本田勝一 朝日文庫
小泉悠氏(軍事アナリスト)のツイッターに春から新聞記者になるという若者が投稿をした。小泉氏は投稿文章の散らかり具合を指摘し、本田勝一の「日本語の作文技術」を読んで勉強せよ、とコメントした。
というのがこの本を読み始めたきっかけだ。
本田氏は昭和後半に活躍された新聞記者、編集者の方で、この本もその頃書かれた初版本が底本になっている。引用された例文が(新聞記事など)やや古く、時代を感じさせる部分が多い。同時にこの半世紀の間にも日本語は少しずつ変化しているのだな、という感想も生まれる。
とはいえ、本書の主題となる日本語の構造、句読点についての論考は普遍的なものだ。くわしくは本書を読んでもらうほうが良いが、読んでる割にはこのブログの文章はなっちょらん、という指摘は甘んじて受けないといかんな。
本の感想からは少々外れるが(←・・が、という言い方についての論考があるので本書を参照せよ)、いわゆる翻訳文学調の日本語について。
前にどこかで書いた気がするが、影響を受けた文章家が何人かいる。若い頃、というより少年の頃はちょっと中二病的なてらいもあって、英文直訳的な文章を書く人を格好よく思った。片岡義男さんなんかは、角川書店と集英社あたりにすっかり消費されてしまった感じがあるけど、白状すると今でもあの文体は結構好きだ。
文学少年ではなかったので、ほかに浮かぶ文章家というと趣味関係の方が多い。自動車評論家(編集者)の小林彰太郎さん、鉄道模型の山崎喜陽さんはどちらも非常に英語が堪能で、そのせいか日本語の背後に英語構文が透けて見えるような書かれ方をしていた。もっとも、小林氏の文章の一部を引用して例示しようと探してみたが、センテンス単位で見るときれいな日本語で、普通に読めてしまう。山崎氏の文章は小学生の頃から読んでいるので、たぶん身体にしみついていて違和感を感じられなくなっている。
英単語をカタカナ表記するとき、ちょっと凝った言い方をするのは昔はやりましたね。。タイヤがタイアだったり、ドライヴィング・グラブズとか云々。カメラのコラムを書いていらした中山蛙さんはすごい独特でしたね。ホウムペイジとか言ったり。
さいきんはそういう論点自体がないですね。15年ぐらい前にピーター・バラカンさんが本を出してたけど、日本語?で定着したものは原音がどうあろうと直せない、ということなのでしょう。ニュースはニューズじゃないし、ナトー軍はネイトーといっても通じないし。
文体といえば、ひじょうに印象的だったのはオーディオ評論家の長岡強鉄男さんです。コント作家としても活躍されていたそうですが、文章が短く的確です。力強くてリズム感がある。
俵孝太郎さん(政治評論家)は逆にセンテンスが長く、複雑な構文を書くことが多いようです。うさぎは長岡氏の文章に憧れる一方、俵さん風に長い構文で書くのが好きだったりします。英文だとついセンテンスが長くなっちゃいますね。。
村上春樹さんの本はよく読みますが、文体に影響を受けるということはないです・。井伏鱒二はとても好きで、やはりどこかしら影響は受けているとは思います。最近は井伏さんの本、手に入りにくいんですよね。。
20/5/'23訂正:長岡氏の名前が間違っていました。長岡鉄男さんでした。