月山・鳥海山精霊の旅その5 奥の細道北限象潟松島と比較されるほどの象潟の風景であったが、大地震で隆起した海岸が、芭蕉の時とは違っている。この句もまた、死を見つめて旅した芭蕉の覚悟が伝わってくる。...
月山・鳥海山精霊の旅その5 奥の細道北限象潟松島と比較されるほどの象潟の風景であったが、大地震で隆起した海岸が、芭蕉の時とは違っている。この句もまた、死を見つめて旅した芭蕉の覚悟が伝わってくる。...
愛なんて嘘・・・・・えっ?
原稿の枚数が318枚になって午後からも書くつもりが、中断してしまった。そうなのだ。別の科目を勉強し始めてしまって、結局疲れてしまった。それにwifeのショッピングにもつきあって、ズボンも買ってもらったので。結局、財布を握っているのはあっちなので。
(´・ω・`)
さらに、英語のテキストを買って5×3カードでメモをしていた。いろいろやっていたら、今度は2台あるプリンターのうち、一台のインクカートリッジが無くなってしまった。こいつはコピー機も兼ねているので、ないと困るのである。そう、オイラは家でかなりコピーをするので。それでも、在籍大学の研究誌に出していただく原稿書きをしていたときに、参考文獻のコピーをとり忘れたりしたので、ご指導いただいている方々に叱られてしまったから、気をつけないとならん。これから、まだまだオイラの生涯学習は続くからである。21:08、Amazonに注文した。カートリッジを。土曜には来る予定である。
まだ、生涯学習から引退するわけにはいかん。今の学校を除籍されても、他に探して継続するつもりであるから。
なに、相手はなんでもいいのである。通教でもなんでもいい。もうチャレンジあるのみである。これまで猛烈に働いてきたから、オイラには惰眠を貪るとか、サボリとか、不純異性交遊とか、不倫とか、離婚とか、恋愛とか、パチンコ狂いとか、アルコール中毒とか、賭け事基地外とか、そういう遊びが似合わない。白河法皇のように、「遊びをせんとや生まれけん」などと白拍子に歌わせたりして、遊んでいる暇はないのである。よって、そういう輩とも話をしない。時間の無駄である。やっぱり、勤勉で努力している人と話をするのが、一番楽しい。時間も有効に使える。だって、オイラには、もう時間があまり残されていないのだ。あと、何年生きられるかわかんねぇではないか。遊んでいる暇はないのである。そいうのは、おバカキャラに任せておけばいい。現象面だけをおっかけて、本質をまったく考えようともしないおバカキャラにである。あ、オイラはそのおバカキャラをはるかにしのぐ、ちょ~おバカそのものでしかないがねぇ~♬
さて、5×3カードで暗記をしているのだが、こいつがなかなか難物である。
この間行ったレストランの名前も忘れてしまうのだ。自分が嫌になっちまう。旅行もそうだ。地名と思い出がなかなか一致しなくて困っている。さりとて、それをACCESSあたりのデータベースにしておくのも忌々しい。ACCESSは相当仕事で使ったから、もういい。飽きた。なんでもかんでもACCESSで管理していた。教職員の休暇なんて特に便利だった。出張管理も。
今は、もうやらない。読書カードは残してあるけれども。ACCESSで作ったやつ。
入力自体が勉強になっていたのだなぁと思う。懐かしいけれども。でも、もういい。やらない。
やはりその年齢の時期によって、やることの内容が違っていたほうがよろしい。いつまでも、愛だの恋だのとやっている輩を見ていると、かわいそうになってくる。
「愛なんて嘘」という本がエラク評判がいい。今、眺めている最中である。Twitterでも取り上げられている。白石一文さんの作品である。白石さんが、有楽町の三省堂で書いていった色紙にあるが、「愛とは嘘を信じる力」というのも、オイラは真実に近いことだなぁと感じているからである。
愛だの恋だのと信じて、渡辺淳一の書いた「失楽園」のように、二人で死んじまうのはちょっといかがなものかと思うからである。所詮この世は、嘘でできあがった張り子の虎みたいなものなのであろう。愛は絶対ではない。崩れ落ちることもあるからである。そもそも、絶対なんてこの世の中にはないのであろうというのが、オイラの高校生時代からの基盤であるからである。
あ、ひとつだけあるな。
オレのバカさ加減は、絶対であることよん。
ああああああああああああ、ばかばかしい。
これからちょっと駄文書きをしてそれから寝る。
明日はまた早起きである。
(^_^)ノ””””
塾から帰還せり。22:45である。風呂から出た。
最初に、小学生の女子から手を振られた。駐車場から、塾の玄関まで歩いていたときである。
他の誰かに手を振っているのだと思って、思わず後ろを見たくらいであった。
