梅雨空な今日この頃、皆さまいかがお過ごしですか?
今日は時間があまり取れなかったので、簡単に。
私の古い友人から聞いたお話。
去年末、その友人の旦那さんの親戚の女性が離婚されたそうなのですが、それがちょっと大変だったとのこと。あ、この女性は学会員さんで婦人部で熱心に活動されている方とのことです。
年末に大掃除しますよね。その友人も旦那さんも、自分ちの大掃除そっちのけで親戚のお姉さんの家の掃除に駆り出されて大変だったとのこと。
何故なら、その親戚のお姉さんの家は所謂「ゴミ屋敷」だったそうなのです。
そのゴミ屋敷に、親戚のお姉さんの旦那さんは帰って来なくなり離婚に至ったのだと・・・。そんで離婚に伴いゴミ屋敷を退去するので、きれいに掃除しなければならなくなったんですね。
その手伝いに親戚である友人夫婦も駆り出されてしまった、と。
そりゃゴミ屋敷に帰ってきたい人などいません。
友人はその親戚のお姉さんのことを、公明党に投票のお願いはしてくるけど、勧誘まではしてこないから「あ~ハイ分かりました~」と返事だけしてるねん、と昔言ってました。しかしこの離婚で明らかになったゴミ屋敷騒動で、学会活動してるヒマがあるなら家の掃除しろ!と怒っていましたw
学会活動が忙しくて家の掃除が出来なかったのか、はたまた家をゴミ屋敷にする素質を持ち合わせた人だったのかは定かではありません。
たまにいますからね。ゴミ屋敷が落ち着くって人。あるいは壊滅的に掃除が苦手な人とか。
学会員さんに言わせたら、そんなことは個人の問題で学会とは関係ないとか、学会も色んな人がいるとかになってしまいそうですが、人間主義とか言っちゃってるくらいなんだから会員一人ひとりに寄り添った指導をしたらどうなんだと思います。
だいたいゴミ屋敷ってプライベートな問題ではなくて、完全に近所迷惑ですからね。近所迷惑を振り撒きつつ家庭の不和も放置して学会活動する婦人部に、同志として、いや、人として言うことがないわけじゃないですよね。
それができないのだったら学会の、池田氏の指導力不足を改めて省みることです。
いざ褒められたものではない学会員さんが出ると「色んな人がいる」とよく言いますが、だったら功績をあげた人も「そういう人もいる」で済ませたらどうなんですかね。池田氏も海外で名誉なんちゃらとされたからって、「そういう人もいる」ってことにしたらいいじゃないですかw
犯罪やどう足掻いても庇いきれないような非道徳的な行いをした学会員さんに対しては、「本人の希望により退会した」と切り捨てることも一度や二度ではありません。
少し昔に耐震偽装で問題になった姉歯氏(学会員)は学会を自主退会(という名の除名)後、奥さん(学会員)が自殺までされてしまいましたね。
あくまで宗教を掲げるならば、どのような道に堕ちようとも最後まで更正するよう信者を支えるのが最低限の在り方ではないかと思いますが、どうやら創価学会はそのようにはできていないようです。
それでも師匠には地獄の底までついていくのが弟子の務めとかw逆はないんですね、逆は。
まあ少なくともまずは、身近な地区の同志くらい、生活改善できるよう人間革命させてやってください。ついでにうちの母親も頼むw
少しずつですが、私、招き猫の話を、していきます。アナログ世代なもので、少しずつ。
目覚めたのは、約4、5年前、本当に、ささいな事で、ネットで、調べものしている時、えっ が、えええーとなり、うそ まじで 後は坂を転がる様に、です。それから、約2年前に、正式に本部にご本尊と届を出しました。今は、日本の事が心配の、日本大好きおばちゃんです。
今回は、これくらいで、又コメント書きますね。ブログの管理たいへんだとおもいます。無理しないで、のんびりいってくださいね。
訂正( 誤 )理論整然 ( 正 )理路整然
失礼しました。
画面を前に思わず拍手を送っちゃいました(^-^)v
まさにキレイゴトの表看板のため、都合の悪いことは全て切り捨てる「ことなかれ主義」と良い結果だけを「功徳」「名誉」にカウントする「ご都合主義」の団体といえましょうw
先日も某ブログコメントに下記のようなご意見が複数ありました。
要旨です…「女子部時代にしっかり活動して福運を積まないと婦人部に行って苦労する」とか、「青春時代に信心の土台をしっかり築くことが幸福な人生に~」等と散々言われ活動してきた。しかし、婦人部に来たら相変わらず経済苦や家庭不和に悩む人が多数いる。すると、「相対的幸福より絶対的幸福が大事」とか「悩みに負けないことが幸せ」という指導。
いやいや、そうじゃなくて最初に言ってたことはどうなの?と。
これにも思わず納得の大笑い!「すり替え」もここまで来るとギャグの域w
この手のすり替えは日常茶飯で、すべて結果から導き出した「こじつけ」なわけです。実は私も子供の頃から、「信心してない人の方が幸せそうだな?」と思ったこと度々w
そもそも、新聞啓蒙だの財務だのF取りだのとノルマに追われる日常のどこが信仰なのか?
