と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

独自性

2009年06月09日 05時51分24秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 文化祭について冊子に載せる挨拶を書いてほしいと生徒会の諸君に言われましたので書き上げたのですが、書いてみて自分の高校時代にいわゆる文化祭という記憶がないことに気がついてしまいました。

 いわゆるというのは、いろいろな学校で行われている文化祭というものと言う意味です。

 柔道の形のように誰でもできるという意味での文化祭です。

 独自性があるかということを最近は最も言いたいことですから。

 他校と同じでいいのか、ということを気にしているのです。

 こんなことを書きました。以下に紹介しましょう。



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 文化祭ということを高校時代に経験したことのないわたくしにとって、本校の文化祭は実に新鮮に感じる。
 母校では、文化祭の代わりに校内弁論大会を実施した。いろいろな生徒が登場してそれぞれやじり倒されながら、壇の上からやり返したりしてこれはこれで実に楽しかった。むろんわたくしも常連弁士で、こんな体験も中学校ではやったことがなかったから新鮮であった。論理に一貫性が無いと「降壇!」とやじられる。冷や汗ものである。(実はもっと汚い言葉でやられた)
 文化祭というのだから、実は独自性が欲しい。他校の物まねではいかがなものかと考えるからである。違いがあって初めて独自性が発揮される。それとも柔道ではないが、文化祭にも「形」があるとでも言うことなのだろうか。誰でもできるという意味での。 本校の文化祭はどこまで独自性を出すことができたか。その意味で楽しみである。
 それにつけても「ご苦労様」でした。準備の生徒諸君たち。
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 横並びより、独自性を持っていただきたいと思います。
 それがあまりにも反社会的な行動でも困りますが。
 ある程度の常識はわきまえて、さらに自分なりの独自性を持つことがこれからの社会で生き抜いていくのに重要な能力だと思います。

 車だって、これからの社会でどうなるかわかりません。
 石油だってそうです。

 そのときに困らないために、おおいに体力と知識を身につけていただきたい。

 わたくしはこれから老年時代に入っていきます。
 しかし、マスコミで紹介されるような定型的な生活を送るつもりはまったくありません。そのために準備も完了しています。
 (笑)

 残っているのは、上手に料理をすることができるようにしたいということです。

 こればかりは天与の才能がありません。
 
 もっとも、健康的にちょっとだけ食べて、あとは文人を気取っていればそのうちにすべて時間が解決して・・・と思っていますので、まったく焦りもありません。

 こころの持ち方をしっかりして、焦らず、勉強だけは怠らず、です。

 こんな生活もわたくしはこよなく愛しておりますので。


 では、また明日。

  
コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/