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60歳からの視覚能力

文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

逆さにしても錯視

2006-01-11 22:39:23 | 眼と脳の働き
 左はR.N.シェパード「視覚のトリック」に乗せられている画像です。
 前を走るモンスターと後ろから来るモンスターは同じ大きさなのですが、後ろのほうがはるかに大きく見えます。
 同じ大きさに描かれているとはなかなか信じられないと思います。
 背景のトンネルのような図による遠近感が強く感じられるため、強烈な錯視をもたらします。
 もしこの画像を模写しようとすれば、たいていいの人は後ろのモンスターを前のモンスターに比べかなり大きく描こうとするでしょう。
 そうすると、結果的には大きさの割合が違った絵を描くのですから、原画に忠実でないおかしな絵を描くことになってしまいます。

 三次元的な絵を描こうとすると、普通の人は錯視によって、自分がイメージした絵とかけ離れた絵を描くことになってしまいます。
 右脳で描くかどうかは別にして、三次元のイメージを平面のうえに表現するには、特別な工夫がいるということになります。
 「右の脳で描け」では、模写をするとき原画を逆さまにすれば良いとされていますが、この絵の場合はどうでしょうか。
 
 右側の図は左側の図を逆さにしたものです。
 左の図ほどではないにしても、奥行き感を感じるのでモンスターの大きさは同じには感じられず、かなりの大きさの違いを感じます。
 やはり錯視は生じていますから原画に忠実に描くことは困難です。
 逆さにすることによって錯視がなくなることがあるかもしれませんが、この場合のように強烈に遠近感を感じさせるものの場合は無効なのです。

 この場合、原画の一部分を見るとき、そこから少し離れたほかの部分を同時に見ます。 つまり二点同時視をするのです。
 そうすると絵は立体感を失って平面的に見えます。
 このとき遠近感による錯視はなくなり、画像のありのままの形が見えることになります。 その見え方にしたがって模写をすれば、より忠実に描くことができるようになります。 
 

逆さの顔のイメージ

2006-01-10 22:27:42 | 眼と脳の働き
 サルでも人間でも同類の顔を見分ける能力が特に発達しているといいます。
 前に見たことのあるいろんな人間の顔を見たとたんにパッと見分けられる能力が備わっているといいます。
 有名人の顔というのはテレビや新聞などで見る機会が多いので、すぐに見分けがつくのですが、上下逆さにすると見分けがつきにくいといいます。
 犬の顔でもブリーダーは見分けがつくそうですが、上下逆さにするとやはり見分けにくいそうです。
 写真の小泉首相の場合は、逆さにしても髪型が特徴的なので見分けやすいのですが、それでも写真を並べなければ見分けにくいでしょう。
 
 左の線画の場合は上下逆さまにすると、同じ顔かどうか多少のわかりにくさはあるものの、写真に比べれば同じ顔だということが分かりやすいでしょう。
 この線画の場合は立体感をあまり出さないように平面的に描かれているので、上下逆さまにしてもイメージしやすいのです。
 
 人間の顔でも子供の顔は上下逆さまにしても、極端に印象が変わることはないのですが、その原因は顔の造作が発達していないためだといわれています。
 しかし、日本人の顔よりも欧米人の顔のほうが逆さまにしたとき、印象が変わるということからすれば、顔の成熟度というより起伏が激しい立体的な顔かどうかの差だと思われます。
 子供の顔とか日本人の顔は、いわゆるホリの浅い顔なので、逆さまにしても極端に印象が変化しないのでしょう。

 ところで、前回のB.エドワーズの説のように、人間の顔の配置はこういうものという先入観を持って見るのが左脳の見方で、上下逆さまにしたイメージが右脳のありのままの見方だということになると、ちょっと変だなと思うでしょう。
 逆さまに見た顔は小泉首相に限らずあまり印象がよくないので、これがありのままなのだといわれても納得できないでしょう。
 右の写真も上下二つの写真の間の白い背景になっている部分に注意を向けてみていると二つの写真は最初より似て見えるようになります。
 立体感が失われて平面的に見えるようになるためで、つまりありのままの見え方になるのです。
 

右脳で描く?

