山手線に乗っていたら、あるCMに目がとまった。素朴な、クロッキーのような感じの絵を使ったアニメーションで、男の目からどんどん涙があふれてくる。最後に誰かに肩を抱かれているシーンで締めくくられる。これは東京都の自殺予防キャンペーンのCMであるらしい。
見ていると不思議と感動してしまうのだが、何に感動しているのか自分でもわからない。たぶん、泣くという行為自体に「生」を感じるからかな、と考える。生きているから泣くのだし、心があるから泣けるのだし、泣いても良い、安心できるところだから泣くのだ。
このCMは自殺予防のCMだが、追い込まれる人というのは、泣くことさえできなくなっている、と言うことなのかもしれない。泣くこともコミュニケーションの一つだ。僕も含めて、人前では涙を見せないことが良いこと、という教育を受けてきた人は多いと思う。司馬遼太郎だったと思うが、戦国時代、人々はもっと表情豊かで、大の大男が大声を上げて泣いていたようなことを、読んだことがある。泣きたいときに泣けないというのも、心としては窮屈なのかも。まあ、そうはいってももはや身についたくせは直せないけど。
泣く姿を見て何かを感じるのは、心の中に「涙」が標準装備されているからなのだろう。