と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

一次情報

2009年06月11日 18時28分42秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 またまた中学校に伺いました。
 いろいろな中学校があるのですね。
 清掃の時間も取り組み方がそれこそまちまちでありました。
 
 さて、試験をされていた中学校もありましたので、勉強について一言。
 
 一次情報の大切さということであります。

 よくアメリカのCIAとか、情報の宝庫みたいに、なんでも知っていると言われます。
 しかし、彼らは一次情報が80%で、裏情報みたいなものはあまりないのだそうです。聞いた話ですが。

 一次情報とは、つまり政府の報告書とか、そういう公的な情報です。
 難しそうで、なかなかDownloadして読む機会もないでしょうけれども。
 わたくしたちでもなかなか気合いを入れませんと、取り組み方が難しい。
 骨のおれる情報が多いものです。

 反対に、解説本は実にわかりやすい。
 図解までしてくださっている。

 注意すべきは解説本は解説する人の考え方がこちらに安直に伝わってくるということです。

 世界の古典や名作を漫画で紹介する本も売り出されています。

 あれでもって、読んだような気になってはいかんと思います。

 読んだような気になってもいいのでしょうけれども、少なくとも「ああ、あれはね・・・」と講釈をたれるのはいかがなものかと思うからであります。

 結局、高校生くらいで世界の名作を全部読んだようなことを言う同級生がたくさんわたくしの周囲にはいたのですが、そんなことはあり得ない話だということを体験していましたので。一種の見栄であったのです。受験勉強で相当忙しい高校だったのに、そんな余裕はなかったはずです。今ならわかります。そういう知的な見栄を張るのがある種のつっぱりであったわけです。

 大人になっても、解説本しか読まない人も多いのですけれども、ね。

 勉強してくださいね。
  



 では、また明日。
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天辺月

2009年06月10日 05時53分51秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 記録をつづると言ってもそれはかなりきつい仕事だ。ものを深く考え続けると、たちまち顔の下半分にしこりができて耐え難い苦しさを味わう。左肩の皮膚をはいだ跡がケロイドになり、左腕が十分にあがらない。右腕との均衡がとれないからものを書くとすぐ疲れる。
 やせ細った体では座り続けるとしこりが痛み出す。流動食しかとれない体はむりがきかない。悪条件の中でものを書くことは、自分の体を切り売りするに等しいことだ。それでもなお書き続けたのは丹羽さんの中の「科学者の目」のせいではなかったか。がんを宣告され、手術を受け、転移を恐れながら生きる、そういう自分自身の心と体を見つめることで、科学者として生きることの証左を示したかったのではないだろうか。(昭和五十八年十月一日、朝日新聞)

 科学評論家の丹羽小弥太先生(駒大教授)のことです。
 ガンになられて、しかもそれは口腔底部ガン。
 あごの骨を手術されました。
 教壇に復帰されましたが、病魔を科学者らしく冷静に分析されて闘病なさいました。

  欠伸(あくび)せんに 顋(あきど)は痛し舌痛し 噛み殺しては涙するかな

 昭和五十八年九月二十八日にお亡くなりになります。



 そして、豆ノートを見ていたらこんなことが書いてあったのです。

 風吹不動天辺月ということでした。かぜふけどもどうぜずてんぺんのつきと読みます。

 天空に輝く月は、少しも動ぜず、そんなものどこ吹く風とばかりに悠々としておられる。

 世間のことは本当に塵芥のようにつまらないことが多く、そんなものに心を奪われてはならんと。

 仕事をするときには仕事三昧。
 食事の時は食事三昧。
 勉強の時は勉強三昧。

 一点の雑念も挟むことなく、集中しましょう。
 
 そして、悠々と生きてください。

 自己の目標に向かって。




 今日は、中学校に新しい情報開示として作成した冊子を置いてきました。
 校長先生や、学年主任の先生とお会いしてきました。
 4校くらいですが。

 どの学校も、県銚に期待してくださっています。

 いろいろな情報交換もさせていただきました。

 直接お会いすると、まったく違った県銚への評価をお聞きすることができます。

 反対の情報も当然わたくしは収集しております。

 完璧に褒められる組織や人はいませんし。


 
 今日は天空にどんな月が出るのでしょうか。
 それとも、雲が遮るのですかな。

 それでも、雲の上には月がでんと存在してくださっています。

 今、いろいろとめげている人。
 
 悠々と生きてくださいね。

 また明日。

 

