真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

ハイコンテクストな日本と宗教

2012-04-01 16:03:43 | 創価学会問題

kanさんへのコメントを書いていて「ハイコンテクスト」という言葉を思い出したので、今回は簡単にこれをご紹介します。

アメリカの文化人類学者であるエドワード.T.ホールが唱えた概念で、ビジネスシーンで使われることが多いようです。

日本語で近いものは「空気」。KYな人が苦手な「空気」です。

「ハイコンテクストとローコンテクストの違い」より(PAN NATIONS CONSULTING GROUP CO.,LTD)

ここで使われている「コンテクスト」とはコミュニケーションの基盤である「言語・共通の知識・体験・価値観・ロジック・嗜好性」などのことです。
ハイコンテクスト文化とはコンテクストの共有性が高い文化のことで、伝える努力やスキルがなくても、お互いに相手の意図を察しあうことで、なんとなく通じてしまう環境のことです。
とりわけ日本では、コンテクストが主に共有時間や共有体験に基づいて形成される傾向が強く、「同じ釜のメシを食った」仲間同士ではツーカーで気持ちが通じ合うことになります。
ところがその環境が整わないと、今度は一転してコミュニケーションが滞ってしまいます。お互いに話の糸口も見つけられず、会話も弾まず、相手の言わんとしていることがつかめなくなってしまうのです。

ハイコンテクスト文化
聞き手の能力を期待するあまり下記のような傾向があります。

  • 直接的表現より単純表現や凝った描写を好む
  • 曖昧な表現を好む
  • 多く話さない
  • 論理的飛躍が許される
  • 質疑応答の直接性を重要視しない   

ローコンテクスト文化
話し手の責任が重いため下記のような傾向があります。

  • 直接的で解りやすい表現を好む
  • 言語に対し高い価値と積極的な姿勢を示す
  • 単純でシンプルな理論を好む
  • 明示的な表現を好む
  • 寡黙であることを評価しない
  • 論理的飛躍を好まない
  • 質疑応答では直接的に答える

などというものです。

この同じ価値観を持つ仲間同士として関係性を強くするという特徴もあります。

日本の文化は「ハイコンテクスト」に該当するそうです。誰が見てもそうでしょう。

もう一つ、ドラクエをプレイしたことのある人にはとても分かりやすいコラムをご紹介。そう、あの有名ゲームのドラゴンクエストです。

どうしてバギクロスは良くてバギムーチョはダメなのか(All About)

こちらによるとゲーム文化というのは極めてハイコンテクストな文化であるということですが、それにもましてリアルで交流を持つ宗教団体(新興宗教)の方が、よりハイコンテクストであると私は感じました。

海外のカルト宗教でもハイコンテクストであると思いますが、そもそもがハイコンテクスト文化の日本人、より宗教のコンテクスト度はハイになっている傾向があるのではと思います。

だからといって「ハイコンテクスト」が悪ってことはないんですが、学会問題を考えるにあたって知識の一つとして、MCを考えるヒントの一つとして、記事にしてみました。

くれぐれも、「ハイコンテクスト」が悪いってことではありませんよ~。


6 コメント

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クロさん おはようございます(^^) (ミルフィーユ)
2012-04-03 08:15:31
クロさん おはようございます(^^)


いやぁ 朝から笑っちゃいました。 今日の聖教3面に久々の池田夫妻の2ショット写真が載ってました。

ブラジルのどこぞの大学から貰ったローブを着て撮ったようですが、括弧書きに(今月、東京・新宿区内で)とあります。

今月? 今日まだ4月3日ですよね。 ってことは4月1日か2日に撮ったの? あら~?きのうは創価大学の入学式でしたよ。撮影するひまはあるのに、入学式には確かメッセージだけ。


写真のようにしっかりお立ちになって奥様と撮影される時間がおありなら 大事な大事な新入生の前にお出ましになってもいいのに。
まして 中国駐日大使に創大名誉博士号を授与する式典まであったのに。 奥様と記念撮影してる場合かいな?(笑)

そうそう新聞によれば名誉会長は2日には恩師記念館で追善法要したとか?その写真はいつものようになし。

なのに、新宿区内撮影の2ショット写真が載ったので不思議だなぁと思った私でした~(^^)
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クロさん初めまして、 (愉快)
2012-04-07 11:01:15
クロさん初めまして、

ハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化について私は知りませんでしたので、非常に良い勉強になりました。

これからも宜しくお願いいたします。

それでは(笑)

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ミルフィーユさんへ (クロ)
2012-04-07 21:36:50
ミルフィーユさんへ

