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60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

左から見る癖

2006-07-24 23:10:22 | 言葉の記憶

 最初の4文字を1秒ほど見て眼を閉じ、後ろから思い出そうとしてみます。
 たった4文字でしかも間にーが入っているので覚えるのは簡単なはずなのですが、後ろのほうから順に思い出していこうとするとうまくいかなかったりします。
 前のほうから思い出そうとするのであればたいていの人は簡単に思い出せるはずです。
 記憶するとき、読まないで視覚的なイメージとして記憶しているのであれば、後ろのほうから思い出して読み上げることが簡単にできます。
 ところが数字を呼んで記憶すると、読み上げる順序を頭の中で逆にしなければならないので難しくなってしまいます。
 「さんよん ろくはち」と読むと、数字を覚えるのでなく音声として覚えていて、想いだすときに頭の中で「はちろく よんさん」と音声を並べ替えようとしたりすると難しくなってしまいます。
 音声で覚えるとき頭の中で数字を同時にイメージしていければ、思い出すとき、イメージを右から取り出していけばよいのですが、左から読む癖がついているとこれぐらいでも結構難しい課題になります。
 
 二番目は7つの数字なので1秒程度で視覚的に覚えるのはかなり大変です。
 「ごいちろく はちななきゅうに」というように読んで(音読ではなく内言で)音声として覚えることはできます。
 しかし左から二番目の数字と右から4番目の数字を足した答えを求められると、右から4番目の数字をどれかつきとめるのに苦労をしてしまいます。
 もちろん7つの数字を逆順に想いだすというのも、音声化して記憶している場合は並べ替えを頭の中でやるのが難しいのです。

 3行目はアルファベットの4文字ですが、1秒間では数字の場合より記憶しにくいと思います。
 音声化しようとすると慣れないせいもあって数字の場合より手間取るため、瞬間的に音声化して記憶するのが難しいのです。
 音声化をあきらめて視覚的に記憶すればできるので、視覚イメージとして記憶した後で音声化すればよいのです。
 4行目はアルファベットが7文字なので、音声化して記憶するのは1秒程度では数字の場合よりさらに困難です。
 
 音声化して覚えようとしてしまうのは、文字列が横に並んでいると、左から見て読んでいくという癖がついているためで、音声化しないで見るだけで理解したり記憶することができないためです。
 脳が理解するスピードは見る速度に比べればはるかに遅いのですが、音声化のスピードはそれよりさらに遅くなります。
 音声化をしないで理解することができれば同じところを見続ける時間が少なくなり、眼の負担が減るのですが、左から見るとつい音声化して(心の中で)読んでしまいます。
 そこで文字列を見て視覚的に記憶するときに右側から見て記憶する練習をするのもひとつの方法です。
 


意味の補完

2006-05-09 23:35:10 | 言葉の記憶

 漢字かな混じり文というのは、単に漢字と仮名が混じっている文章というわけではありません。
 図のような文章は平仮名部分をすべて伏せたものですが、大体の意味はとらえることが出来ます。
 これは例がニュース文であるため、漢字の割合が多く、文章の構造が複雑でないためです。
 これが逆に漢字を伏せて、平仮名部分だけを表示した場合であれば、何が書かれているかはまるで分かりません。
 また「税務署、警察■■■■福祉関係■事務所■調査、知能検査■■■■■■個人■■■■■情報■得■、■■個人■対■■対策■■■■■■調査■統計調査■■■■」のような文章構造が複雑な例であれば、何についての文章かはある程度分かっても正確な意味をとらえることはかなり困難です。

 チンパンジーが覚えた「僕 食べる バナナ」という文章のように簡単なものであれば、つなぎの言葉はなくても意味が分かりますし、言葉の並べ方を変えても意味が分かります。
 普通の日本語の漢字かな混じり文では、意味のある部分を主として漢字で表記し、つなぎの部分をカナで表記しているので、おおよその意味は漢字の部分を見るだけで分かるようになっています。
 つながりの部分が伏せられていても、脳が推測によって文章を補完するため意味を理解することが出来るのです。

 補完するといっても文字を一つ一つ追っていってはできません。
 文全体を見渡して、配置されている意味のある単語をまとめるためには、ある程度の視野の広さが必要です。
 視野が広ければ、一度に目にする単語が多くなるので意味のまとまりが推測しやすくなります。
 推測するということは隠されている部分を補完して解釈するということで、経験や知識が根拠となります。

