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中国は、いま

2014年03月29日 | 社会・経済
中国は、いま (岩波新書) 中国は、いま (岩波新書)
価格:¥ 861(税込)
発売日:2011-03-19

国分良成編 岩波新書 2011年3月。執筆陣は豪華で、清水美和氏、浅野亮氏、田中均氏、コラムでは緒方貞子氏、小林陽太郎氏、エズラ・ヴォーゲル氏、ジョセフ・ナイ教授ほか。

国分氏個人の体験として、本書冒頭でふれられているが、日本人の対中感情というか、対中観の推移は、世代によって異なっているようだ。

僕にとって中国はパンダから始まっている。文革のことは全く知らなかった。テレビで中国残留孤児の紹介がされていたり、年配世代の人たちがツアーで中国旅行(視察旅行といっていいような感じ)に行ったりするくらいで、(同時代の中国には)ほとんど関心がなかったといってよい。

すぐ隣の国なのに、考えてみれば異様なことなのだが。

いくらか注意をひかれたのは’89年の天安門事件で、その頃は漠然と自由主義社会になった将来の中国を、想像したりしていた。中国製衣料品を店で見かけるようになったのは’90年代に入ってからだ。

’80年には、国民の8割の人が中国に「親しみを感じて」いたのだそうだが、2010年には全く逆転して、「親しみを感じない」人が8割、日中関係が良好でないと感じている人は9割に達しているという。

国分氏はこのどちらも極端に思えてならないとし、これを正すのは政治の責任であり、我々の責任(国分氏のような中国研究者を示すのか、日中双方の国民を示すのか?)である、と説く。

そして、このまま中国を「異質」なものとして排除しようとするのではなく、「個性」として認知し継続的な交流、対話が必要と述べ、それには中国の現状を知ることから始めよう、として各界の識者の方々の見解を紹介している。

内容は岩波新書らしくアカデミックなもので、僕が本書を選んだのもそれゆえである。中国、韓国に関する本も、書店では非常に扇情的で感情的なものが多くなった。これには出版界の事情も関係しているらしい。毎日新聞では、嫌中、嫌韓ものを見出しにあげると、その雑誌の売れ行きが全然違ってくるので、やめられなくなる、という業界事情を暴露していた。今日、マスコミというのは本当に罪深い存在になりつつあるな・。いや、昔からそうなのか。

 具体的な内容には触れないが、中国という国家が、アヘン戦争後の「屈辱の百年」を克服しようと改革を進め、さまざまな変遷を経て、今日の表面的華美に過度に執着するような体制に至った(高橋伸夫「歴史を背負った自画像」)など、興味深く読んだ。

アメリカなんかもそうだが、国家とその国民は必ずしも見解を一にしているわけではない。ただ、自国の繁栄や、世界に誇れる何かを持つことは、素直にうれしいようだ(以前一緒に働いていた中国の人も、就航した「遼寧」の写真を、ウェブニュースでよく見ていた・・)。

行き過ぎたり、他の人を傷つけたりしなければそれも良いことだろう。
ただ、国家あっての国民という考え方はもはや通用しないし、どこの市民が不幸であっても、結局世界の市民全体にとって負担となったり、安定を損なう原因となったりする。大きな国家ほど、それを賢明に導いていくのは困難を伴うだろうが、大国を任ずるならその責務を負うべきだろう。それができないなら、地域を分けて、各自の自治に任せる選択肢もとれるはずだ。

いずれにしても僕たちはこれからも、中国の存在感を意識し続けていくことになるだろうし、彼らと触れ合う機会も減ることはあるまい。突出する軍事費など、いろいろ気になることもあるが(一番やめてほしいことだ)、予断を持たず、動静を見守っていきたい。

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