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「特殊戦後型日本式経営方式」のように長い単語は慣れない限り一目で意味が読み取れるものではありません。
「特殊な戦後の型の日本式の経営の方式」というような意味ですから、造語するときは、つぎつぎに修飾語句を加えていっただけで単純です。
長い単語なので意味を理解するのが難しそうですが、よく見れば文字の並べ方は中国語式ではなく日本語式です。
日本語式の語順で、そこから助詞を省いた形のものですから、日本語のアタマで理解しやすい形になっています。
このような擬似漢字熟語は、戦後になってから増えたものですが、「尊敬」を「尊び敬う」というように字づら解釈で済ませることができる便利さによって普及したものと思われます。
このようなコトバに慣れてしまうと、元来の中国式の単語、熟語の意味を誤解するような例が出てきます。
たとえば「登竜門」は「黄河の中の急流である竜門を登る」ことですが、「登竜の門」と解釈してしまう人が多いようです。
辞書を引かなければ、竜門が黄河の中流の地名だなどとは分りませんからてっきり「登り竜」の門だと思ってしまいます。
もう少し考えれば天に登る竜はよいとしても、門はどういうことかわからず、しっくりきません。
中国語式の語順なら「登山靴」が山に登る靴ですから、「竜に登る門」か「竜門を登る」ですから、「竜門を登る」の「竜門」の意味を調べるということになるはずです。
「登る竜の門」というふうな読み癖がついて、部分的に理解できないところがあっても何となく分った気になってしまうのです。
「綺羅星」も「綺羅、星の如し」と音声では切って読むのですが、「綺羅星の如し」とあると綺羅が形容詞だと感じて、「キラ星」と思い込んでしまって「綺羅」の意味を辞書で調べなかったりします(ただしワープロで「キラボシ」と入力して漢字変換すると「綺羅星」とでるので間違えやすい)。
「正誤表」を「正と誤の表」と思ってしまうのも、日本語式の語順につい従ってしまうためで、「誤りを正した表」と中国語式の語順で理解しなければならないところです(「正誤文」なら「正しい文と誤りの文」と複数の意味とは思わないので、「誤りを正す文」と解釈するのではないでしょうか」。
「愛犬家」といえば「犬を愛する人」で「愛鳥週間」といえば「鳥を愛する週間」です。
ところが「愛犬」とすると「愛する犬」で、「愛馬」といえば「愛する馬」ですが、「愛馬家」というのはありません。
日本語での漢字の使い方は一貫しているわけではないので、一つ一つの文字を順に目で追えば意味が分かるというわけにはいかないのです。
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