「スリッパせんせぇ~」と云ってくれたので、初めてオイラに声をかけてくれていたのがわかったのである。
そう、オイラは自分用のスリッパを持参しているからである。なに、なんということはない。水虫なので、自分用のスリッパを持参しているのである。(>_<)ゞ
塾は楽しかったな。高校2年生の英語が二人、高校1年生が一人。あとは中学2年生の国語。3人女子。一人だけオトコ。まぁ実に珍しいこともあるもんじゃ。高校生の英語にはサイト・トランスレーションで指導した。高校では教わっていないらしい。受験校なのにねぇ。全文和訳の前にやることがあるだろうに。
中学2年の女子は、漢字の記憶が弱いというので、これまたオレ独特の漢字暗記法を伝授した。薔薇も、憂鬱も書けるようになった。5×3カードを今は使っているので、カードを作成させてtestもしてみたら、90%できるようになった。
わはははっはである。
で、帰ろうとしたら、今度は高校3年生の女子が、オレを待っていてくれて、帰してくれないのだ。小論文を見てほしいというので、あちこち赤ペンをいれてみた。進学校なのに、なんで書けないのかねぇと思った。とほほである。ついでにオイラの紙袋の中に、クオリティ・ライフという本があったので、これとこいつを柱にして、こうやって書くのじゃよんと指導をした。宿題にしてあげるから、来週書いて持ってきてと云った。その本は、来週返してくれればいいから、と貸してあげた。
なんだか、やたらと今日は、オレ、女子生徒にモテモテだったよん。珍しいこともあるもんじゃ。女難という理由で、明日でご臨終じゃぁねぇだろうな?・・やぁだよん。
(^_^)
今度、オイラの小論文講座を独立してやってもらえないかと経営陣に聞かれたので、快諾した。一斉授業でやりたいという。4階の講義室で。こっちも、オイラは自分でも現在快調に書いているから、「今でしょ?」のセンセみたいにやりまひょうか?と云ったら笑われてしまったよん。
いつも一言多いのじゃな、反省反省。
じじいになったのだから、おとなしくしていようっと。
(;_;)/~~~
無理無理、無の境地にはなれそうもない(^_^)
顕密体制ということを考えることがある。これは、日本の中世期を勉強するのに常識なんだけど、確かに、最澄・空海の影響は大きい。権門体制も顕密体制と密接に関わっている。だから面白いのである。こうした観点から房総の歴史を眺めるのもまた一興である。一興どころか、論文という名の駄文書きにかなり入れ込んで書いている。
昨日、千葉市にある県立中央図書館まで行ったのも、ある郷土史の研究グループが本にして出した津浪のことに関する古文書の解読が怪しいと思ったので、確認に行ったのだ。実際、疑念が起きたら別の書籍で確認するしかない。結果は、オイラの思ったとおりであった。ま、これ以上はそのグループの名誉のために書かない。そういうことをするのが楽しいというだけである。否、人のミスをあげつらうことではない。調べることが楽しいのである。それだけである、それだけ。
顕密体制ということで、オイラは実は四国八十八箇所巡礼に興味を持っている。中国に行くことよりも興味がある。高い実現性があるからだ。なぜか。空海に興味があるからである。それに歩いて行ける。(関東から歩いていくという意味じゃぁないっすよん)健康にもいい。白装束で、金剛杖をついて、空海と共に歩く。いいなぁ。信仰はない。相変わらずない。だからバカだと云われるのだな。つまり何でも教である。なんでも宗教となったら勉強する。15歳くらいからそうだったので。大学学部も、仏教学科を志望していたのだが、教員になれないと聞いて断念してしまったっけ。生涯の悔いである。新聞配達して進学したのだから、あのまま初志貫徹して仏教学をやりゃぁよかったよん。誰にも迷惑をかけていなかったのだし。入学金も、授業料もてめぇで払ったんだから、文句を言われる必要はなかったなぁ。悔いですよん。悔い。
今、NHKでその巡礼を取り上げている。趣味ドーラクとかいう番組である。録画を撮って楽しんでいる。室戸岬の空海が修行した場所にも行きたい。楽しいだろうなぁ。
空海は、欲望というのも否定しない。理趣経というのがあの宗派にはあるが、あれはなかなか面白い経典である。これ以上ここには書けないが、一度読まれてみたらいい。つまり、人間は「無欲」とか「無我」の境地になれるとは、オイラは思っていないので、この経典に賛同するのである。「無」というのは、第一、無理がある。欲望を消すってできますか?そこのあーた、あちらのきーみ。消すというより、上手にコントロールするのがいい。オイラはそう思って生きてきた。だから一見世間を捨てているように見えるらしいのだ。なにも、世間を捨てたわけではない。捨ててはいない。「観察」しているだけである。