 ふつうの文章を読む場合はカナの部分が伏せられているわけではないので、漢字を中心に見ていっても、カナは目には入っています。
 したがって、肯定か否定かといった重要な部分については判断に組み入れることが出来ます。
 ひらがなは漢字に比べ周辺視でも認識しやすいので、漢字重点で見ていってもポイントで判断要素に入れることが出来ます。
 漢字かな混じり文というのは、意味の主な担い手の部分である漢字よりも、補助的な部分であるカナのほうが認識しやすい形になっていることで、うまい具合に文章がつかみやすくなっているのです。
 文字を一つづつ追うのではなく、ある程度広い範囲をひと目でみて理解するのに向いているので、理解力を高めるためにも視幅を広げる必要があります。


漢字の覚え間違え

2006-04-29 23:52:06 | 言葉の記憶

 図はよく間違えられる言葉としてあげられる例の一部です。
 印籠を渡すというのは、引導と聞き違えておぼえたのでしょうが、印籠のほうがよく耳にしている結果とはいえ、引導も印籠も意味は分からないのだろうと思います。
 かいま聞くというのは、「かいま見る」につられて出来た表現でしょうが、「かいま」が「垣間」であることを知らないためです。
 「かいまみる」という言葉を耳で覚えていれば、「かいま聞く」もよさそうなきがするのです。
 「綺羅星のよう」の綺羅は高価な衣装(をつけた人々)だそうで、形容詞ではないのに星の形容詞と勘違いする例です。
 ルビできらと振られ、星の前に来るのできらきらする星のように思ってしまいます。
 振り仮名がついて読めてしまうと分かった様な気になってしまい、辞書を引かないでしまうからです。 
 「耳ざわり」は「耳障り」の意味ですが、「耳触り」と思い違いです。
 「もろば」は「諸刃」で諸刃の刃というのは重ね語でよくあるうっかりミスです。
 「汚名挽回」の挽回は回復の意味ですが、汚名を雪いで名誉を回復するというつもりで縮めたのかもしれません。
 「的を得る」は「的を射る」が正しいのですが、「射る」が「射た結果当っている」と思わなかったため「得る」としてしまったのでしょう。
 「波紋を投げる」は、波紋は投げられないので「石を投げて波紋を広げる」というつもりかもしれません。
 「大酒を飲む」は「大酒」がすでにたくさん酒を飲む意味なので重ね言葉となるといいます。
 「大酒のみ」は、極端な「酒飲み」、「大うそつき」は極端な「うそつき」ですが「大うそ」つきでもよいので、「大酒」飲みもよいかもしれません。
 「古式ゆかしく」を豊かにというのは変ですが、「ゆかしく」という言葉は理解されなくなっているのでしょう。
 「腹が煮え繰り返る」は「はらわた(腸)」を略してしまっていますが、はらわたというような表現はあまり使わなくなっているので、「はら」で間に合わせてしまっています。
 「怒り心頭に発する」を「達する」としてしまうのは「頭にきてしまう」という実感からくるのでしょうが、心頭の頭を「アタマ」と思ってしまった結果です。

 言葉の間違いには耳で聞いたときに聞き間違えて覚えてしまっているものもあります。
 また、間違って文字で書かれているものを見て、それを覚えてしまったという場合もあります。
 いずれにせよ漢字の意味が分からなかったり、誤解したりしたまま使っている場合がかなりあるということです。
 しゃべっているとき漢字を思い浮かべているとか、聞くほうも漢字を思い浮かべて意味を理解すると言う説がありますが、そういう場合もあるかもしれないという程度でしょう。
 漢字の間違いが多いということは、普通の人は漢字の意味にそれほどこだわってはいないということです。
 とはいえ間違いが多いのは望ましくないので、自分の知識があやふやな言葉は辞書で調べる習慣にしたほうがよいと思います。


