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同音異義なら漢字が必要か

2006-05-22 23:12:29 | 言葉と文字
>  図は、かなの部分を漢字に変える問題です。
>  考えないでさっと答えが浮かんだでしょうか。
>  いわゆる同音異義の問題の一種です。
>  似たような意味なので戸惑ったのではないでしょうか。
>  「梅雨が明ける」、「家を空ける」、「戸を開ける」、「コップの水を空ける」というように書き分けるという問題です。
>  
>  日本語は同音異義の単語が多いので、意味がいくつかある場合は漢字を参照して意味を理解するというようなことが言われています。
>  もしそうであるならば、たいていの人が正しい答えを瞬間的に出せたはずです。
>  「ハテ、どんな字かな」と考えているようであれば漢字を思い浮かべる必要はないのです。
>  たいていの人は該当する漢字がわからなくても文章の意味は分かったのではないでしょうか。
>  「あける」というのは、日本語で漢字に直さなくても意味が分かる言葉なので、漢字で書けといわれても一瞬固まってしまって思い出せなかったり、間違って思い出したりするのです。
>
>  漢字ではいくつかに書き分けることができるといっても、日本語ではひとつの言葉だったのですからわからなかったり、まちがったりするのも止むを得ないのです。
>  「あける」という言葉は、「ふさがっている状態から、ふさがっていない状態にする」というような意味ですが、似たような意味の言葉を新たに作る代わりに同じ言葉で意味の転用をしているのです。
>  つまり比喩的な言葉の使い方をしているので、無理に漢字を当てはめなくても本来はよいのです。
>  日本人であれば「梅雨があけた」といえば「梅雨が終わった」と解釈しますし、「家をあけた」といえば「留守にした」と解釈し、「戸をあける」と聞けば「戸を開く」と解釈します。
>
>  少しでも意味が違えば言葉を変えなくてはいけないということになると、それこそたくさんの言葉が必要ということになってしまうので大変非能率的です。
>  「こ(越)える」という空間での動作的な意味を時間や抽象的な関係にも転用して別の言葉を作らないで済ますのがその例です。
>  Bの「うつす」という場合もそうで「あるところから別のところへ動かす」というような意味が元の意味でそこからの比喩でにおいをうつしたり、形をうつしたりといった場合にも転用したのでしょう。
>  この場合も漢字に書いてみなくても意味が理解できるだけでなく、漢字でどう書くかといわれてもすぐ正しい答えが出なかったりするのです。
>
>  漢字のほうが語彙が豊富なので細かく分けた表現ができる、ということで意味に応じて漢字を割り当てるという考えもありますが、漢字は漢字なりの意味があるので意味のずれはあります。
>  日本語を漢字に直したものついては、同音異義語だからといって強いて漢字に書き直す必要はないとおもいます。

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