2006-01-09 21:04:05 | 眼と脳の働き
 aを回転して重なり合うのはb,cのどちらかと考えるとき、頭の中で三次元図形を回転させようとすると混乱してしまいます。
 このとき、図形の周囲の空間、d図で黒く塗ってある部分を見るようにして比較をすると答えは自然にわかります。
 bはa図を中心を軸にして回転したものであることは積み木状の図の周囲の形を見ればすぐにわかりますが、積み木状の図のほうに注目してしまうとわからなくなります。
 積み木状の図を見ると脳は立体的に感じてしまい、どのように回転させたらよいかわからなくなるためです。
 図形の周囲のほうに注目すると周囲の部分は平面に見えるため、回転をイメージしやすくなります。
 周囲(つまり背景)に注意を向けてみると遠近感が感じられなくなり、平面的に見えるようになるからです。
 そうすると、このテストは空間感覚を見るのでなく、平面的なイメージ感覚を見るテストだということになります。
 
 B.エドワーズの「右の脳で描け」という本には、絵を描くとき、輪郭を正確に描くにはものの周りに注意を向けるとよいとしています。
 背景に注意を向けてみると遠近感が失われるので、ちょうど写真のフィルムのように平面に写された画像のように見えるからです。
 網膜という平面に映った像がそのまま見えるのです。
 三次元のものを見て、平面の紙の上に描こうとすると遠近感がうまく表現できず、近くにあるものと遠くにあるものの大きさの比率がおかしくなります。
 これはものを見るとき対象の距離によって、眼が焦点を自動的に変えるため、写真で写した場合とはちがって、ものの大きさを一定の比率で見ないからです。

 この本では、見えたものを三次元的に見て、部分ごとに焦点を変えて見るのが左脳で見ることで、焦点を変えず、網膜に映った平面的な像をありのままに見ることが右脳で見ることとされています。
 実際に左の脳で見るとか、右の脳で見るということがあるのかどうかはわかりません。
 意識的な過程があると左脳が働き、無意識的であれば右脳が働いていると解釈しているようですが、見るものの位置によって焦点距離が変わるのは自動的なので、必ずしも左脳で見ているのだということではないと思うのですが、どうでしょうか。

 この本には模写をするとき、お手本を逆さまにすれば、描こうとするものが何であるかという左脳の解釈が働かなくなり、右脳が見たありのままの形が描けるとしています。
 模写の対象が三次元的なものであれば、見る部分によって焦点距離が変わるので、左脳が働いているとされるのでしょうが、二次元的な図形のようなものであれば左脳は働かないということになるのでしょうか。
 

イメージの回転

2006-01-08 16:26:27 | 眼と脳の働き
 aと同じものはbかcかという問題で、知能テストなどでは空間応力を測るテストだと しています。
 たいていの人はこの問題を解くとき、aを頭の中で回転させ、ぴったり重ねあわすことができるかどうかを調べようとするでしょう。
 ところが、イメージを回転させようとしてもなかなかうまくいかずに迷ってしまうのではないでしょうか。

 右下の図は心理学者の佐伯胖氏が考案したもので、この形を人間の身体に見立てるために頭を描き加えています。
 頭の下が胴、横に出ているのが右腕、下の部分が前に出ている足とみなせるので、a,b,cそれぞれに頭をつけた状態をイメージすれば、cだけが左腕が出た状態になっていることがすぐにわかります。
 この場合は図形同士の部分を一つ一つ照合しなくても、頭をつけた状態をイメージするだけでどれが同じかわかってしまいます。
 左脳で比較するのでなく、右脳で全体的に把握しているとでも言えば、右脳贔屓の人には受けるでしょう。
 佐伯胖氏の説は、頭だけでなく身体を使って考えることを推奨することから導かれたものですが、わたしもこれを見たときはナールホドととても感心しました。
 
 この問題を解くのにはほかの方法もあるのですが、一番当たり前の、頭の中でイメージを回転させる方法がなぜうまくいかないのでしょうか。
 図形を回転させた状態をイメージすることが難しいからだといえば、そうには違いないのですが、それだけではありません。
 実はこの図形は平面の上に立体を描いたもので、見た人は平面を描いたものと思いません。、
 ところが図の回転の仕方は平面としての回転の仕方なので、イメージの中では三次元の図形を平面のように回転させるのにとまどいを感じてしまうのです。
 描かれているのは平面状の図形なのですが、脳が三次元の図形として解釈してイメージ回転をさせようとするので混乱してしまうためです。

 右上の図はbの外側の輪郭だけを残したものです。
 三次元図形としてでなく平面図形としてbを見れば輪郭はこのように見えます。
 aやcもこのように輪郭だけを見ることができれば、平面的な回転図形に見えるので、どれが同じ図形かは細かく比較しなくてもわかるようになります。
 それならどうしたら、三次元図形としてではなく、平面図形としてみることができるでしょうか。
 それは次回。

