と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

教わるものとして

2009年06月03日 05時48分34秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 教わるものの態度ということは、永遠に言われていくことなんでしょうね。

 それこそ古代から。

 メソポタミアはシュメール文明の遺物(粘土板)にそのようなものがあるそうです。
 当時の年長者が書いたのに違いない、「近頃の若者はなっていない。実に嘆かわしい時代になったものだ」という文章です。これは永遠に、先輩から後輩への申し送り事項なのでしょう。わたくしもそうです。幾多の先輩から、本当にご指導を受けながらきたわけです。



 授業観察をしています。
 
 いろいろな諸課題を抱えながら、です。
 
 当然それは教える側の課題です。



 逆に、教わる側の課題も当然あるわけです。

 真剣に取り組んでくださいね。

 こころから願っておりますよ。


 なにかだんだんおじいさんから、孫へのお小言になりつつあるのを承知しながら、書いています。

 まだまだ先があるから、今は勉強しなくても大丈夫だとか、そういう安心感はありませんかな?

 油断大敵。
 
 ずっと先のことだと思っているといけませんぞ。

 ずっと先は断崖絶壁かもしれませんから。


 ☆


 今日は宇佐美寛先生という大学教授の本をノートにまとめていたのを引っ張り出して読んでいました。論理的なものの考え方をその先生の著書から教えていただいたものですから。
 
 よく思いつきみたいなものを、質問と称して他人の時間を奪う方がおられますが、質問者自身の根拠や基準が明らかになっているのか?という疑問でありました。他にもいろいろあって、若いときはけっこうやっていたんだなとちょっぴり思い上がりつつ。その先生の業績については非常に尊敬していますので、今更ながら感心しておりました。質問という形の裏に隠されているある種の論理があきらかになっていますし。

 これもまた、謙虚に教えていただいているからマスターできたのだなぁと感謝しているところです。



 在校生諸君。

 学びたまえ、学びたまえ。

 
 では、また明日。
 
コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/