久しぶりに自分のブログを開いてみると、最後の記事は、昨年の上演記録・・・
まだ、1年経っていない。
この間、いろんなことがあったようで、何もなかったようでもある。
気持ちは、どちらかというと、ふさぎ気味で、良い方ではない。
ただ、一つだけ『良い』と感じることがあるとしたら、『断捨離』が動き始めたことである。
これまでも、何度も、何度も、片づけなくては・・・と思うが、それができない。
模様替えをして、なんとなく納得する日々。
模様替えのたびに、大切なものなのか不用品なのかがわからないものが、移動する。
数えきれないほど、無意味な移動を繰り返してきた。
いつか使うかもしれない。
表現する場で必要になるかもしれない。
そんなことを考えながら、捨てられずにいるモノ、モノ、モノ・・・
ある日、模様替えをしながら、気がついた・・・
模様替えができる体力は、なくなりつつある・・・
モノを捨てるには、体力と気力がいる・・・それがあるうちに何とかしないといけない。
いつ使われるかもわからないまま、忘れられたモノたちにあふれている部屋。
どこにあるかも、あることさえも忘れられたモノたちが潜んでいる部屋。
見てしまうとなんらかの感情がよみがえり、捨てられなくなるモノたち。
あぁ、そのモノたちがとてつもなく重たくて身動き取れなくなる・・・
だから、忘れ去っている・・・
見てみないふりをして、気分が重たくなることを避けている。
コロナ禍になって、人間、いつ死ぬかわからないんだなぁって思って、
存在することの価値や意味って、あるのかなぁ・・・と考えて、
死ぬ瞬間までをどんなふうに暮らすのだろう・・・と考えて、
だんだん欲がなくなって、
それは、いい意味で、だと思うのだが、欲がなくなって・・・
処分できるものは、今のうちに処分しようと思った次第。
体力と時間のあるうちに・・・
幸か不幸かコロナ禍で時間がある・・・
処分するものを、買い取ってくれるかもしれない所に持ち込んでみる。
半分くらい買い取ってもらったが、半分は、引き取れない・・・ただでもいらない・・・
そうだよね・・・処分するのにお金がかかる時代だものね・・・
で、分別して、時間をかけて、ごみにして、お金をかけて、処分した。
大きな椅子は、幼馴染に買い取ってもらった。
床が見えるようになり、机も片付いた・・・
空気がきれいないんった・・・
心が安らぐようになった・・・
次の表現について少しだけ、頭が回り始めた・・・
体力があるうちに、気力があるうちに、できること、ひとつづつこなしていこう。
まずは、体力と気力がなくなった時にもシンプルに『生きる』事の出来る環境づくりをして・・・
つまりは、断捨離をして次に進むとしましょう。
まだまだ、モノにあふれている・・・
わりと、家族みんな、捨てない質(たち)だ・・・
出来るところから、すっきりして、いかなくっちゃ・・・
家族の共有スペースの断捨離は、まだまだできそうにないから、自分の周りだけでも・・・ね。
私は、
60代になったら、断捨離は、できにくくなる。
70代になったら、断捨離は、さらにできにくくなる・・・と思っている。
そのころになると、気持ちを『断捨離』へと持っていくためのハードルが高くなると思っている。
60になるまであと一年半・・・断捨離を根気よく、潔く・・・すすめていこうと思う。
久しぶりのブログは・・・コロナ禍のおかげで、やっと動き出した断捨離の報告でした(^^)
まだ、1年経っていない。
この間、いろんなことがあったようで、何もなかったようでもある。
気持ちは、どちらかというと、ふさぎ気味で、良い方ではない。
ただ、一つだけ『良い』と感じることがあるとしたら、『断捨離』が動き始めたことである。
これまでも、何度も、何度も、片づけなくては・・・と思うが、それができない。
模様替えをして、なんとなく納得する日々。
模様替えのたびに、大切なものなのか不用品なのかがわからないものが、移動する。
数えきれないほど、無意味な移動を繰り返してきた。
いつか使うかもしれない。
表現する場で必要になるかもしれない。
そんなことを考えながら、捨てられずにいるモノ、モノ、モノ・・・
ある日、模様替えをしながら、気がついた・・・
模様替えができる体力は、なくなりつつある・・・
モノを捨てるには、体力と気力がいる・・・それがあるうちに何とかしないといけない。
いつ使われるかもわからないまま、忘れられたモノたちにあふれている部屋。
どこにあるかも、あることさえも忘れられたモノたちが潜んでいる部屋。
見てしまうとなんらかの感情がよみがえり、捨てられなくなるモノたち。
あぁ、そのモノたちがとてつもなく重たくて身動き取れなくなる・・・
だから、忘れ去っている・・・
見てみないふりをして、気分が重たくなることを避けている。
コロナ禍になって、人間、いつ死ぬかわからないんだなぁって思って、
存在することの価値や意味って、あるのかなぁ・・・と考えて、
死ぬ瞬間までをどんなふうに暮らすのだろう・・・と考えて、
だんだん欲がなくなって、
それは、いい意味で、だと思うのだが、欲がなくなって・・・
処分できるものは、今のうちに処分しようと思った次第。
体力と時間のあるうちに・・・
幸か不幸かコロナ禍で時間がある・・・
処分するものを、買い取ってくれるかもしれない所に持ち込んでみる。
半分くらい買い取ってもらったが、半分は、引き取れない・・・ただでもいらない・・・
そうだよね・・・処分するのにお金がかかる時代だものね・・・
で、分別して、時間をかけて、ごみにして、お金をかけて、処分した。
大きな椅子は、幼馴染に買い取ってもらった。
床が見えるようになり、机も片付いた・・・
空気がきれいないんった・・・
心が安らぐようになった・・・
次の表現について少しだけ、頭が回り始めた・・・
体力があるうちに、気力があるうちに、できること、ひとつづつこなしていこう。
まずは、体力と気力がなくなった時にもシンプルに『生きる』事の出来る環境づくりをして・・・
つまりは、断捨離をして次に進むとしましょう。
まだまだ、モノにあふれている・・・
わりと、家族みんな、捨てない質(たち)だ・・・
出来るところから、すっきりして、いかなくっちゃ・・・
家族の共有スペースの断捨離は、まだまだできそうにないから、自分の周りだけでも・・・ね。
私は、
60代になったら、断捨離は、できにくくなる。
70代になったら、断捨離は、さらにできにくくなる・・・と思っている。
そのころになると、気持ちを『断捨離』へと持っていくためのハードルが高くなると思っている。
60になるまであと一年半・・・断捨離を根気よく、潔く・・・すすめていこうと思う。
久しぶりのブログは・・・コロナ禍のおかげで、やっと動き出した断捨離の報告でした(^^)