図には上下にそれぞれ三つの顔が並んでいますが、上段は下段の顔を逆さまにしたものです。
一番左の顔の場合は逆さまになっていても、下の顔と同じ顔だということが分りますが、まん中の顔の場合は同じ顔であるとはとても思えないのないのではないでしょうか。
まん中の顔はケネディの写真ですからかなり見慣れたもので、成立していればすぐに分るのですが、逆さまになると誰だかわからなくなります。
なぜ左の顔は逆さまにしても同じように見えて、まん中の場合は同じ顔に見えないのかと聞かれればなんと答えたらよいでしょうか。
サルは逆さまにした顔の写真を見ても、もとの写真と同じだと分るとそうで、これはサルが樹上で生活していて、木から逆さまにぶら下がって見たりする経験が多いためだといわれています。
人間は逆さまになってモノを見る経験が少ないので、逆さまにした写真で顔を見分けることができないということなのですが、それでは左の顔の場合はわかるという理由が説明できなくなります。
左側は絵で、まん中の場合は写真だから違うのだろうというふうにも考えられますが、それではなぜ写真と絵では違うのかということが分りません。
ところで一番右の場合はどうでしょうか。
右の場合は写真ではなく、絵なのですが上の絵と下の絵は同じようには見えないのではないでしょうか。
下の絵を見ないで上の逆さまの顔だけを見た場合に、すぐにこれは誰の似顔絵かわからないでしょう。
ところが下の正立の絵を見れば、すぐにこれは小泉元首相の似顔絵だと分るのですが、逆さまだとわかりにくくなるのです。
つまり写真でなく絵であっても逆さまにすると分りにくい場合があるのです。
それでは同じ絵であっても、左の絵は逆さまにしても分りやすく、右の絵は逆さまにすると分りにくいのでしょうか。
それは左の絵は奥行き感を与えないのに対し、右の絵は奥行き感を与えるからです。
左の絵は正面を向いているのに、右の絵は斜めから見た顔を描いているので立体感があり、奥行きを感じさせます。
写真の場合は陰影によって立体感がありますが、絵の場合でも立体感があれば逆さまにしたとき元の絵と見え方が大きく異なるのです。
立体感のある絵を模写しようとすると難しいのは、平面の上に奥行き感を表現しようとするからです。
奥行き感のない左の絵のような場合は、成立の場合でも逆さまの場合でも見えたとおりに描けばよいので、大きな間違いはしないでしょう。
ところが奥行きが感じられる右のような場合は、紙という平面に模写しようとするとき見えたとおりに描こうとしてうまくいかないのです。
逆さまにすれば正立の場合のようには奥行き感が感じられないので、見えたとおりに線を描きやすくなるのです。
奥行き感を感ずるのは右脳とか左脳とかの問題ではないので、奥行き感を感じない工夫をすれば模写がうまくいきやすくなるのです。
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