ポッゲンドルフ錯視

2006-01-07 23:34:21 | 眼と脳の働き
 左下の斜線は右上の二本の斜線のどちらにつながって見えるか。
 心理学ではポピュラーなポッゲンドルフの錯視図です。
 なぜ間違ったほうにつながって見えたりするのかという説明でなく、斜線と垂直線の交わる角度によって錯視の度合いが違うというようなことが述べられています。
 ここで、錯視が起きる原因をさぐるために、どういう場合に錯視が起きないかを試してみます。
 
 図Aでは二つの円が描かれていますが、この二つの円を同時に見つめます。
 斜線ではなく二つの円に注意を向けると自然に上の線がつながって見え、下の線は外れて見えます。
 二つの円を同時に見ると、両方とも眼から同じ距離に見えるので、両方とも同じ平面状にあることが実感できます。
 そのため実際につながっていない、下の線は外れて見えるのです。
 そこで、錯視が生じているときは、左側の面と右側の面とで遠近感が感じられたのであろうと推測されます。

 図Bの場合は縦の平行線の代わりに長方形が斜線をさえぎっています。
 この長方形の周囲の平面は斜線によって区切られていますが、長方形の右と左は上側も下側もつながっています。
 長方形の上側の三方をを囲む平面を見ると、上の線がつながっているのだということが直ちにわかります。
 逆に、長方形の下側の三方を囲む平面を見れば、下の線は外れているということがはっきりわかります。
 いずれの場合も斜線が遠近感を感じさせず、同じ平面にあるように感じさせるような見方をすれば錯視はなくなります。

 図Aの場合は、二つの円を同時に見ることによって、図を平面的に見えるようにしているのですが、同時に二つの円を見ることが難しい人もいるかもしれません。
 二つの円を見て、右上の斜線と左下の斜線がつながって見えるようになれば、二つの円を同時視することができたということになります。
 同時に見たつもりでも下の線のほうがつながって見えるようであれば、どちらかに偏って見ているのです。

見え方は論理より経験

2006-01-03 23:59:48 | 眼と脳の働き
 a図は影がつくと飛び出して見える例。
 上下同じ大きさの正方形ですが、下の正方形は真ん中が飛び出して見え、立体的になって幅が狭く感じます。
 左右に影がつくことによって中央が近くに感じられ横幅が狭く見えます。
 b図の場合はa図の白黒反転、つまりネガなのですが、真ん中がへこんで見えるというわけではありません。
 暗い部分が後退して見え、明るい部分が前進して見えるならば、真ん中がへこんで見えるはずなのですが、逆に少し膨らんで見えます。
 したがってこの場合もa図の場合ほどではありませんが、立体的に見え、幅が狭く感じられます。

 これが左右両サイドが明るくなっていなくて、片側だけが明るくなっている場合は暗いほうが後退して見え、明るいほうの側が前進して見えます。
 ところが左右両サイドが明るくなると暗い部分が前進して見えるのは逆光のようにみえるためです。
 経験的には光は一方向から来るので、両サイドが明るくなるのは手前から光が来るのではなく、後ろから来て逆光となったときです。
 a図の場合の反転だから論理的には真ん中がへこんで見えるところが、経験的には逆光の場合と類似するので、経験のほうが優先するのです。

 c図は最近出た「MIND HACKS」という本に紹介されている、カリフォルニア大学のAnstis教授の研究に出てくる写真です。
 ジーンズをはいたとき真ん中の部分が白くなるようにすると、真ん中が膨らんで足が細く見え格好がよく見えると説明されています。
 ジーンズの中には全体が白っぽく、真ん中の部分が青くなっているようなものもあるのですが、この場合も真ん中がへこんで見えるのではなく膨らんで見え、やはりスマートに見せる効果があるようです。

違いを瞬間的に見分ける

2006-01-02 22:02:25 | 眼と脳の働き
 左の写真をよく見てから右の写真を見て、すぐに変化している部分に気がつくでしょうか。
 眼で見たものすべての部分が正確に記憶されていれば、右の写真を見たときすぐに変化に気がつくはずです。
 ところが見たと思っていても、すべての細かい部分にまで注意が向けられ、記憶されるということはないので、変化に気がつかず同じ写真のように思えてしまったりします。
 右の写真を見たとき、左の写真と同じと感じるときは、左の写真の記憶のあいまいな部分を右の写真を見て補ってしまうからです。