バリ活壮年・婦人は家庭をないがしろに、男女青年部は青春を犠牲にあらゆるチャンスを逃し、むしろ不幸になっているケースが目につきます。
そのくせ本部中枢は、女性問題や金銭疑惑が起きても会員に釈明もせず頬被り。池田レイプ裁判も弁護士を始め大言壮語していたので、まさかね?と思っていたら判決はなんと「時効」
釈然としませんでしたね。ただ、当時は裁判を早く終わらせるための方便かとプラス思考してました。
MC効果は怖いですねw
後に裁判を傍聴した人の手記を読み更に週刊誌を訴えていないことを知り、センセイの女性に関する数々の醜聞は嘘じゃないんだなと感じました。
都合の悪いことを突っ込まれたくないから会員には殊更、「愚直な信心」と指導するのでしょう。
本当に会員をバカにしていると思います。
自分たちの不始末は棚に上げ、会員の窮地には無関係と嘯く非情な体質。
真に救いの手が必要な会員(弱者)は置き去り、切り捨てているのです。
「同苦の精神」とか「一人の人を大切に」は単なるキャッチコピーだったのね。どこが宗教団体なんだかw
あまりに家が汚くて奥さん(バリ活)も不潔で、とうとう旦那さんが家出したという悲惨なお宅もありました。
創価脳的には『宿業』とか言ってましたが、誰がどう見てもそういう問題じゃないでしょうw
聖教の集金してて、女子部の幹部が汚部屋の住人だったりとかも。
極端な場合は脳の障害だったりするようなので、直接創価学会とは関係ないかもしれませんけどね。
ただ病気かもしれないんだから、『宿命転換』に付き合ってあげてくださいと今なら思いますが。
かくいう私も女子部幹部の汚部屋は見なかったことにしてました。
見た瞬間「これは相当ヤバい」と思いました。
そりゃ「集金は会館で」と頑なに言うはずだわと。
そりゃ何ヵ月も未払いになるわと。
でも、指摘したら本人もさぞや恥ずかしいだろうという遠慮と、もうこれ以上用事は増やしたくない、というのが本音でした。
創価学会の信頼関係なんてその程度です。
インテリアに興味があるとか無いとか
片付けが上手とか苦手とか
そういうのは関係なく、奥さんがバリ活のお宅に共通していたのは殺伐とした雰囲気。
・・・だったような気がします。
我が家もそんな感じになっていたと思います。
書類や書籍や配布物、どんどんたまる聖教の山。手元に置いておかないといけないダサいデカカバン。デーンと場所を取りすぎの仏壇。
そういう愛着を感じないモノに、限られたスペースを占領され、
いつなんどき、赤の他人の学会員が上がり込んで来るかわからない。
我が家なのに、落ち着かないし、なんだか寛げない。
当の住人がそう感じているのだから、そりゃあ殺伐としますよね。
子供たちはどう思っていたのか・・・。
こんなの絶対おかしいですよね。
自分の家って、とても大切です。
創価から離れてやっと、ささやかだけど心から落ち着ける我が家を手に入れることが出来ました。
あ、にゃんこさんも相変わらず毎日やって来ますよ(^^)
子供たちが網戸越しに遊び相手になってます。
でも野良ちゃんなので何か怖い思いをしてきたのか、警戒心がすごくて。
雨風がしのげればと思って、ちょっとしたにゃんこハウスを置きました。中で寝てることもありますが、丸一日姿が見えないこともあるので、きっと他にも自分の場所があるんでしょうね。
まあ付かず離れず、仲良くやってます(^-^)v
大型台風が近づいてますね。
皆さまもどうぞお気をつけてくださいね。
『ゴミ屋敷』ありますねえ。
案外 幹部の家がそうだったりして(笑)
圏の婦人部長が「学会活動が忙しくて衣替えする暇もないわ」と得意気に言ってたんですよ。
なんでも服は季節に関係なく部屋に乱雑に山にして置いてあるだけとか。
一家の主婦がそんなんですからね。ご主人は浮気し娘さんは不登校になったと人づてに聞いた時はさもありなんと思いました。
もう1人の大幹部は
「毎日選挙の闘いで忙しいから店屋物か弁当買って食べさせてるわ。
家族には迷惑かけるけど、広宣流布のためだもの文句言わないわよアハハ」と。
その家の玄関先には毎日のように出前の丼が置いてあり近所の人も呆れてたようです。
そうそう以前 地区の拠点のお宅は掃除する暇がないのかなんなのか、不潔にしているせいでしょうね。
