***の精神史という視点で本を読んでいると、タノシイ。ボキがやってきたことはこういうことであったのかと感じるからである。純粋な歴史分野ではない。歴史分野にはそれ専門の方々がたくさんいる。学芸員然り、郷土史家然りである。ボキの知人たちにもいる。そういう方々は、ボキのような出来の悪い人間にも指導してくださるから、実にありがたい。
精神史というのは、intellectual history というのだそうである。一口に「思想」とはくくれない知の営みの歴史を扱うにいたり、登場してきたらしい。ま、専門的にはいろいろあるのだろう。しかし、今のボキにはそんな難しいことはわからない。
ボキは仏教についてもよくわからないし、歴史分野についても同様である。なんでもシロウトなのだ。能力がなかったから、こういういい加減なジジイになっちまった。
しかし、悔いはない。これから専門家になろうとしても遅い。時間がない。ただし、追求はできる。自分の好きな分野である。それに、修行もしていない。仏教への、あるいはインドへの憧れは今でもあるが、これもまたシロウトである。さらに、中国敦煌との比較である。これもまた憧れだけが先行している。ガンジス河にも、敦煌にも行っていない。だからまだまだやることがあるのだ。そして、だからこそ遊んでいるわけにはいかないのである。
遊んでいたら、ボキ、後悔するだろうから。死ぬときに。やりたいことは、やって死にたいからである。その視点には他人を指導するというのがないのだ。指導されたいというのはあるが。
そしてそれぞれの専門家とお会いすることによって、刺激される。まだまだやることがたくさんあるぜぇ!って思わされるからだ。ありがたいことだ。実にありがたい。
バイトをやっていてもそうだ。6つもやらせていただいている。4月からは二つ減る予定であるけど。それぞれのスケジュールが違っているからできるのだが、それぞれの関係者がたくさんおられる。これが勉強になるのだ。
バイトというと一つしかやらないのが普通であろう。定年後の役割を一つに絞っている方々も多い。むろん、一つもやっていない方も知っている。完全隠居である。これもこれで結構なご身分である。
そこで、ボキである。
***の精神史という考え方にあるから、定年前の3倍働こうと思っているのである。たこつぼに入らないで、それこそたこつぼを渡り歩こうと思っているのである。次から次へと。
どうせ暇だからできるのだが。
それに健康だからできるのだ。
暴飲暴食もしないし。
ギャンブルもやらない。
アルコールと香水が大嫌いだし。
要するに、危険な場所には近寄らないのだよ。
わはははっはあっはははっははははっはははっはあっはははっはははは。
今日も暇だなぁ。バイト先で行事があって、雨だったら出かけることになっていたが、曇りあるいは晴れだそうだから行かない。図書館でも行くか。歩いて。スパでもいいやなぁ。暇だから。
(^o^)/~~~