 
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独自性

2009年06月09日 05時51分24秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 文化祭について冊子に載せる挨拶を書いてほしいと生徒会の諸君に言われましたので書き上げたのですが、書いてみて自分の高校時代にいわゆる文化祭という記憶がないことに気がついてしまいました。

 いわゆるというのは、いろいろな学校で行われている文化祭というものと言う意味です。

 柔道の形のように誰でもできるという意味での文化祭です。

 独自性があるかということを最近は最も言いたいことですから。

 他校と同じでいいのか、ということを気にしているのです。

 こんなことを書きました。以下に紹介しましょう。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 文化祭ということを高校時代に経験したことのないわたくしにとって、本校の文化祭は実に新鮮に感じる。
 母校では、文化祭の代わりに校内弁論大会を実施した。いろいろな生徒が登場してそれぞれやじり倒されながら、壇の上からやり返したりしてこれはこれで実に楽しかった。むろんわたくしも常連弁士で、こんな体験も中学校ではやったことがなかったから新鮮であった。論理に一貫性が無いと「降壇!」とやじられる。冷や汗ものである。(実はもっと汚い言葉でやられた)
 文化祭というのだから、実は独自性が欲しい。他校の物まねではいかがなものかと考えるからである。違いがあって初めて独自性が発揮される。それとも柔道ではないが、文化祭にも「形」があるとでも言うことなのだろうか。誰でもできるという意味での。 本校の文化祭はどこまで独自性を出すことができたか。その意味で楽しみである。
 それにつけても「ご苦労様」でした。準備の生徒諸君たち。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 


 横並びより、独自性を持っていただきたいと思います。
 それがあまりにも反社会的な行動でも困りますが。
 ある程度の常識はわきまえて、さらに自分なりの独自性を持つことがこれからの社会で生き抜いていくのに重要な能力だと思います。

 車だって、これからの社会でどうなるかわかりません。
 石油だってそうです。

 そのときに困らないために、おおいに体力と知識を身につけていただきたい。

 わたくしはこれから老年時代に入っていきます。
 しかし、マスコミで紹介されるような定型的な生活を送るつもりはまったくありません。そのために準備も完了しています。
 (笑)

 残っているのは、上手に料理をすることができるようにしたいということです。

 こればかりは天与の才能がありません。
 
 もっとも、健康的にちょっとだけ食べて、あとは文人を気取っていればそのうちにすべて時間が解決して・・・と思っていますので、まったく焦りもありません。

 こころの持ち方をしっかりして、焦らず、勉強だけは怠らず、です。

 こんな生活もわたくしはこよなく愛しておりますので。


 では、また明日。

  
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変化への意志

2009年06月08日 19時46分40秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 本日はPTA総会の代休のため、学校はお休みでした。
 
 今週には、中学生諸君に冊子になった県立銚子広報誌が到着するようにがんばります。なにしろ編集・企画全部わたくし一人でやっているものですから、時間がありません。申し訳ありません。まさか、授業で多忙な先生方にやってもらうわけにもいかず、それに昔から一人でコツコツやるのが好きでしたので。手伝ってくれる人がいないほど孤独だという言い方もできますけれども。
(^0^)/

 他にも校長はやることがたくさんありますし、原稿書きもかなり多いものですから。材料集めも慎重にしませんといかんですから。その点、中学諸君の勉強方法と一緒かもしれませんね。

 小泉純一郎首相が総理大臣になった実感はどんなときに持ちましたか?と聞かれた時に、「なんでも否定されるようになったときだ」と答えたのは有名な話でした。このことを思い出して笑っていました。

 県銚の力を高めたいと思ってもなかなかご理解いただけない時もあるからです。

 県銚は、ブランド力のある学校にしたいと思っているのですが、それは他校のまねをして同レベルでありたいというわけではないからです。
 
 誰しも自己の体験からしかものを考えられないし、そういう意味ではわたくしもそうなのです。しかし、わたくしの言っているブランド力というのは壮絶なものです。ま、それ以上は言わぬが花。自慢しているとしか受け取られないと思いますので。

 重要なのは、そういう志を持った学校に学ぶことだということです。

 「変化への意志を持ったものが、進化していった」のですから。

 この言葉はダーウィンの進化論を踏まえて巨象IBMを見事に再生したガースナー氏が「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である」と述べた演説が世に広まったとも言われています。