漢字の書き間違え

2006-04-28 23:15:58 | 言葉の記憶
耳で聞き覚えた言葉を文字で書き表そうとするとき、漢字が分からなければカナで書けばよいのです。 ところが日本では漢字で書くという圧力が強いため、何とか漢字を当てはめようとしてしまいます。。 分からなければ推測になるので、間違いが起こりやすいのは当然です。 この場合、意味が分かっていればあまりおかしな当てかたはしないのですが、意味が分かっていない場合はとんでもない漢字を当ててしまいます。  正しい書き方を見たことがあっても漢字の意味が分からなければ、間違った漢字を当てても気がつかないということがあります。 図の左側は漢字の意味を知らないために間違った文字を代入しているケースです。 完璧の「璧」は壁(かべ)ではなく玉で、双璧の場合も玉で、壁ではないのですが、壁しか知らないと間違える例です。 津々、眈々、草々なども漢字の意味が分からないので別の字を当てているものです。 溌剌の「溌」は魚の飛び跳ねるさまという意味だそうで、ほかの用例がないので知らないのが当たり前で、発を当ててしまうのも当たり前かもしれません。 殺到の「殺」はこの場合意味を強める語で、殺すという意味はないということですが、殺すという意味があると思っていれば殺到でなく殺倒と書いてしまうのかもしれません。  また、耳で聞いたときに意味を勘違いして、その意味に当たる漢字を当ててそれが正しいと思ってしまうというケースもあります。 該当を概当とするのは「だいたい当たっている」と思ったのでしょうか。 貫徹を完徹としてしまうのも意味の誤解でしょうが、完全に徹夜を略して完徹ということがあるのに気がつかなかったのでしょう。 生真面目を気真面目とするのは、気持ちが真面目というふうに感じたものと思われます 首実験とか五里夢中とかになると、意味を特段考えずに同音の文字をただ当てはめたと考えたほうがよいかもしれません。 意味がおかしくても音が同じであれば代用するというやり方は、もともと仮借というもの漢字にはあるので、まるで否定することは出来ないかもしれません。 とはいうものの、漢字の書き間違えというものが非常に多いということからすると、漢字の意味というものにはあまりこだわらず、ただ漢字を使っている人が結構多いような気がします。  漢字は見れば意味が分かるという風にいわれます。 見れば分かるというからには、意味を知らなくても判別できるということですが、そのような例があるからといってすべてがそうだと言うわけではありません。 漢字の見かけによって誤読、誤記が発生するので、かえって厄介な側面もあります。 なんとなく分かったような気がするから、分からない単語にあってもあらためて正しい意味とか用法を確かめないまま過ごしてしまうので、間違った理解が定着する可能性は逆に高まります。 漢字は見れば自然に意味が分かるなどということはなく、辞書に当たって意味を確かめないといつの間にか間違った思い込みをしていることがしばしばあるのです。

漢字の読み間違い

2006-04-27 23:32:21 | 言葉の記憶

 脳に損傷を負って言語中枢が機能しなくなった患者が、「ちゃわん」という平仮名が読めないのに「茶碗」という漢字なら読めたのは漢字が表意文字だからというふうに言われています。
 しかし健常者の漢字の読み書きの間違いの多様性から考えると、このような単純な説はとても疑わしくなります。
 茶碗の例で言うならば、その患者は茶碗という単語を「ちゃわん」という表記で読むことがしくなく,「茶碗」という表記でもっぱら読んでいたということにすぎないのかもしれないのです。
 漢字だから意味が分かるというふうに持っていくのは論理の飛躍です。
 
 漢字の読み間違いにはいくつかのパターンがありますが、もとは目おぼえ、つまり文字を見ておぼえているけれども読み方を学習していないものです。
 本などで見て文字は目で覚えているのですが、文字の読み方と意味とを調べたり、学習しないので、間違って読んだりするのです。
 代表的なのは類推読みです。
 文字を知らないのに、似たような文字の読み方を当てて、読めていると思ってしまうので、そのままになっています。
 読んでしまうと意味が分かったような気になってしまって、辞書を引いたりしないので、意味を誤解するか、ぼんやりとしか分からないということになります。

 図の例では帥と師が似ているため、獰は寧からの類推、幟は織や職からの類推、逝は折からの類推、肓は盲と似た文字、迭は送と似ているなどで、いずれも目で見た漢字から読みを当てているものです。
 意味が分からないまま類推で読み方を当てているので、間違った読み方をしてそれに気がつかないのです。
 漢字は見れば意味が分かるなどといっても、学習しなければ分からないのです。
 いろんな文章を読んで、何度も々文字を目にすれば、知らなかった文字でも文脈から意味を感じ取ることはあるかもしれません。
 そういう場合は意味が分かっても間違った読みと結びついて、正しい読み方を音声で聞いた場合は意味が分からないということになってしまいます。

 もう一つの間違い読みというのは、文字の読み方が場合によっていろいろあるために起こるものです。
 漢字は読み方が音読であっても一通りではないので、単語ごとに読みかたを学習しないといつの間にか間違った読みをしていることがあります。
 一つの読みかたを知っているからといって、不用意に知らない単語に適用するわけにはいかないのです。
 同じ漢字でも意味が一通りとは限らないので、訓読みというのはいわば翻訳なので、訓読みが何通りかあるので単語の意味を知らないとなかなか正しい読み方は出来ません。

 「奇しくも」などは「くしくも」の対する当て字だと思わないで「き」という音読みをしてしまう例で、意味が分からないまま読んでいます。
 危急存亡の秋の秋を「あき」と読んでしまうのは秋という字が季節の秋だけでなく、大事なときという意味があるとは思いもよらないためです。
 泌尿器、血肉、代替、幕間などは意味は分かるのでしょうが、読み方が間違っている例です。
 音声でなじみが薄い単語だと、文字を見ても読み方として結びつかないため、間違った読みになってしまうものです。