座談会が始まる前にネズミがチョロチョロ仏間に現れたものですから キャー!と大騒ぎになり壮年部が奮闘(笑)して捕まえたことが。
失礼ながら台所もトイレも汚くて 会合の日くらいお掃除しないのかな?と思ったほど。
拠点の家主は地区婦で出歩くのが大好きな人でした。
ネズミ出没以来、その家で出されたものは食べる気になれませんでした(笑)
まずは自分の家をきちんとしてから活動しろよ!と思います。
そういえば昔、母に
「家の中ピカピカ磨いていても功徳はない。その分、学会活動に使いなさいと言う指導があるんだよ」と言われたことがありましたねえ。
本来はシニフィエさんのブログにコメントすべきなのでしょうけれど…かつてロム専だった頃、亡くなられた御主人のお話に衝撃を受けたことを思い出し再度こちらを読み返しました。
軽々しく言葉にすると安っぽくなってしまいそうで、なんと表現したらよいのか…祥蘭さんのところでも紹介させていただいたのですが…外部の方が話していた言葉を思い出しました。
曰く、「学会の人はいつも毅然としていて凄いと思うけど、人が亡くなっても何しても毅然とし過ぎていて怖いわ」と。
当時はMC下の私でしたが、内心その通りだなと感じました。
大切な人が亡くなった時に理屈なんていらないと思います。私は大好きな身内が亡くなった時、悲しみはもちろんでしたがショックの方が大きかったです。
特に突然、逝ってしまった祖母のことは今でもフラッシュバックします。
一つ救いがあるとすれば、我が家の親戚は大半が外部なので葬儀はほぼ伝統仏教式です。弔問の方も型通りの挨拶で、親しい方はそれなりの言葉をかけてくださいます。他人があれこれ決め付けるなんておこがましいと思います。
池田氏の指導に「生も歓喜死も歓喜」とありますが、仏典のどこにあるのでしょう?これにはMC当時から合点がいきませんでした。仮に仏典にあっても私は理解不能です。
大人ですから、人前で涙を堪えたりすることもあるでしょう。しかし、悲しいときに泣くのも人間だと私は思います。
あまりのショックに泣けないこともありますが…
創価の人の話を見聞きしていて、ひょっとして痩せ我慢しているのじゃないか?と感じることがあります。人間らしい感情もなく、「人間主義」なんてお笑いですよねw
クロさん、突然テーマと違う話でごめんなさい。
失礼しましたm(__)m
今日の聖教1面は イギリスの公益学術団体【ダイアログ・ソサエティー】の専門書に名誉会長に関する論文掲載が決定したとの記事。
まっ 私はそのような団体は存じ上げませんが(笑)
「世紀を超え、国境を超え、文化の差異を超えて、言葉の力で人類を結んできたSGI会長。その業績を高く評価した同団体から要請があり、年内発刊の専門書に紹介される運びとなった…」とか。
思わず「言葉の力で」を「お金の力で」と読みそうに(笑)
それに向こうから「要請があった」んですかい?(笑)
1枚写真が載っていて「多くの学者が出席した学術会議。 『池田博士の対話の理論をもっと学びたい』との声が寄せられた(ロンドン市内で)」とありました。
この学術会議、20人くらいが集まって『行動する仏教ー池田大作の哲学と実践』をテーマに話し合ったようです。
毎日精力的に執筆活動してるんだ、諸行事にもお忍び(笑)で参加してるんだと言いながら 実は会員の前に丸4年も姿を現してないSGIのトップをそんなに持ち上げてもいいのかな(笑)
あら、ふと1面下の広告に目が行きました。
どでかい見出しの【青年抄 池田大作】です。
「大絶賛! 19刷突破1000円+税」
発行元は聖教新聞社ではなく徳間書店ですねえ。 ほぉ~ 外部の業者に儲けさせてあげるわけですね。
聖教から出したり外部から出したりって、どう決めてるんですかね。まあどうでもいいことか(笑)
寸鉄に
「長期失業者が4年ぶり100万人未満に。
安心・安定へ公明が後押しを更に」なんてのが。
「安心」で思い浮かぶのは 公明党が盛んにアピールしていたキャッチフレーズがありましたね。
「100年安心年金」「100年安心年金」
あの時でも100年?よく言うわと思ってました。
結果、年金なんてもう破綻してるし。 夫が「確か100年安心と言ってたよな。 現実はなんだよ! 言った奴は責任取れよ」と怒ってました。
