カズオ・イシグロ 早川書房(電子書籍版)
映画は1993年イギリス ジェームズ・アイヴォリー監督 アンソニー・ホプキンズ、エマ・トンプソンほか
昨年のノーベル賞受賞で、すっかり脚光を浴びる形となったカズオ・イシグロ氏の1989年の作品。
映画は小説の勘所を巧みにフォローしているが、一部の設定をアレンジしてある。映像はとても美しく、古き良き時代のイギリスが好きな人ならきっと気に入ると思う。
ダウントニアンたる僕としては、ほぼ同じ世界観の作として、違和感なく入り込むことができた。時代的にはダウントンのほうが少し古く、「日の名残り」とは重なってはいない。ダウントンのほうが制作年代は新しいわけだが、もしかしたら、本作から受けた影響もあるのかもしれない。
小説を先に読んだが、先に「浮世の画家」を読んでいたので、同じ傾向のアプローチなんだろうな、という先入観がどうしても入ってしまう。実際にそういう(「信頼できない語り手」的な)手法ではあるのだが、本作の場合、大人の恋愛小説としての面もあって、それが作品に色艶を与えている感じがする。映画では「信頼できない語り手」的要素をかなり抜いているが、それでも作品の本質は伝わっているように思える。つまり、それは小説の表現手法の一つだが、作品の本質は別のところにある、ということだろう。
ミス・ケントンがスティーブンスの読んでいる本に興味を持って、スティーブンスから本を取り上げようとするシーンは本作の白眉である。
ダウントンでもカーソンさん、ヒューズさん、パットモアさん、イザベルみんな恋をしているし、果てはヴァイオレット様も、かつての恋人との逢瀬が語られたりしているが(あと、わすれちゃいけないストラララランさん)、大人の恋愛というジャンルには独特の良さがある。そう思うのは、自分が大人だからという面は確かにあると思うが、やはり若い人よりはるかに繊細でセンシブルなやり取りに、魅力を感じるからだろう。
本作のスティーブンスさんは、「信頼できない語り手」ぶりをいかんなく発揮して(映画でもこの面は小説と同じだ)、はっきりと本心を明かそうとはしない。いま、ふと思ってしまったのだが、スティーブンスさんは「寅さん」なのかもしれない。イシグロ氏は小津安二郎の作品等に心酔していたらしいが、寅さんシリーズはどうなのかしら。。