ドンファン気取りで遊びまくって相手と摩擦ばかりとか、その結果の離婚とか、遊びすぎて破産したとか、遊びすぎて病気になっちまう大学生とか、いろいろ人生にはあるんだろう。それも人生だと思うし、だからこそ人生はコントロールしていくことで楽しめるのであると思うのである。若いということで片付けてはアカン。そういうのを書いてエライ作家になった方も多いではないか。村上春樹とかである。
さ、今日は昨日の遅れを取り戻さなくちゃならん。
材料はたくさんある。
これしかないからなぁ。
オイラのできることは。
(;_;)/~~~
死というものは、必ず、いつか、みんなにやって来るもの。でも、今をどのように生きて行くか、何をしたいか、生きることに本当に真剣になれば、死ぬことなんて怖くなくなるもんです。
50歳以上の男性の3人に1人が悩んでいるとされる軽い尿漏れ。これまでほとんど表面化しなかった市場に、日用品大手がパッドやライナーなどの対応商品を続々投入しています。 goo.gl/aKd9tw
【京都・風俗博物館】 2002年8月撮影。実物大展示室の様子 その3。
夏の直衣姿の人形をいろいろな角度で撮ってみました。
※写真を3枚添付しています。 pic.twitter.com/nGodbqHPqe
【京都・風俗博物館】 2002年8月撮影。実物大展示室の様子 その2。
袿姿の人形を様々な角度で撮ってみました。
※写真を3枚添付しています。 pic.twitter.com/uzs7NKWFO6
【京都・風俗博物館】 2002年8月撮影。実物大展示室の様子 その1。
十二単姿の人形を様々な角度で撮ってみました。
※写真を3枚添付しています。 pic.twitter.com/0XGj3yWquf
非良心的な行動が褒美を受け、良心的に行動すると経済的に破滅するのが今の経済システムです。この経済システムは、それ自体が非倫理的です。私の考えでは、その原因は今日の貨幣、つまり好きなだけ増やすことができる紙幣が未だに仕事や物的価値の等価代償だとみなされている錯誤にあります。
■「命とはなにか。それは、夜の闇にまたたくホタルのきらめき。凍てつく冬の空気にバッファローの吐く白い息。草原を走りまわり日没とともに消えてしまう小さな影。」【インディアンの言葉】
方針が決まったようで。その名は東北医科薬科大。→「新医学部は東北医科薬科大 文科省有識者会議が方針 復興支援目的」。
応募していたのは他に「宮城県立医科大(仮称)もしくは宮城大医学部(同)」「国際復興記念大(同)」。
sankei.jp.msn.com/life/news/1408…
非正規依存率が高い職業。調査員96.0%,接客社交従事者73.2%,飲食物給士72.1%,訪問介護従事者70.5%(2010年『国勢調査』)。
困ったことに最近じぶんが撮った写真に自信を持ち始めているのだけど(笑)こういった写真はほんとうに好く撮れてるのではないかと思う。> 新野の盆踊りの娘たち pic.twitter.com/hwdW1YYvCN
パリサイ主義は、善良な人間の堕落といったものではない。むしろ、それを相当に持ち合わせているということこそ、およそ善良であることの条件なのである。-善悪の彼岸-
どんな女も結婚すべきであり、どんな男も結婚すべきではないとつねづね考えている。(ディスレーリ)ーーー #愛なんて嘘 (名言バージョン) pic.twitter.com/QKT3lVuzOS
#愛なんて嘘 人はこんなふうに考えられる物だろうかと拒否する心の一方の奥深くでわかる気がする・・と混乱に陥りながら引き込まれ読み・・明け方、死んだあの人と遠い日に別れたあの人を見てしまった。夢ではなく・・
宮本常一の故郷周防大島で海辺の鳥居にカメラを向ける石川直樹さん。 >平凡社コロナブックス 『宮本常一と写真』 heibonsha.co.jp/book/b181273.h… pic.twitter.com/toe3St5BR9
[戦争に基づいている諸帝国の]平和によって、疎外された諸存在が、失われた自らの同一性を取り戻すことは出来ない。そのためには、存在との本源的で独特な関係が必要なのである。-全体性と無限-
芝居を見るという経験には、心を救う効果、つまり治療の効果がある。そういう経験の属する次元を変えない限り、それは人生に必要不可欠なものだ。ところが経験の成立するレベルを混同すると、経験は、人生に危険なもの、人生を破壊するものになる。
『先祖と日本人』畑中章宏 著 を読んで考えた。仏教では限りない前世の父母達も供養の対象とする。回向文の「七世の父母」がそれだけど、実際は家長に繋がる今生の先祖のみの考えを出ないのは、檀家制度の弊害なのか、それとも日本古来の先祖供養が故郷と呼ぶべき聖域なのか・・単に寺の無知なのか?
