それにしても、祭り・・・・楽しかったな
昨夜は、孫と一緒に居住地の祭りに行った。
一歳の男児は、ベビーカーに乗っけて私が押して行った。私の家は、祭りの会場からすぐ近くにあるから便利なものである。孫の母親と、古女房ドノと全部で5人。
そして私はビデオも撮っていた。帰ってきてすぐDVDにした。思い出としてまた持って帰ってもらうからだ。
こんなのが老後の仕事になっている。
まったくカネにはならない。よって、生臭いことを言ったり・したりすることもすっかり無くなった。世の中に相手にされていないからである。
昨日は、某大学で授業を行っているからその試験もやってきた。監督をして、それから採点もする。これから。そしてこれでもって今年度最後だから、お世話になっている教授に内線電話でご挨拶を申し上げた。
研究室に来ないかと言われた。コーヒーでも飲もうと言われる。快諾した。
この先生から得るものは大きい。雑談からいろいろ論文書きのヒントもいただいてきた。道徳教育の時もそう。今回書いているスクールリーダーの論文もそう。
さらに専門家になりたかった民俗芸能学の論文書きもそうであった。
つまり、意欲をかき立てられる先生なのである。ありがたいものである。こういう方がおられるから、ジイジになっても生きていられるのだなぁと思う。
今年度後半はなにをしていくのかという話題になった。私のことである。完全に無職状態になるからだ。
非常勤の仕事は、半年しかないから、後は圧倒的に暇になる。することがない。もっとも塾のバイトと専門学校のバイトがあるが、こちらも収入には直結していない。雀の涙とはよくぞ言ったり。ナミダにもなっていない。
つまりjobとworkの違いである。ちなみに、workは「ある目的をもって努力して行なう」仕事,労働,作業,努力,勉強,研究 (⇔play) 《★【類語】 work は努力して行なう肉体的・精神的な仕事; labor は骨の折れるつらい肉体的労働; toil は長い間続く肉体的・精神的に疲れる仕事》などど辞書には書かれている。
Jobは、賃金を貰ってやっている仕事であり、通常8時間勤務をもってこれに充てる。私の場合はバイトだから、関係がない。
趣味でやっているから、収入とは直結しないのである。これでいい。もうこれしかない。社会とつながっているのは。
後は、あくまで健康にこだわり、いきいきと老後を送っていくつもりである。
そして生涯学習である。
惚け防止のためと拙ブログにも書いているが、マジである。マジに惚け防止のためにやっているのだ。
幸いアウトプットをする機会がこれまでもあったから、十分その効果はあった。生きがいがこっちにシフトしている。いいこった、実にいいことだ。
これをである、朝から酒浸りでアル中になって、世の中への恨みやつらかったことをグタグダと周囲にぶちまけているようではイカン。それこそ生きる意味はない。
所詮世の中を生きていくってぇなことは、恨みやつらかったことの連続でしかないからだ。
要は受け止め方次第である。健康を損ねて大学院を退学したのも(学業劣等もあったが)、なにかのきっかけであったのだ。
もっとまともに生きていけということであったのかもしれない。
それにしても、行動的に生きることをモットーにしている私にはもの足りない。
マジに。
世の中を斜に構えて、いじけて見せるというのとはちょっと違う。私の場合は、あくまで行動的である。
それを誇らないだけである。
威張らないだけ。
威張ったってどうにもなるもんじゃねぇし。
かえって笑われるだけである。
阿呆が、阿呆なことをくっちゃべっているってぇ案配だ。
今日も祭りである。
だから、塾の時間がシフトされた。つまり、夜の7:35分からやっていたのを、午後1:20からに変更された。だから、今日は昼間明るい時間に初めて授業を行った。なんだか、とまどってしまった。夜のお仕事の人間が、昼間やるっていうのは、こういう違和感があるってことなんだと思った。
現役時代には考えてもみなかったことである。
今日は、英語と久しぶりに国語をやった。高校生一人と、中学生二人、さらに小学六年生の英語。合計4人である。こういう個人指導をウリにしている塾であるから、なかなか効果があるのだろう。事実大学も相当数進学しているし。
小学六年生の英語がかなりの実力であることに驚いてきたけれども。
凄いことが密かに進行しているのだ。受験業界では。驚いたねぇ。まったく。
良いか悪いかについては、ここには書かない。雀のナミダといっても、それでもって古本購入の資金にさせていただいているのだから文句は言えない(^0^)。
民俗芸能の専門家になり損ねたし、研究費なんてものもどっからも出てこない。あたりまえである。天下の素浪人であるからだ。今日からは。
他人から期待されて生涯学習をやってきたのでもない。ひたすらオノレだけの楽しみでやってきたことである。
だから私には挫折もへったくれもない。好きでやっているということはそういうことである。
暗記や、試験、あるいはノートをとったり、読書していることが好きなんだ。素人として。
こんなジイジになりたかったのだよーん。
さ、これくらいにする。
また明日。