 二つの写真が同じかどうかは、細かい部分を一つ一つ見比べていけば発見できるのですが、そうしてもつい同じと思って見落としてしまったりするものです。
 前に見たものと同じかどうかを判断するのは文章の校正と同じで結構難しいのです。
 ところが、細かい部分を一つ一つ比べていくという方法ではなく、ぱっと見てどこが違っているかわかる方法があります。

 第一の方法は、左の図を見て、瞬間的に瞬きをしながら右の図を見ます。
 あるいは右の図を見て瞬きをしながらパッと左の図を見ると、ちょうどアニメーションを見るような感じで、変化している部分が動いて見えます。
 (一回でわかりにくければ二、三度瞬きをしながら左右を交互に見ればわかります)
 真ん中のペンギンが首を振るように見え、左から二番目のペンギンの水に映った影が動くように見えるので、これらの部分が変化しているのだということがわかります。
 アニメの場合は変化した静止画を次々に見せることで動きを感じさせるのですが、2枚の写真が並べられている場合は、瞬きをして隣の写真に目を移すと同じ効果が得られます。
 人間の目は視野の中で動きがあれば、あらかじめそこに注意をしていなくでも反射的に注意が向けられるようになっています。 
 意識して見ていて気がつかない部分も、動けばぱっと気がつくのです。

 第二の方法は、右の目で左の写真を見て、左の目で右の写真を見る感じで、寄り眼で立体視をする方法です。
 二つの写真の間にもうひとつの写真が浮き出てくるように見えます。
 この真ん中の写真の中で、真ん中のペンギンの頭と、左から二番目のペンギンの水に映った影がとび出てくるように見えます。
 ほかの部分は左右が同じなのできれいに重なって見えるのですが、左右が違っている部分は見え方が異なって見えるのです。
 立体視の方法は、平行法というのもあって左の目で左の写真を、右の眼で右の写真を見るようにして、焦点を写真より遠くに当てて見る方法もあります。
 この場合は変化している部分は飛び出してくるのではなく後退して見えます。

 いずれにしても細かく意識的に見て、なかなか違いがわからなかった部分が、全体的な見方で無意識のうちに違った部分に気がついています。
 意識より無意識のほうが気がつくので、右脳の働きだと思う人がいるかもしれません。
 しかし眼は両眼を使っていて右脳にも左脳にも信号がいっているので、右脳を使うか左脳を使うかというような違いではないようです。

 

注意を集中してみれば

2006-01-01 00:40:31 | 眼と脳の働き
 山などを描くとき、近くの山は濃く描き、遠くの山を薄く描くことで遠近感を表現する方法があります。
 遠くの山のほうがかすんで見えるという経験から生まれた表現法です。
 それとは別に、注意を引くものには焦点をあわせて見るので、それより遠くにあるものはぼやけて見えています。
 そこで、色が濃くはっきりしているものと、薄くぼんやりしたものが描かれていれば、濃いもののほうが注意を引くので近くに感じるということになります。 
 したがって図aでは、左の色の濃いほうが手前に見えます。
 普通なら明度の低い方が収縮して見えるので後退して見えるのですが、この場合は色が濃くはっきりしているほうが手前に見えます。
 
 ところがb図のように背景が暗くなると、色の薄いほうが明るくはっきり見えます。
 ぼんやりして見えたものが、逆にはっきりして見えるようになっています。
 このため色の薄いほうが手前に見えるという逆転現象がおきます。
 背景との対比によって明るさの感じ方が違うので、遠近感が変わってくるのです。

 a図の場合もb図の場合も立方体の色は同じなのですが、b図の場合のほうが、a図の場合より明るく見えます。
 ここでb図の黒いほうの直方体の真ん中あたりの三本の稜線が集まっているところに注意を集中してしばらく見ていると、明るさが減って色が濃くなってきます。
 背景からの刺激が排除されると濃く見えるようになり、a図の場合の色の濃さに近づいてきます。

 明るいほうの直方体も同じようにして見続けるとだんだん色が濃くなり、a図の右側の直方体の色に近づいてきます。
 もともと同じ色の図形なので同じように見えるようになっても不思議はないのですが、背景の影響が強いのでなかなか同じに見えるようにはなりません。
 真ん中あたりを見続けると色が濃く見えるようになるのは残像が見えてきて、重なってくるためでもありますが、集中して見ると周囲の影響が抑制されるので、本来の見え方に近づくためです。

 

