体重管理
体重管理が趣味になっている。毎日起きたらすぐ測っている。私の書庫に体重計を置いてあるから、簡単である。ストーブを点火して、それからパジャマを脱いですぐ測る。そして記録する。毎日である。毎日。
とうとう今朝は68.9キロになった。中学生以来である。
やるときは徹底してやるのが私の性格なんだろう。食事は、毎回20分以上かけている。そうなのである。時間制である。まるで、ボクシングのようだ。きっちり時間を測っている。おいしくないだろうって?
そんなことはない。
おいしいと思う気持ち、こころが大切である。だから、白湯でもおいしいと思うことができる。
感謝の気持ちも当然入る。
ま、他にも体重管理のコツはある。
それはwalkingである。日に二回、午前と午後に行く。それぞれ30分くらい。これもまた時間制である。防寒に気を付けているけれども。
ポケットラジオを聞きながらである。
ちょう~田舎に住んでいるから、田んぼ道はいくらでもある。交通事故の恐れはない。これもあまり油断していると自転車に轢かれて死んじゃうかもしれないから、注意はしているのだが。
そろそろ本題にはいる。
それは原稿のことである。今日から、締め切りのある原稿書きをする。と思ったら、今日は居住地の大図書館が休館であった。こいつはマイッタ。書きながら、今、気がついた。
仕方が無い。
家で書く。
書くけど、二時間に一回は運動をしよう。そうなのだ。体調を崩した最大原因は、原稿書きであったからだ。バカだよ。バカ。
有りもしねぇ能力を、なにを勘違いしたのか、論文を書いてみたいと思ったのが運の尽き。
毎日10時間以上もやっちまった。書くことをである。その結果がゴミ論文の大量生産であった。こいつは賢くない。論文を書いて恥さらし、バカ扱いをされているのだからどこにプライドがあるんだと嘲笑されている。賢い人は、論文なんか書かないだろう。オノレの欠点をさらしてまで、チャレンジはしない。他者の文章を冷ややかに眺めて笑っていればそれですむからである。それをあえてやっちまった私は変人である。
もうこれで最後にする。
やぁ~めたということである。材料も尽きた。断念したということである。断念させるのも、教育の重要な要素であるというのは、かねてからの私の主張である。だからそれに従う。生涯学習は相変わらず懲りもせず、やる。生徒であるかぎり、これはできる。なにしろバカ学生である。爺学生だ。これは指導する立場にあるわけではないから、いつまでもできる。
しかし、論文書きは、環境によくない。ゴミばかり発生させていたんじゃ。経済論理からも、ゴミの発生はカネがかかる。ゴミ処理場の方々に迷惑もかかる。
これまで、いろいろな方々と別れを経験してきた。
いろいろな組織に入っていた。仕事をしていた時期には本当にいろいろな組織に入って勉強してきた。宗教もそうだ。仏教から、イエス教も勉強してきた。中央仏教学院に入学したこともある。しかし、すべてある時期から縁を切ってきた。組織とだけである。人との縁は、向こうから切られないかぎり、こっちから切ることはないけど。
一番は退職したことだ。
前の仕事と縁を切った。
退職したのだから当然である。一度死んだのだから。体調を崩して、失神した。これもまた縁を切るということの考えに至った原因でもある。
時々は、自分の周囲や環境を変える必要がある。
いつまでも死に神のようにしがみついていてはならない。みっともないではないか。
ま、自分さえ納得していたらそれはそれでいいのであるが。
私の書庫もキタナイ。
ゴミだらけである。
借りてきたホンのコピーなんぞ山ほどある。A4の籠が、22個ある。深さが約50センチ。100円ショップで買ってきたものだ。その中に、コピーしたホンが積んである。付箋だらけの。
それを見る度に、バカなことばかりやってきたなぁと思う。なんにもならないことばかりやってきたからだ。
私の場合、対象がどうのこうのというのではない。
あくまで方法論を学んできただけである。
資格もとれない。卒業もできない。それでいいのだよん。
どうせ暇人だしな。
悪いことだけはしてこなかったけどね。
その程度です。
(^-^)/
(^_^)ノ””””