『国勢調査』の職業別の年齢統計はオモロイ。平均年齢の若い職業は,たとえばバーテンダーが35.8歳,職業スポーツ選手が34.8歳,幼稚園教員も37.1歳,保育士も38.6歳と若い(2010年)。離職率高いものな。
自動車運転従事者の年齢ピラミッド。なんと。2010年の時点で60前半が最多。運転手の高齢化も進んでいる。平均年齢は50歳。 pic.twitter.com/2wHYt1zdBs
霜月祭といって、日本中の神様を呼び出してお風呂に入れて元気にするっていう非常に面白いお祭りがあるんです。静岡とか岐阜の方にあるお祭りなんですけどね。僕はそういうものを研究しているわけじゃないんですけど、大好きですから。
amzn.to/obhrmF
NHK NEWS WEB 相次ぐバス運転手の意識消失事故 www3.nhk.or.jp/news/web_tokus…「運転手不足で、1人でも欠けると勤務のローテーションが維持できなくなってしまうため、健康リスクがあると分かっていても、再検査にいかせていない」。
浪人生の減少。『学校基本調査』から推移を描くとこう。1980年では実数14万人,比率34%だったが,2014年現在では8万人,14%まで減っている。 pic.twitter.com/724ft2oOsK
人生は一場の芝居だと言うが、芝居と違う点が大きくある。芝居の役者の場合は、舞台は他人が作ってくれる。なまの人生は、自分で、自分のがらに適う舞台をこつこつ作って、その上で芝居をするのだ。他人が舞台を作ってくれやせぬ。(「竜馬がゆく」) goo.gl/ufbs
本来のキリスト教の考えによると、「神というもの」はこの地上の人々の間に顕現するわけで、天地創造の結果であるこの世界自体、神の精神の示現なんだよ。世界をそういう統一体として理解するなら、現実にはもはや此岸と彼岸の区別なんてなくなってしまう。
理科大は今後2年で入学定員を増やす模様。高校生の皆さん、いかがでしょう。→「工学部、工学研究科及び経営学部の再編について」
建築学科90人⇒110人
電気工学科90人⇒110人
機械工学科90人⇒110人
経営学部240人⇒480人
tus.ac.jp/news/news.php?…
今しかいけない神秘ウォーク 那智勝浦で実施-熊野那智大社が特別許可- travelnews.co.jp/special/west/1… 那智勝浦町観光協会では2015年2月14日から5月17日の期間中(毎月1日と14日を除く)、語り部が案内する「今しかいけない那智原生林をゆく神秘ウォーク」を実施
代ゼミ20校閉鎖、受験生のニーズに追いつけず :日本経済新聞 s.nikkei.com/1p7Xu9w「1つめは浪人生の減少と現役志向の高まりだ。競合はいち早く現役生狙いにシフトしたが、代ゼミは出遅れた」。
マルクスの最大の誤りは資本主義を変えようとしなかったことです。マルクスがしようとしたのは資本主義を国家に委託することでした。つまり私たちが過去の70年間、双子のようにもっていたのは、民間資本主義と国家資本主義であり、どちらも資本主義であって、それ以外のシステムではなかったのです。
趣味でやっているからできるんですね~
原稿の修正をしていた。一日中である。21:07だから、12時間はやっていたことになる。今日はさすがのオイラもgymに行っているしゃれっ気はなくなっていた。お目々が血走っていたのかもしれない。夕方4時から千葉市にある県立中央図書館にも、愛車を飛ばして行った。高速道路である。どうしてもコピーをとらなければならない書籍が、その図書館にしかなかったのである。いつも使っている居住地の大図書館から紹介状を書いてもらって、行った。
たった30枚程度のコピーをするのに、往復の時間、高速代、ガソリン代をかけて、即行動である。
まったく行動力はある。じじいのくせして。
問題は、頭の中身が空っぽだということだよん。