視覚イメージと

2005-12-31 00:00:16 | 眼と脳の働き
 意識の上では視覚的な錯覚が起きても、無意識の視覚処理は錯覚を起こさないと言う説があります。
 意識的な処理は左脳、無意識的な処理は右脳だとして、右脳のほうがだまされにくいという風にもっていく人もいます。
 a図で横の線は左側のほうが長く見えますが、実際は左の線も右の線も同じ長さです。
 眼で見た場合は長さに差があるように見えるのですが、この線の両端を指で挟もうとする場合、左側の線を挟もうとするときも、右側の線を挟もうとするときも指のかまえは、ほぼ同じだといいます。
 視覚イメージとからだの感覚は違って、眼はだまされても身体はだまされないというわけです。

 b図では、左の円も右の円も同じ大きさなのですが、左の円のほうが大きく見えます。
 この場合も円を指で挟もうとした場合、左の場合も、右の場合も指のかまえは同じで、左のほうが大きく見えるのに指をあらかじめ大きく広げるということはないそうです。
 
 a図の場合もb図の場合も、左側のほうが大きく見えるのは図形の外側に注意が向かうからです。
 右側の図形を見るときは、注意が内側に向かうためです。
 これはどんなものを見るときにもおきる現象で、視覚が特にだまされるということではありません。
 左右の図形の中間点に注意を集中して見ると、二つの図形は等分に注意が向けられますが、このときはa図の左右の線は同じ長さに見えますし、b図の円は同じ大きさに見えます。
 自然に図を見るときはどちらか一方に注意を向けるので、気がつかないうちに見方が変わっています。
 一方の図形を見てそれが大きく見えたからといって、実際に大きいと感じるとは限りません。
 近くに引き寄せて大きく見えたからといって、実際に大きくなったとおもわないからです。

 本当は、ひとつひとつの図でなく、両方の図を左右の手で同時に挟もうとしたとき、それぞれの手の指がどのような構えになるかを見るべきです。
 もし左右二つの図形の大きさが違うように見えるなら、左右の手は同じ構えにならず、大きいほうは大きめ、小さいほうは小さめに構えるように思えますが、厳密にはどうなのでしょうか。
 眼で見たイメージと手の動きが連動していなければ不便で、実生活では大変苦労しなければならなくなってしまうからです。

左脳で見ても

2005-12-30 00:19:01 | 眼と脳の働き
 図はポンゾ錯視といわれるもので、上下の二本の棒は同じ長さなのですが、上のほうが少し大きく見えます。
 大きく見える理由はこの図が遠近法で描かれたように見えるからと説明されています。
 遠近法では遠いものを小さく、近いものを大きく描くので、同じ大きさに描かれていれば近くのもののほうが大きいと脳が解釈するというのです。
 
 しかし、脳は上の棒のほうが大きいと解釈したとしても、大きく見えるということにはならないので、このような説明は、説明にならないのです。
 上のほうが大きく見えるのは、眼に大きく見えたということで、大きく見えないけど脳が大きいと解釈したということではないのです。
 上の棒のほうが長く見えたというのは、上の棒を見るときは遠くにあると思って焦点距離を長くして見るのですが、実際は下の棒と同じ平面に描かれている図は大きく見えるのです。
 下の棒を見るときと上の棒を見るときとでは、焦点距離を無意識のうちに変えているため上の棒が長く見えるのです。

 b図はa図をさかさまにしたものですが、この場合は、遠近法の描き方にはなっていませんが、下の棒のほうが長く見えます。
 遠近法というのは左脳の解釈が入るのですが、a図が左脳の解釈によって遠近感を感じた結果上の棒が大きく見えたとすれば、b図はそのような解釈が効かないので、右脳でありのままに見た場合ということになります。
 
 b図の場合下の棒のほうが大きく見えるのは、下の棒は二本の斜線が狭まってきたところに描かれているので、a図の場合と同じように焦点距離を長くするためです。
 上の棒を見るときは広い範囲を見るので焦点距離を自動的に短くする結果小さく見えるのです。
 そのため、a図の場合でも強いて遠近法を意識しなくても上の棒のほうが長く見えるということはあるのです。

 この錯視は子供や高齢者にはあまり、見られないというのですが、子供は遠近法を知らないということは納得できても、、高齢者までも遠近法がわからないということはおかしなものです。
 上下それぞれの棒を見るとき眼の焦点距離が自動的に変化すると考えれば、そうした視覚能力が子供や高齢者には欠けているのだということができるでしょう。