 これが最も重要です。

 種の起源を読んでおりましたから、身につまされました。

 ブランド力の根拠が、それぞれの人間たちの体験でしかないとしたら、まったく内容のない薄っぺらなものにしかならないからです。早い話が自分の卒業した高校のレベルを抜け出すことはなかなか出来ないからです。そんなレベルで構想を練りたくはありません。まさか、俺の出た高校こそブランドだと自分からいう人はいないと思いたいからです。

 ブランド力の根拠は、「変化への意志」。
 これです。
 
 
 それではまた明日。 

 
 
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楽しみです

2009年06月05日 20時17分44秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 論争で批判していいのは相手の文章であって、人間ではない。
 人間はもっと奥深いものであって見通せるものではない。
 この場合、人間という概念の中心は「意図」である。
 意図の悪さを批判するというのは、大変な難事である。


 宇佐美寛先生のこのような文章を拝見して、一人で感心しておりました。
 「読み書きにおける論理的思考」
 20年くらい前に読了した本でした。校長室に置いてあります。
 
 つまり、上記のようなことで失敗する方が多いからです。
 論争をするのに、宇佐見先生の思考方法は貴重な示唆を与えてくれます。

 印象批評をしてはなりません。
 
 よくいろいろお聞きすると、印象で他人を評価している人が多いからです。印象でどうだらこうだら言うのはだれでもできますからね。

 それをやられるとわたくしなどは、好印象のまるっきり反対。
 それでいちいち批判されたらこりゃたまらん、ですからね。
 (笑)


 何が言いたいかと言いますと、もっと考えてものを言いましょうということです。
 声がでかい人ほど、その論理に隙ができますよ。
 冷静にならないといかんというのは、そういう粗雑な論理を持たないということなのです。粗雑なあたまの持ち主のまま大人になってはいかんですぞ。論理的に破綻してはいかんのです。

 高校時代にはそういう視点から自己を鍛えるべきです。
 流行ばかりを追いかけて、自堕落に毎日を過ごしてはならんですぞ。キレたとか、なんとかとか感情的になって反社会的行動をとっておる暇があったら勉強しましょう。読書しましょう。古今東西の古典に学びましょう。

 まだまだ諸君たちくらいの経験ではいっぱしの専門家を気取ることはできません。ですから県銚の先生方に大いに学ぶべきです。



 ちょっと難しいですかな?



 こんなことをわたくしは、高校時代に教えていただいたものですから。大秀才の先生方に。今でも遠く足下にも及びません。そんなことを教えていただくことが、要するにその学校独自の文化なわけであります。

 以来、ずっと象さんのようにどしんと構えている人を見ると恐ろしくなります。

 ま、これも印象批評をしているのかもしれませんが。根拠がないという点で。

 在校生でこんな学問をしてくださる方、おりませんかと思いつつ。

 生活の役に立つ学問ばかりではありませんから。そういうのを実学と言っているんです。それはそれでけっこうなことです。

 されど、なかには抽象論をやる方があってもよいと、ずっと思ってきましたので。

 正直言えば成果が目に見える形で残る学問ばかりではないとホントウに思うからです。あまり成果ばかり追求すると、結局は全員が最後は死ぬ運命にあるのにとわたくしの母校の高校の校長先生がHPに書かれていたので、昨日それを拝見して非常に納得いたしました。さすがに、大秀才。おっしゃることが違う。

 わたくしも内容のあるBLOGを書いてみたいものだと思った次第です。なかなかできない相談ですが。才能がなくて。才能がないというのは、これは大いなる根拠があるわけです。自分でも認めるわけですからね。
 (^0^)/

 
 でも、在校生諸君は大いなる可能性を持っておる。
 これからの県銚がどのような伝統文化を構築するのか、それを見届けてから人生におさらばしたいものだと思っています。にこにこ笑いながらです。


 楽しみです。
 楽しみです。
 
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教わるものとして

2009年06月03日 05時48分34秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 教わるものの態度ということは、永遠に言われていくことなんでしょうね。

 それこそ古代から。

 メソポタミアはシュメール文明の遺物(粘土板)にそのようなものがあるそうです。
 当時の年長者が書いたのに違いない、「近頃の若者はなっていない。実に嘆かわしい時代になったものだ」という文章です。これは永遠に、先輩から後輩への申し送り事項なのでしょう。わたくしもそうです。幾多の先輩から、本当にご指導を受けながらきたわけです。



 授業観察をしています。
 
 いろいろな諸課題を抱えながら、です。
 
 当然それは教える側の課題です。



 逆に、教わる側の課題も当然あるわけです。

 真剣に取り組んでくださいね。

 こころから願っておりますよ。


 なにかだんだんおじいさんから、孫へのお小言になりつつあるのを承知しながら、書いています。

 まだまだ先があるから、今は勉強しなくても大丈夫だとか、そういう安心感はありませんかな?

