、現実には無理です。
話はあちこち飛んでいるが、つまり私は白菊会の会員、だと云う事です(^^ゞ
コロナ禍で、解剖実習も大変なんだろうな・・・と思いつつ、
白菊会の事務局とつながれたこと、うれしく思った。
誰かが死ぬときのこと、ではなく、自分が死ぬときのこと、リアルに考えるって大事だと思う。
白菊会に入会すると、それが生きる気力になって、みなさん長生きされると聞いたとこがある。
『死』リアルに考えて、行動することは、どんな時にあっても大切な事なのかもしれない。
もちろん、マイナスにうつむくのでなく、フツウの事として『死』を意識出来た時、
人は、とても楽になれると思うんだなぁ・・・私。
子どもの時、自分が中絶されるはずだったと知った時、ショックではあったが、
あぁ・・・命って奇跡であり偶然であり必然で、それは、死もまたしかり・・・
なんて考えたわけなのです。
とにかく、
『白菊会』とつながれて、よかったよかったと思う私なのでした。
そして『白菊会』のこと知ってほしいなと思うのでした。
医学を心ざし、医者を目指す若者たちが、
命と向き合う最初の一歩である解剖実習は、
とても大切な、時間だと、私は思っています(^^)