一昨日から、あるレストランの名前を思い出せないのだから、困っているんだ。真性のおバカですよ。こんなんでは、在籍大学は辞めさせられるな。「器に非ず」というやつじゃ。
趣味で勉強しているんだから、どうでもいいことだが。
趣味だから、今日みたいなこともできるんですなぁ~。
本当に好きだよ。あちこち放浪しているのが。だからフーテンなんだよん。昔からそうだった。一箇所にいられないのだな。落ち着いて。そういえば小学校のせんせにも通知表にたくさん書かれてしまったっけ。「もうすこし、落ち着いたら優秀な子になれるのに・・・」って。見抜かれていたよ。まったくせんせのいうことは間違っていなかった。
そうなのだ。
未だに、オレは落ち着いた人間ではないからだ。
慌てものだし、勘違いも多いし、要するに能力ねぇのだよ。
しみじみとした、渋いじじいになりたいものである。
疲れた。
さ、今日は風呂はいって、それから論文をちょっと書いて寝る。
じゃぁねぇ・・・
浄土で安らかに 室生寺座主ら被災地法要 | 河北新報 kahoku.co.jp/tohokunews/201… 東日本大震災からの復興を祈念した特別展「奈良・国宝 室生寺の仏たち」を仙台市博物館で開いた室生寺の網代智明座主らが25日、仙台市若林区に立つ慈聖観音立像「祈りの塔」の前で慰霊の法要
しずくの旅:山形のわき水 舟形町堀内松橋・薬師の水 飲んでも、目にも良い /山形 - 毎日新聞 mainichi.jp/area/yamagata/… 町文化財の松橋薬師瑠璃光如来像をまつる薬師神社。地元の人に聞くと、目に御利益があるという。
プチ修行&精進スイーツで人気の「高野山カフェ」が丸の内で開催 - ISUTA(イスタ)オシャレを発信するニュースサイト isuta.jp/24772/ 都心で気軽に世界遺産・高野山を体験できる期間限定イベント 8月29日~9月7日に開催される。
【FB掲載情報】本日、小野寺防衛大臣は、大雨による土砂災害の被害状況を把握するため広島市を視察しました。facebook.com/media/set/?set… pic.twitter.com/7VYekypkjf
魅力的な未来のイメージ、魅力的なビジョンは、既存の物の批判から生まれるすべての不快なイメージより多くの力を持っていると私は常に思っています。 『Zeit-Zauber』
[戦争の秩序の中]では、力の試練こそが現実的なものの試練である。とはいえ暴力は、傷つけ無化することにあるのではない。むしろ人格の連続性を中断させ、そこに自分を見出すことがもはや不可能であるような役割を人々に演じさせることにある。-全体性と無限-
滝田も竹本もある人間たち、たぶんマスコミが信じられた・・というか、マスコミと裏マスコミに動かされていた人たちにとってはヒーローだったんだろうと思う。
どこかで「本当に革命が起こるかもしれない」という気持ちもあったし。
わたしは、「革命が起こったら一番先におまえを処刑する」と全共闘のやつに言われていた人間だけど、連中は生き生きしていて面白かった。
自衛官だけでなく警察官も何人か殉職してますが、(自衛官・或いは警察官だった方やご家族の方は腹が立つでしょうが)テロしている方は「どうせ公務員だから一般人が巻き込まれて死んだのよりかなり多くお金もらえるだろう」くらいの感覚だったと思います。
「異常な時代に正常であるということは異常であることに他ならない」と、私なんかは思っていたから、何故?が知りたくて接近したけど陶酔できなかったし、殉職者は気の毒だと思うけど、この時代では当然、そういう事が起こるんだとも思っていた。
高橋和己の「邪宗門」で展開しているように、伏字ではなく発行禁止にして出版社自体を破壊してしまえればその本が存在しなかったようにできるのと同じで、大本教があったこと自体を歴史から抹殺することもできるというのは、当時は衝撃的だったけど、今はそんなことできないと思っているし。
愛する者の死と真向きになったとき、人は初めてその人への愛の深さに気づきます。「私の命と取り替えてください」と祈る時の、その純粋な愛の高まりこそ、この世で最も尊いものでしょう。
