昨日の朝、私は大きな不快感に包まれ、吐き気が生じた。
罪は罪である。
社会を震撼させた出来事であった。
被害者の苦しみは現存している。
しかし、死刑とは、人が人を殺す行為である。
そこには司法の判断がある。
が、つまりは、人が人を裁き、殺すのである。
リアルタイムでその状況を報道される。
合法的な『殺人』をリアルタイムで報道し続ける。
私の身体は、拒否反応を示し始め、
私は、テレビをシャットダウンした。
しばらく、息苦しかった。
正義とは、なんぞや!
被害に遭われた方達が持つ、気持ち・感情を
あたかも共有したかのように、
昨日の出来事を語ることなど、私にはできない。
『殺されて当然』な命など、どこにもない。
日本という国は、とても怖い国だと、改めて思った。
どこかの報道番組が、
『平成の事件は平成のうち決着したかったという検察の思い』などと報じていた。
それが事実であれば、とんでもないことである。
その判断基準になんの正義もないではないか!
自分自身の『正義』を常に疑うくらいでなければ、どこへ暴走するかわからない。
それは、ある意味、オウム真理教を生み出した心理と紙一重と行っても過言ではない。
と、思うのは、私だけなのだろうか。
昨日、2018年7月6日。
日本という法治国家で、大変なことが起きてしまった。
私には、そう思えてならないのだ。
罪は罪である。
社会を震撼させた出来事であった。
被害者の苦しみは現存している。
しかし、死刑とは、人が人を殺す行為である。
そこには司法の判断がある。
が、つまりは、人が人を裁き、殺すのである。
リアルタイムでその状況を報道される。
合法的な『殺人』をリアルタイムで報道し続ける。
私の身体は、拒否反応を示し始め、
私は、テレビをシャットダウンした。
しばらく、息苦しかった。
正義とは、なんぞや!
被害に遭われた方達が持つ、気持ち・感情を
あたかも共有したかのように、
昨日の出来事を語ることなど、私にはできない。
『殺されて当然』な命など、どこにもない。
日本という国は、とても怖い国だと、改めて思った。
どこかの報道番組が、
『平成の事件は平成のうち決着したかったという検察の思い』などと報じていた。
それが事実であれば、とんでもないことである。
その判断基準になんの正義もないではないか!
自分自身の『正義』を常に疑うくらいでなければ、どこへ暴走するかわからない。
それは、ある意味、オウム真理教を生み出した心理と紙一重と行っても過言ではない。
と、思うのは、私だけなのだろうか。
昨日、2018年7月6日。
日本という法治国家で、大変なことが起きてしまった。
私には、そう思えてならないのだ。