60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

後から作られる言葉の意味

2007-09-09 23:06:46 | 言葉とイメージ

 赤ん坊が言葉を覚えはじめるとき、「いぬ」を「わんわん」と教えられると、猫でも狐でも狸でも毛が生えて四足のものはなんでも「わんわん」と呼びます。
 ものを分けて認識する能力がないからですが、そのうち「わんわん」はイヌで、猫は「にゃあにゃあ」とか分けて言う事ができるようになります。
 さらにイヌは「わんわん」でなくイヌと呼べるようになり、さらにイヌにもいろいろ種類があるという知識を得るようになります。

 むかし学校では言葉の意味を概念といって、たとえばイヌという概念はすべてのイヌの特徴から共通のものを取り出してまとめたものだというように教えられました。
 チワワとかブルドッグとかドーベルマンのように、見た目が違ういろんなイヌをまとめてイヌとして、ひとまとめに捉えられるのは、私たちが「イヌ」という概念を持っているからだというのです。

 しかし赤ん坊が言葉を覚えていく過程をみれば、こういう主張は後から考え出したものでさかさまの議論だということが常識的に分ります。
 狆やチワワが土佐イヌやシェパード、ドーベルマンなどと同じくイヌであるというのは教えられて分ることで、自然に分るものではありません。
 見かけでいえば柴犬と狐や狸のほうがよほど同類に見えますから、初めからイヌの概念なるものが個人の中にあって、ブルドッグもドーベルマンも柴犬と同じくイヌで、狐や狸は別の種類だと分るわけではありません。
 イヌについての知識は人によってずいぶん違いますから、イヌのイメージは個人ごとに違っていて、イヌ全体をまとめた概念などというものは、多くの人の知識をまとめたものとして考えられるだけです。
 「イヌ」という言葉が共通だからといって、すべての人が「イヌ」と聞けば同じ意味として受け止めるとは限らないのです。

 子供のうちは「イヌ」といえば一緒くたに「イヌ」と呼んでいますが、知識経験が増えれば分類して覚えるようになるのですが、分類法というのは一つとは限りません。
 「ムク、ブチ」というようなわけ方は、毛の状態から分けたもので、日本のように犬種の少なかったところでは、ヨーロッパのように多くの分類名でなく、簡単な分類で済ましていたのです。
 ヨーロッパで犬種が多いというのは後から開発されたもので、もとからイヌの種類が今のように多かったわけではありません。

 ところで「裏の畑でポチが鳴く」という花さか爺さんのイヌの「ポチ」の語源というのが話題になることがあります。
 お伽噺ではお爺さんの名前も出てこないので、イヌだけが「ポチ」という固有名詞で登場しては不自然ですから、「ポチ」の語源を気にする人は、「ポチ」は固有名詞ではなく「イヌ一般」をさす普通名詞と思ったようです。
 そこでアメリカで「ブチ」のことを「スポッティ」といったのが「ポチ」となったとか、フランス語の「プチ(ちいさい)」からきたなどという説が登場します。

 なぜ「ポチ」という名前にしたのかは童謡の作詞家に聞かなければ分らないのですが、この歌から以後「ポチ」はイヌの別名となって「アメリカのポチ」などという使われ方をするようになっています。
 つまり「ノラ」ではない主人に忠実なイヌという意味で、あたらしい言葉ができているのです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