大体100年後なんてみんな亡くなっていて、誰が証明するのやら。浅はかなうたい文句作るなよ!です。
そうそうきのうの 【わが友に贈る】は
「多彩な人々の はつらつたる活躍で 広布の裾野は拡大! 皆の個性を生かし 総合力で道を開け!」だそうです。
個性なんて1番嫌うくせにね(笑)
お気遣いありがとうございます。
こちらに初めてコメントさせて頂いた頃に比べたら、生まれ変わったようにシャンとしたんで、ほんとにもう大丈夫なんですよ。
ただ忘れてしまう前に、言葉にしておきたいんです。
仰るとおりですよね。
単純すぎるんです。
なんでも簡単に片付けて、そして一刻も早く活動させたいんです。
「嘆きに負けるな」
「感傷は捨てろ」
「あなたがいつまでも泣いていては部員さんに示しがつかない」
「現場に戻って来るのをみんなが祈っている」
「悲しみを乗り越えて体験を語れ」
『強くあることが勝利であり幸福』と言いたいのでしょうが、
哀しみなんて本人もうまく説明できないほど複雑なものを、そんなに単純な方程式のように言ってのける神経。
そういえば『方程式』もお好きですよね。
相手を馬鹿扱いしている証拠ではないかと思います。
私は全力で拒絶反応でしたが、でも、「そうだ!その通りだ!」という人もたくさんいる。
これがMCのなせるわざかなのか、もともと性に合っている人が多いのか、地域がらだったのか。
この人たちは本当に同じ人間なのかと思いました。
ただ救いなのは、そういう喧騒の中、20代30代の若い世代は口をつぐんでいてくれたこと。
やいのやいのと元気に大騒ぎしていたのは中高年以上ばかりで、今の創価学会を象徴しているようにも感じます。
クロさんが何度か言ってくださったように、その前からすでに私の覚醒は始まっていたんだろうなと思います。
『生も歓喜・死も歓喜』
懐かしい・・・。
そして変です・・・。なんのこっちゃです。
そんなだから、あの墓苑の姿になるんでしょうね。
あんな僻地でオモチャみたいな墓石、行くたびにゲンナリです。
講堂での勤行ももう馬鹿馬鹿し過ぎてやってられません。
覚醒したけれど創価学会の墓苑をお持ちの方、皆さんどうなさっているんでしょうか。
実はカノンさんのファンです!
文章からお人柄などが感じられ、いつもほんわかさせていただいております。
そういういいかたが組織からどんどん離れていくのですね…。
覚醒して5か月ですが、間違いなかったと思えます。
新聞も先日やっとやめられました。
お仏壇だけは片付けられなくて、まだお水もご飯もあげていますが、徐々に落ち着いたらと思っています。覚醒直後は自分の気持ちが不安定になってつらかったですが、今はやっと落ち着いてきたところです。
これからもロムさせていただきます。
クロさんのネコさんも楽しみにしています(*´ω`*)
コメントありがとうございます。
いやー、私みたいなのが娘なら、それはそれで大変ですよ^^;
自分で言うのもなんですが、口は達者な上に身内に容赦なく、姉弟の一番上として絶対的権力を振りかざし・・・w
何と言いますか、態度がとてつもなく偉そうなんですよw
私も学会がこんな組織だと知ったのは5年前。
間もなくブログを開始したので、ほぼブログ年齢と一緒です。
招き猫さんと同じく、全く別のアプローチから入ったものでしたので、相当なショックがありました。
学会に対してというより、こんな社会悪が平然と宗教団体として日本に蔓延っているのか、というのがショックで。
それまでは政治や社会問題に対しても本当にお花畑な認識しかなかったので、日本でこんな悪いことができるとは思っていなかったんです。
今思うと恥ずかしさの余り悶絶しそうな大甘の認識です。
そういった意味では、私は創価学会の問題を通じて社会、日本の持つ問題や闇の部分というものを意識するようになり、とてもいい勉強になっています。
学会のことを知ってから、私は日本のことが大好きになりました。日本には素晴らしいものが溢れているのだと、気づかせてもらいました。
気づかせてもらったことには、感謝しないといけないかもしれませんね、学会にw
ゴミ屋敷に住む学会員さん、全国にいるようですね。
優先順位が狂っているのが原因かと思いますが、その原因を作っているのが学会の考え方や指導であることは間違いないですね。