日本精神史における歩き聖・・・・なんてぇ原稿を書いている。関わっている某郷土史研究会に投稿するつもりである。というより、あいさつ原稿を書けと言われているので、書かざるを得ない。
まだまだ原稿を書いて、千葉市で行われる文化講座でくっちゃべっていきたい。なんでかというと、自分の勉強になるからだ。ボキのような無学・大愚・無一文のジジイには完成がないからだ。指導できるだけの実力がないからである。これをである。偉そうに、指導してやっていると自己規定してしまうと人生を誤る。もうこれ以上、間違った生き方をしたくない。教えていただいてこその我が後半生である。他人を指導するなんてぇことは、できない。笑われる。あのアホが、なにを考えているんだと。
日本の思想家には、むろんスーパーエリートで、すごいインテリでという方々も多い。しかし、その反対に庶民と共に生き、悩み、病気をし、そして一生涯を地位や名誉や金銭と無縁で過ごした方々もいる。
捨て聖と言われた一遍もそうだし、空也もそうだ。まるっきり乞食のような生き方をしたのかもしれない。
最近、ボキが圧倒的に影響を受けている尾畠春夫さんもそうだ。地位や名誉、金銭とは関わりがない。歩き聖である。だから、道ばたで待ち受ける。そして、パワーをいただいたと感謝し、写メを撮って喜んでいる。それこそが、日本精神である。尾畠春夫さんは意識していないだろうけど、これはまったく中世の宗教家のような生き方でもある。
これをである。まるっきり乞食ではないかと批判している御仁が、昨日のYouTubeにいたのだ。アホかと思った。批判している御仁にできるのかと思った。むろん、ボキにもできない。できないから、完全にノックアウトされてしまったのである。
中途半端なインテリ族にこういうのは多い。知ったかぶりばかりやっていて、行動力がない。他人の批判は得意で、嫌みはいくらでも言えるというアホである。
ボキは、インテリでもなんでもないから、知らないことは知らないとちゃんと言える。知らなければ、勉強する。それだけである。
インテリって、イヤな奴ばかりである。
良かったよん。インテリに生まれなくて。
わはははっはははっっはははっはははっははははっはははっははは。
さて、もう一つ。
観光旅行ではなくて旅に出るべきであると思っているが、なかなかこれが難しい。海外のことである。インテリじゃないから、語学ができない。連れていってもらうしかない。
翻訳機を買うつもりであるが、これまた3万くらいするらしい。どれだけ使えるかそれが問題だが、買うしかないだろう。
行ってみたい国は山ほどある。
体が動くなら、遠い國から行ってみたい。
死ぬまでには。そういうことである。
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