ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

長田神社 Ⅱ

2009-09-08 05:00:00 | 神戸にて
以前にも長田神社について綴ったことがありました。さて何の仕事で長田神社近辺に行ったのか、全然覚えていません。

          

こちらは駅や商店街の方からではなくて、西南の方からの参道、刈藻川にかかる橋を渡り、そのまま境内に入ります。

          

橋の上から南側の刈藻川、もう少し下流で新湊川に合流します。刈藻川は上流で萩乃町辺りを流れていた桧川とも合流していました。

          

この鳥居をくぐり境内に入るわけですが、丁度この頃長田神社では薪能が開催される予定があり、そのための提灯が吊り下げられています。『きもだめし』や『薪能』、この神社は集客に努力されているようです。

       

長田神社の由来、敏馬神社船寺神社廣田神社にも神功皇后の記載がありました。西暦201年という表記は廣田神社にもあり、他の三社が三韓征伐の帰途という表現を入れているのに対し、この長田神社では神意を受けたとあるだけです。

ここは神戸市の長田区、敏馬神社や船寺神社は灘区、廣田神社は西宮市です。立て続けにいくつもの神社を造っていては、なかなか都へは帰れませんよね。

この案内板には神社の由来より、祭神の説明に重点が置かれているようです。
『事代主神』は、古来皇室守護、国土統一の神だそうで、『事代』は全ての事を知り、司り、あらゆる業を教え導くことを顕しているそうですが、何せ国譲りの神ですから、事実は渡来人に征服されてしまうのですね。

そのような経緯があるのにも係らず、何故神としていつまでも崇め奉るのか、私には理解できません。弥生時代以前から住んでいた先住民から、政権を奪い取った渡来人、もちろんその方たちが混血を成したりして私たちの先祖になるのでしょうが、征服した者が征服された側の神を敬うのも、征服された者が国を譲ってしまった情けない神を敬うのも変な話ですよね。

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