運転しながら何を考えるか。
最近は電車に乗っているとすぐにスマホをいじったりして、つい車内にいるという意識が薄らぐ。
最近ようやくというか、かなり混雑する電車も増えてきたが、以前のほうが車窓越しに流れる景色を眺めることが多かった。
立錐の余地もないからスマホが出せないのだ。
今思いついたけど、だから中づりの広告とか減ったのかな。
車を運転するときはそうはいかない。運転中にスマホ操作したら違法だ。
できることは音楽を聴くことぐらい。
もちろん前後左右の交通状況を注視しなければならないし、かなり気を使う交通状況のときもあるが、それでも沿道の街路樹や道端の花、商店の看板、道路標識、水たまり、雲、いろんなものが目に飛び込んでくる。
前にも書いたかもしれないけど、古い音楽が好きなのね。
人といるときは聞かない。
車のなかでひっそり聞くのが好き。
一人で運転してるとき、ふる~い音楽聴きながら走ると、ときどき風景と音楽、車の振動や速度感、風、におい、湿り気、いろんなものが混ざり合ってくる。
自分の人生もその中に溶け込んでいるけど、ふるい音楽って、その媒体というか、触媒になる。
自分の人生だけじゃない。いろんな人の、知っている人や知らない人や、自分よりずっと年上の人や、若い人や、いろんな人生が溶け込んでくる。
高架の道路がいくつも並ぶマンションをすり抜けていくとき、あの灯りの一つ一つに誰かの住まいがあって、そこに住んでいる人が毎日あのドアを開けて、外に出て誰かに会って、帰ってきて誰かと食事して・とか、考えたりする。
横を走っている青い車にも、そんな人が乗っているのかもしれない。
こういう春の日の、なにかとても、あいまいなくもりぞらの日は、頭の中を、いろいろなものが混ざりあう。