神が著作家になろうとした時に、ギリシア語を学んだということ――だが、人並み以上に学びはしなかったということは、なかなか妙味のあることだ。-善悪の彼岸-
夏休み:まだ8月なのに、あー終了 授業増で切り上げ進む エアコン整備が後押し - 毎日新聞 mainichi.jp/life/edu/news/…「新学習指導要領で増加した学習内容と授業時間を確保するため、夏休みを短縮する自治体が出始めた」。
【続報】広島県広島市における人命救助に係る災害派遣について
20日から実施中の人命救助に係る災害派遣活動に加え、24日(日)から入浴支援を実施しております。引き続き、関係機関と連携しつつ、全力をもって災害派遣活動を実施します。 pic.twitter.com/SobtGZ4vFh
床屋さんに行ってきます
朝から原稿書きをしていた。9:26である。ちょっと一休み。これから床屋さんで剃髪をしてくる。予約したからである。なに、オイラの頭は、ものの10分で終わる。バリカンで、ちょちょちょいとやればいいだけである。鬚を剃るのよりも簡単である。床屋さんが大喜びするのだ。なぜか?楽だからである。同じカネで、仕事は他人の5%のチカラで済んでしまうからである。間違いない。直接担当者から聞いたからである。床屋さんにも喜ばれるじじい、それがオイラである。
そう、オイラは完全な坊主頭である。もう一つ付け加えると、この頭だと、完全にじょせーが相手してくれない。くれないから、まったくオイラは、完全道徳主義者であり、禁欲主義者になってしまったのだ。そうなってしまったのである。言わば追いやられてしまったわけである。望まないのにこうなってしまった。ま、いいか。どうでも。
いまさらである。
しかし、あれだね。世の中には、じじいになってもイケメンというのがいるからややこしい。もう、世間のしがらみなんかほっとけと云っても納得しないのである。この間、オイラに再婚の相談をしてきたのがいて、マイッタ。オイラとそんなに年齢が違わないのに、まだ老眼にもなっていない。自称だが。見た目も青年のようだ。ハラも出ていない。カミノケの量もオイラとは段違いである。つまりフサフサしているのだよ。詐欺だよん、それは。なんで青年のような格好をしているのだ?と聞いた。ジーパンはいて、真っ赤なシャツを着て、オイラは反吐が出そうだった。(^_^)
アンチエイジングも甚だしい。
そんなんだから、一人暮らしをしているしかないんだと云ってあげた。もっとも、あれか。そういふ一人ぐらしの男に同情するじょせーもいるかもしれないから、世の中は不思議なのであろう。
カネもあるしな、あいつは。それでも、完全に老後は迫ってきている。オイラはもう老後を楽しく生きているが、あいつもそうなってほしいとは思う。せめての友情である。
だからといって、再婚は無理だ。もう結婚なんておさらばしたほうがいい。老後は、お一人様で生きて行くと一瞬でも決めた以上、それはそれで死ぬまでそうなさったほうがいい。未練がましい。
オイラのように努力することである。配偶者への誕生日祝いにフランスに行くとか、そういう配慮がほしい。そうでなくちゃ、無理である。あ、もっとも、フランス行きは冗談で言ったら、引っ込みがつかなくなったというだけである。クチは災いのもとである。バカは、本当にバカである。おバカキャラどころではない。キャラではないのだ。真性のバカである。
けふの昼食は、香取神宮の近くにある旨い蕎麦を食べにいく。
二人である。
え?
誰と行くかって?
オイラなんかを相手にしてくれるのは、世界でたった一人しかいない。云うだけ野暮である。
午後はまた図書館である。そして夜は塾である。塾の方も楽しみにしている。校長をやっていたときの高校の生徒が、オイラをご指名で小論文指導をしてくれと云って来ているからである。彼女には、今日も参考文献をたくさん持っていって、指導する。これがオイラの唯一の楽しみだな。まったく、まったく。
じゃぁ、床屋さんへ行きますぅ~♬