と~ま君が好き・・・大好き・・・そんなことを言ってくれる人がどっかにいねぇかね?(いるわけないっすねぇ)(^0^)
こんな本を例によってまたまた古本チェーンから買った。これはいつも買っている108円コーナーにはなかった。なんと、260円もしたのだ。マイッタな。
好きでもない作家の本も買ってしまうというのは、ある意味病気の兆候でもある。いかん。危険である。危険。しかもアタシャ、現代文学が専門ではない。おっと、そんなことを言ったらなんでも専門なんて呼べるもんはないけど。なにをやっても所詮素人だしねぇ~。まったく性懲りのないジイジでございますよん。
この本は、自称他称村上春樹のファンでもって埋め尽くされているものだ。うらやましいような本である。そして、なぜそれほど多くのファンをひきつけてやまないのかというヒントが隠されている。そっちの方が興味があって、つい買ってしまったのだ。
後悔はしていないけどね。
これでも一応国語・国文学で喰ってきた田舎教師であったから、ある種の教養でもって村上春樹を読んできたし(^-^)/。(ほら、私は教養がないからで)
他にも暗記用の百人一首の文庫本も買ったけど。これまた教養がないのと、暗記していないから。それに一番大きかったのが、昨日のGymでバイクをこいでいたときに、高齢者たち(ワシと同じ)が筑波山を題材にした和歌を話題にしていたからである。その和歌について本歌取りの話をされていたので、あっと思ったのだ。簡単に言えば忘れていたからである。その和歌を。だから、買った。しかも目次を見て、その和歌に続くように暗記をしようと思っているし、そういう私のニーズにぴったりであるからだ。その文庫本が。ありがたいものである。ジイジになっても、まだまだやることがいっぱい出来てくるからだ。感謝!
村上春樹に戻る。
なんと春樹ワールドに出てくる舞台を写真に写しておられる方がいた。HPまであった。「ノルウェイの森の風景」というHPである(http://www50.tok2.com/home/sada/index2.html)。「村上春樹が好き」の中に紹介してある。
そこまでやるかホトトギスである。たいしたもんである。
そうすると作品中の場所に行ってみたくなる。私もである。素敵なお店にも。駒込の「そば処 総本家 小松庵」なんか行ってみたい。駒込というといろいろ素敵なところがたくさんあって、40年前には毎日のように行っていたからである。それに新宿センタービル北側のベンチにも行ってみたい。もっとも、あれか。ジイジ一人でぽつんと座っていたら、お巡りさんに「どうしましたか?」「具合でも悪いのですか?」と職務質問されてしまうけどね。さえないジイジであるからだ。
なぜそういう場所に行ってみたいと思うのか。それは、村上春樹は、読み手の体験を彷彿とさせるからである。そう思った。「村上春樹が好き」という本には、読者の個人的な体験がいろいろ書いてあって、それが春樹ワールドを形成している。恋愛とか挫折とか、孤独とか・・・そういう個人的な体験と作品中の登場人物が一致していくわけである。そして、そういう構成ができるというところがすばらしいことなのであろう。そう思う。
なんでそう思うか。
ご自分の恋愛体験を堂々と書かれているハルキストもこの本には多かったからである。そういう体験をどのように受け止めていくかということによって、成長もする。さらに、誰しもそういう体験をしている、あるいは過去においてしたことがあったからである。
なるほどこれでは人気がでるわけである。
そして同じ数だけ嫌いな人も。
全部オノレの自己体験と密着しているからである。
つまり、人はオノレの体験だけを独特のもの、あるいは波瀾万丈というか、ある種の「物語」として意識しているからである。自分は、あるいは自分だけは人と違った経験や考えをもって生きてきたのだという感覚を誰しも持っているからである。もっとも、文学というのはそういうものであろう。真っ赤な嘘話であるのに、はまり込むというのはそういう自意識がなせるわざであり、結婚や離婚など、あるいは恋愛体験とか、自死とかという問題はまさに自意識のなせることであろうから。
別に皮肉で言っているのではない。そんなもんは、誰でも持っているものであるからだ。
人は、「物語」というものを自己の内部に蔵していなければ生きることはできない。夢とか希望とかというものを「物語」として意識しているかいないかということである。
大学院で学位を取りたいというのも、その人にとってはある種の「物語」である。そういう希望をもって努力なされていることはまことに尊いことであって、誰もそういう行為にケチをつけることはできない。またやっちゃいけない。
なぜなら、人は「物語」を追求して一生を終わるからである。錯誤と言ったらきつい。しかし似たようなものである。
人と人とのつながりなんて夢幻のようなものだからだ。絶対はない。あり得るわけもない。
すべては、消え去るのみであるからだ。
村上春樹ワールドというのは、「すべては消え去るのみ」という心境の前段階である。そういう気がするのだ。ジイジのワシには。当然であろう。恋愛をしながら、こんなモンはすべて消え去るのみ。愛が成就しても、こんなのは幻想に過ぎないとか思っていたら、相手に対して失礼であろうから。
友情だって、なんだってあらゆる人間関係なんて、夢でありまぼろしである。そういう覚めた感覚から見たら、すべてつまらなくなっちまう。
そういう感覚で生きてきたから、こういうつまらないジイジになってしまったのである。私の場合は。
しかし、良い本だったな。この本。「と~ま君が好き!」・・・・じゃなくて、「村上春樹が好き」って本。
わははははっははっははは。
(^_^)ノ""""