月山・鳥海山精霊の旅その5 奥の細道北限象潟松島と比較されるほどの象潟の風景であったが、大地震で隆起した海岸が、芭蕉の時とは違っている。この句もまた、死を見つめて旅した芭蕉の覚悟が伝わってくる。...
愛なんて嘘・・・・・えっ?
原稿の枚数が318枚になって午後からも書くつもりが、中断してしまった。そうなのだ。別の科目を勉強し始めてしまって、結局疲れてしまった。それにwifeのショッピングにもつきあって、ズボンも買ってもらったので。結局、財布を握っているのはあっちなので。
(´・ω・`)
さらに、英語のテキストを買って5×3カードでメモをしていた。いろいろやっていたら、今度は2台あるプリンターのうち、一台のインクカートリッジが無くなってしまった。こいつはコピー機も兼ねているので、ないと困るのである。そう、オイラは家でかなりコピーをするので。それでも、在籍大学の研究誌に出していただく原稿書きをしていたときに、参考文獻のコピーをとり忘れたりしたので、ご指導いただいている方々に叱られてしまったから、気をつけないとならん。これから、まだまだオイラの生涯学習は続くからである。21:08、Amazonに注文した。カートリッジを。土曜には来る予定である。
まだ、生涯学習から引退するわけにはいかん。今の学校を除籍されても、他に探して継続するつもりであるから。
なに、相手はなんでもいいのである。通教でもなんでもいい。もうチャレンジあるのみである。これまで猛烈に働いてきたから、オイラには惰眠を貪るとか、サボリとか、不純異性交遊とか、不倫とか、離婚とか、恋愛とか、パチンコ狂いとか、アルコール中毒とか、賭け事基地外とか、そういう遊びが似合わない。白河法皇のように、「遊びをせんとや生まれけん」などと白拍子に歌わせたりして、遊んでいる暇はないのである。よって、そういう輩とも話をしない。時間の無駄である。やっぱり、勤勉で努力している人と話をするのが、一番楽しい。時間も有効に使える。だって、オイラには、もう時間があまり残されていないのだ。あと、何年生きられるかわかんねぇではないか。遊んでいる暇はないのである。そいうのは、おバカキャラに任せておけばいい。現象面だけをおっかけて、本質をまったく考えようともしないおバカキャラにである。あ、オイラはそのおバカキャラをはるかにしのぐ、ちょ~おバカそのものでしかないがねぇ~♬
さて、5×3カードで暗記をしているのだが、こいつがなかなか難物である。
この間行ったレストランの名前も忘れてしまうのだ。自分が嫌になっちまう。旅行もそうだ。地名と思い出がなかなか一致しなくて困っている。さりとて、それをACCESSあたりのデータベースにしておくのも忌々しい。ACCESSは相当仕事で使ったから、もういい。飽きた。なんでもかんでもACCESSで管理していた。教職員の休暇なんて特に便利だった。出張管理も。
今は、もうやらない。読書カードは残してあるけれども。ACCESSで作ったやつ。
入力自体が勉強になっていたのだなぁと思う。懐かしいけれども。でも、もういい。やらない。
やはりその年齢の時期によって、やることの内容が違っていたほうがよろしい。いつまでも、愛だの恋だのとやっている輩を見ていると、かわいそうになってくる。
「愛なんて嘘」という本がエラク評判がいい。今、眺めている最中である。Twitterでも取り上げられている。白石一文さんの作品である。白石さんが、有楽町の三省堂で書いていった色紙にあるが、「愛とは嘘を信じる力」というのも、オイラは真実に近いことだなぁと感じているからである。
愛だの恋だのと信じて、渡辺淳一の書いた「失楽園」のように、二人で死んじまうのはちょっといかがなものかと思うからである。所詮この世は、嘘でできあがった張り子の虎みたいなものなのであろう。愛は絶対ではない。崩れ落ちることもあるからである。そもそも、絶対なんてこの世の中にはないのであろうというのが、オイラの高校生時代からの基盤であるからである。
あ、ひとつだけあるな。
オレのバカさ加減は、絶対であることよん。
ああああああああああああ、ばかばかしい。
これからちょっと駄文書きをしてそれから寝る。
明日はまた早起きである。
(^_^)ノ””””