あ、オレの周囲にはいまぜんぜ。そんな基地外は。
孫が今朝帰ってしまった。いればいるで、まことに目が回るほどである。一瞬の油断もできない。ケガでもしたら、申し訳ないからである。もっとも四六時中孫の母親である長女がつきっきりであるが。
婿殿の家に申し訳ないからだ。ここらあたりは、日本人独特の考え方なのだろう。孫が一番大事ではあるが、日本人は関係性というのを重要視するからである。
広島の今起こっている土砂災害でも、復興のボランティア活動に若い人たちが行っているという。SNSを活用して、募集しているとのことである。立派なものだ。そういう日本人の姿を見て、アメリカ人の女性がやはり広島に行ってボランティアの登録をしてくださったという。他の国々では考えられない。
てめぇ勝手な国もいくらでもあるからである。妙な屁理屈をつけて、明日にでも攻撃するぞとか恫喝をしてくる国もあるからである。しかも、過去、日本から援助したことなぞきれいさっぱりお忘れのようだし。
お国柄なんであろう。
もっとも、愛を説く宗教を持っていながら二千年この方、戦争ばかりしているお国もあるから世界はいろいろである。
でも、それでも、戦争はいけないと思う。
闘いなら、論述でやってほしいくらいである。口先番長と揶揄されている某大統領も得意だろうに。この分野では。日本にもいたな。前政権のお偉い方で同じ揶揄のされ方をしているエリートが。
もっとも日本人の闘いというのも、あまりいただけない。中世史を道楽で学ばせていただいているが、あんなに鋭く切れる日本刀というのは世界でも珍しいのだそうな。精神的に独特の文化を持ってしまったのもわかるような気がする。日本刀によって、である。祖父が所有していたので、幼い時に、持たせてもらったことがあった。気持ちの悪い「呪」が周囲にあるのである。それが日本文化、日本精神なのであろう。
だから、日本人は闘いとなると精神を重んじて、戦術を重視しなかった。唯一、秀吉だけがそれをわかっていた。なにを云っているのかというと、戦士たちの食料まで考えていたからである。ハラが減っていたんじゃ、闘いもなにもあったものではない。精神だけでは無理である。
もっとも何を間違えたか、秀吉も最後は判断ミスをした。食料補給を考えずに朝鮮出兵で大失敗をした。それが豊臣一族の滅亡に至ったのである。人間あまりにも早く出世すると碌なことはないという見本にも一部でなされている。オイラは、秀吉の前半部分は好きだけれどもね。それに正室の寧々さんがエラかった。高台寺にもお参りしたことがある。あの高台寺から、大阪城が落城していったのを、実際に見ておられたというのである。どんな思いであったのだろうか。
ともかく、闘いのない世界でありたい。アジアでありたい。日本でありたい。友人を平気で捨てて、オノレのことしか考えられないというのではアカン。出世亡者で、大学や大学院なんぞで勉強している資格はないとオレは思うのだが。わかっちゃいねぇのがいくらでもいるからである。
あ、オレの周囲にはいまぜんぜ。そんな基地外は。
わはっはははっははっはははっは。
(;_;)/~~~
汝らが知っているのは、ただ精神の火花だけだ。だが汝らは精神の正体たる鉄敷を見ないのだ、また精神の鉄鎚の残酷さを見ないのだ!-ツァラトゥストラ- 余は十分長きに渡り鉄敷であり続けた。…今や余は鉄鎚でありたい。(神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世)※鉄敷の精神から鉄鎚の精神へ=駱駝→獅子
大杉大明神:茨城県の大杉神社に所在。あんば大杉信仰として周辺地域で信仰されていたが、江戸時代に都市部へ伝搬し、ついには江戸市中へ出開帳するに至るほどのムーブメントとなった。twitpic.com/dy1e8f
神戸新聞NEXT|事件・事故|女子高校生にわいせつ容疑 姫路、部活顧問逮捕 kobe-np.co.jp/news/jiken/201… 「県立高校の元非常勤講師で女子バレーボール部顧問(63)=姫路市夢前町護持=を逮捕」。
代ゼミ、20拠点閉鎖へ…少子化で7拠点に集約 : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) yomiuri.co.jp/national/20140…
昨夜19時頃北西から北にかけて雷雲が発生していて、ひっきりなしに広い範囲で雲間が光ったり、稲光が横に走ったりしていました。遠くなので音は聞こえず。映画でもこんなシーンはないだろうというくらいに頻繁に。天気図を見たら群馬県に雷雲が集中していました。直下の人は怖かったでしょう。
【能楽関連口上】村岡聖美様は26日に、国立能楽堂にて、第45回東西合同研究発表会に、金春流舞囃子「忠度 カケリ入り」のシテで出演されます。ぜひ、応援のほどをお願いします。 @kiyo_1224
なるほど。公募で「要普免」と記す大学が増えそうだ。高校周りや学生送迎バスの運転とかしてもらうからって。博士号なんかより,自動車免許(大型)のほうが必須になる。すげー逆転現象だ。
終末論とは、全体性に対して常に外部的な一箇の余剰との関係だ。恐らくは客観的な全体性によっては存在の真の拡がりを充たすことは出来ず、全体性とは別の概念-無限なものの概念-が、全体性からのこの超越を、全体性の内には包含されず全体性と同じように本源的なものである超越を表現すべきなのだ。
■「朝起きたら、太陽の光と、おまえの命と、おまえの力とに、感謝することだ。どうして感謝するのか、その理由がわからないとしたら、それはおまえ自身の中に、罪がとぐろを巻いている証拠だ。」【テクムセ・ショウニー族の首長】
田樂師(デンガクシ)の演奏種目の中、古くからあつて、今に傳へて居る重要な「中門口(チユウモングチ)」と言ふのは、此「門入り」の儀の藝術化したものなのであつた
生きながら埋葬された男は、墓堀人の注意を惹きつけねばならず、さもなければ死なねばならない。ところでまさしく彼は棺の中に入れられ、墓穴になげこまれたために、声を聞いてもらえるチャンスを何一つ持たないのだ。『家の馬鹿息子』