 油断大敵。
 
 ずっと先のことだと思っているといけませんぞ。

 ずっと先は断崖絶壁かもしれませんから。


 ☆


 今日は宇佐美寛先生という大学教授の本をノートにまとめていたのを引っ張り出して読んでいました。論理的なものの考え方をその先生の著書から教えていただいたものですから。
 
 よく思いつきみたいなものを、質問と称して他人の時間を奪う方がおられますが、質問者自身の根拠や基準が明らかになっているのか?という疑問でありました。他にもいろいろあって、若いときはけっこうやっていたんだなとちょっぴり思い上がりつつ。その先生の業績については非常に尊敬していますので、今更ながら感心しておりました。質問という形の裏に隠されているある種の論理があきらかになっていますし。

 これもまた、謙虚に教えていただいているからマスターできたのだなぁと感謝しているところです。



 在校生諸君。

 学びたまえ、学びたまえ。

 
 では、また明日。
 
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自画自賛

2009年06月02日 19時39分44秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 新たな広報ツールができました。

 これから先生方にチェックをしていただいて、完成としましょう。

 なかなかいいものが・・・
 おっと、こういうのを自画自賛と言うのですね。
 やってはいけないことのナンバーワンです。
 (^0^)/

 できあがったら中学校にお送りします。
 先生に、見せてくださいと言ってもらえますか?
 まさか到着しないということはないでしょうから。 

 ☆

 今日は、PTA総会で保護者の方にお話をするための原稿を書きました。
 いろいろと心配なこともありますので。
 新型インフルエンザもそうですしね。
 
 教育というのは、リスクとの闘いです。
 考えてみたら、必ず大学や高校に合格するということはあり得ないわけです。
 勉強の結果、受かるかもしれないというリスクを承知の上で、受けるわけです。
 絶対に受けたら受かるというのはないわけです。

 スポーツだってそうですよね。
 絶対に勝てる試合って、(中にはあるかもしれませんが)なかなかないのではないですか。そこにリスクがあって、だからこそ人生は面白いのです。

 定期試験でもそうです。
 リスクのない試験は試験とは言えません。
 最初から何が出るのかわかるような試験は試験ではありません。

 もう夜の8時になります。

 この辺でさようなら。
 また明日お会いしましょう。
  
  

 
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今週も元気に

2009年06月01日 23時39分19秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 急ピッチで新しい広報媒体を作成中です。
 が、所詮素人の悲しさで、ソフトの扱いが難しくてなかなか先に進めません。
 うかうかしていると、あなた方中学生が他の高校に行ってしまうというリスクを大いに感じでおります。なんとしても今月中には完成させませんといかんのです。自分自身にプレッシャーをかけております。
 (笑)

 おっと笑いごとではありませんね。

 しかしです。
 ただ単に情報開示をしたから、リスクが無くなるわけでもありません。絶対の方法はないですし、もしかしたら、システム自体にも欠陥があって、リスクを背負っているかもしれませんから。もっとも、この辺はオブラートに表現していかないと、困難なことがありますので、これくらいにしましょう。世間にはいろいろあるようですから。ニュースを見ていると。

 ☆

 印度古代叙事詩「マハーバーラタ」の原典訳を入手することができました。
 銀座の丸善でようやく見つけることができました。
 しかも文庫です。筑摩書房版。
 これはうれしい。
 やっと入手できました。
 部分部分を読んでいくことにしました。もっとも部分だけ購入できただけです。
 翻訳版ですから本物ではないのですが、とてもとても印度古代の言葉は理解できませんし、教えてくださる方もなし。大学も二つくらいしか教えられないようです。高校の恩師がそのご専門で、大好きな先生でありました。倫理社会の先生です。信じられないほどの能力の持ち主でありました。

 わたくしには残された時間がありません。
 ともかくやってみるしかないわけです。

 
 羅生門という小説があります。
 これをどう教えるかということ、解釈をどうするのかとある人に聞かれたので、困難なことだなぁと思っていました。
 表面をさっとなでるだけなら、誰でもできます。
 しかしです。 
 この作品は無限の発展性を持っているわけです。
 恐ろしいほどの。
 


 本物に触れるというのはなかなか難しいことです。

 そんなことを、この土・日に考えておりました。

 今週も元気に過ごしましょうね。
   
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/