こんばんは~^^


>写真のようにしっかりお立ちになって奥様と撮影される時間がおありなら 大事な大事な新入生の前にお出ましになってもいいのに。

聖教新聞、またまたやってくれたんですね!
かつては学会員さん、この入学式で生の池田先生に会うことを大変に楽しみにして創価大に入る方々も多かったとか。
もう生のお姿はそうそう拝見できない時代に突入しましたね。
しかし、しっかりお立ちになっての撮影だったのかどうかも怪しいもの。
等身大パネル、合成、色々方法は考えられますからね。
等身大パネルってバレバレじゃないの?って思われるかもしれませんが、実は結構本物っぽくちゃんとした写真が撮れます。
某有名プロ野球選手の等身大パネルと一緒に映っている知人の写真を見せてもらったことがあるのですが、言われなければ本物とツーショットだと騙されます。
それをちょちょいと加工すれば、新聞に載せても充分通用すると思うんですよね~。
今までの撮影日不明ながら近日のものとして掲載された池田氏のお写真は直立不動の立ち姿がほとんどのようですので、可能性は無きにしも非ず?と思っていますw

少し他のブログでコメントに書かせてもらったのですが、人間好きな人のことよりは嫌いな人のことをよく考えるものなのですよね。
ラブラブな恋人と殺したいほど憎い相手が同時にいれば、確かに憎い相手のことばかり四六時中考えてると思います^^;
そんな感じでアンチほど池田氏の動向に注視していますが、学会員さんからはこのような池田氏の不在(不審な写真掲載)に疑問の声が挙がらないのは当然といえば当然なのでしょうね。
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愉快さんへ (クロ)
2012-04-07 21:54:18
愉快さんへ

初めまして。
と、言うのが変な気がするほど他のブログでお名前は拝見しております。
こちらにも訪れてコメントくださり、ありがとうございます。

ハイコンテクストという言葉を私も最近知りました。
知って一番最初に思ったことは、創価学会の内部がまさに当てはまる、ということでした。
学会の問題、MCの問題など批判するのも大事ですが、「何故そうなったのか」「どういう過程で」「どういう心理状況になるのか」など、論理的な背景を知っていくのも本当に問題解決するには必要なことです。
それらを考える上での知識にと思い、記事にさせて頂きました。
お役に立てば何よりです。
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ハイコンテクスト文化…ですか。 (ねま)
2012-04-22 10:08:35
ハイコンテクスト文化…ですか。

ねまは『日本語は高コンテキスト言語である』、という形で聞いたことはあります。
文脈依存型の言語と見なされているわけですね。大事なことほど言葉で言わなかったりね。
『言わなくてもわかってもらえる文化』ということでもあります。

ちょっと例みたいなのをあげてみます。
以下は日本と中国の扶養に関する法律です。
----------------------------------------
■日本民法 第877条  直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある。

→兄弟姉妹は扶養義務あり(年齢などの条件明示無し)

■中国婚姻法 第29条
負担能力のある兄・姉は、父母が既に死亡したか、あるいは父母に扶養能力のない未成年の弟・妹に対して扶養義務を負う。
兄・姉により扶養されて成長した負担能力のある弟・妹は、労働能力を欠くかまたは生活の糧を欠く兄・姉に対して扶養義務を負う。

→兄弟姉妹は扶養義務あり(年齢条件→未成年と明示、兄姉への扶養→扶養してもらって育った場合と明示)
----------------------------------------
同じ兄弟姉妹の扶養義務でも、中国の方がいっぱい書かないといけないわけです。
『兄・姉に扶養してもらった弟・妹は、今度兄・姉が生活に困ってる場合は扶養するもの』
なんて中国ではわざわざ書いてあるけども、日本人ならそんなの『言わなくてもわかる』という前提になっています。

『言わなくてもわかってもらえる』ところで生きてると、
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グローバル社会においてはハイコンテクスト社会のコミュニケーションは十分に機能しないと言わざるを得ないでしょう。
本人は頑張っているつもりでも「コミュニケーションに熱心でなく、誠意がなく、能力もない」と評価されてしまう危険性が高いのです。
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ということになりがち。

学会の人がよその人に『なんでこんな活動やってるのか』と聞かれても、
まともに答えられなかったり『やってないからわからない』的に答えてしまうこともその結果。
『言葉とは異なる人間に伝えるためにある』という前提で考えてない。
それじゃ説明責任は果たせない。
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ねまさんへ (クロ)
2012-04-30 15:34:38
ねまさんへ

丁寧な例をありがとうございます。
なるほど、こうして比べてみるとよく分かりますね。
日本民法の方だけ読んでも、私が日本人だからかしれませんがさほど違和感というか言葉が足りないなどとは思わなかったでしょう。
「(言わなくても)分かっている」人間には、「分かっている」ということが分かっていないのですよね。
それゆえ「(言わなくては)分からない」人のことなどほとんどの場合気付きもしないのでしょう。


>学会の人がよその人に『なんでこんな活動やってるのか』と聞かれても、
>まともに答えられなかったり『やってないからわからない』的に答えてしまうこともその結果。

多くの学会員さんは「言わなくても分かってくれる」居場所・人たちが心地いいんでしょうね。
より親密に繋がっているような気がしますし。
けれどそれは思考の放棄に繋がり、信仰とは関係のない方向に空気が向いても違和感を覚えなくなり、MC大成功!みたいな状況を生み出している温床となっている気がします。
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