『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

僕と『みらい』

2015年01月19日 | Weblog

今日はNHKの『仕事の流儀』と言う番組を見て『かけ継ぎ』の職人技に感動。
http://www.nhk.or.jp/professional/2015/0119/index.html
かつて、僕は日記の中で『プロフェッショナリズム』などと、書いた事が有るけれど
こう云う御仁のいう言葉の重みに比べたら何とも軽くて恥ずかしい。

でも、親しい友人からこの番組に出て来る人の言葉は、
僕がいつも口にしている事と『同じ事を言ってるよ…』と言われる事が有る。
技量ややって来た事の内容は抜きにして、そう云う意味で僕は
プロフェッショナルの端っこに入れる『職人的技術者』なのかな?…って嬉しくなる。

この番組の最後に流れる、スガシカオの唄『Progress』と言う唄が好きです。
この唄の歌詞を聞くと、いつも胸がジーンとするのです。
特に『誰も知らない世界へ向かって行く勇気を“ミライ”っていうらしい』
と言う部分が、技術者として生きてきた自分にとても響く歌詞です。

そうそう・・・・、この“ミライ”という言葉に僕は凄く縁がある。
一つ目の“ミライ”は、
僕が今のシニアチームを作る前に所属していたサッカーチームの名前。
昭島市のシニア部門では、圧倒的な強さを誇っていたのだけれど、
寄せ集めのメンバーで勝てば良いみたいなチームの方針が嫌だった。
『こんなチームに勝たせてはいけない』と、別のチームを作って、
このチームを倒すことを目標にした。

最初の年は、シニア部門の決勝でPK負け。
最初からPK戦狙いで、ゴール前を固めて攻めて来ない。
そんなチームには、圧倒的な強さを見せつけてねじ伏せるしかない・・・・
結局、僕のシニアチームはシニアチーム相手に、一回も試合では負けて居ない。
負けたのは勝敗を決するトーナメントでのPK戦だけ・・・・
(負けは負けですが記録上は引き分けです・・・・笑)
昭島市では、向こう何年かはこんな状態が続く気がします。

それで、今年は他の市町村のチームと対戦して自分たちの実力がどのあたりなのか?
今週から3月まで、色々な大会に出て楽しむつもりです。

二つ目の“ミライ”は、今の部署に来る前の大仕事、
科学技術振興機構(JST)と東北大学の『MIRAI21』というプロジェクト名。
Microscope for Innovative Research and Advanced Investigation
(革新的な研究と高度な解析の為の電子顕微鏡)の略で後ろにつく21の数字は、
プロジェクトが立案されたのが1998年だったので、21世紀と未来をひっかけてのものらしい。

このプロジェクトは2001年まで別の人が担当していた。
ところが、目標の性能どころかまともな画像すら得られない。
約2年以上経過して、何の進展もなく担当者は会社を辞めてしまった。
それでその当時、超高圧電子顕微鏡を担当して、新しい電源を搭載したばかりの僕に
白羽の矢が立って、担当する事になった。その張本人で僕を引き込んだのが、
恩師でもあり、僕に絶大の信頼を置いてくれていた、今の子会社の元社長。

すでに2年が経過して居る装置の、現状調査に始って、不具合の改造を施して、
何とか画像を見るところまでは行き着いたけれど、それでも限界が有った。
それで今までの物を全て捨てて、僕がゼロから設計し直す事になった。
取り合えす、期限の2004年春までに形にして、データーだけは取れるレベルにする。
それ以降は、プロジェクトを延長して社内で装置を預かるという形で、
学会に出すデーターを取りながら、装置開発に取り組んだ。
結局、大学にプロト機を納めたのは2008年。立案から10年が経過して居た。
でも、この間に目標だった電子線のエネルギー幅は0.2eVから0.09eVまでになって
『アクロマチックビーム』と言われる丸いモノクロの電子線を出す事に成功した。
電子線を丸くするだけで2年も費やしたのだから、長い道のりでした。

ところが、その装置の商品機を設計して、プロト機を納入している間に、
いつの間にか担当から外されて居た。
そんな事もあって、僕は部署を出て今の子会社へ・・・・
この“ミライ”も最終的には良い思い出に終わらなかった。

そして3つ目の“ミライ”
3年前に実家の跡地を利用してアパートを建てた。
今、僕が生活拠点にしている『秘密基地』です。このアパートの設計をしたのが
『みらいテクノハウス』という、杉並区界隈の設計建築業者。
カスタムメイドで、かなりの金額を投じて作ったアパートだけに、
居室の仕上がりなどは及第点と言って良い。
だが、細かい所を見るとコンセントの位置や、外気の導入口等がアパート向きじゃない。
一軒家を専門に扱っている建設会社だけに、アパート建設はほぼ初めてと言って良かった。
それでも、建物には文句は無かった。

ところが、建設して3年間、一回も点検に現れない。
と言うのも、その当時『住宅エコポイント』があって、申請をしてくれる手筈になっていたのに、
営業担当者が忘れてしまい、90万円分のエコポイントがパー。
僕がそれについて文句を言ったら『そんな事は請け負っていない』と開き直った。
その上、4月に入居予定で引き渡しのはずなのに、引き渡しが完了したのが5月上旬。
この間の遅れで入居者が集まりにくかったり、家賃収入について、何の補償もなく、
言い訳のオンパレードと、開き直り。更に外構工事も1カ月遅れで完成したのが6月だった。

そんな事が有って、僕のところには一切顔を出さなくなった。
大人げの無い対応な上に、顧客を見て居ない典型的な『ダメな会社』だった。
そんな訳で、僕には“ミライ”という言葉が、どうも胡散臭く感じるようになってしまった。
駄洒落じゃないが、僕の過去の“ミライ”は全て暗かった。

明日、正確には今日になりますが、59歳の誕生日を迎えます。
定年退職まで1年丁度になりました。
さて僕の定年後、この先の“ミライ”はどんな事が待っているのでしょうね?
少なくとも“ミライ”という名が付くものには手を出さない方が良さそうです。

コメント
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