ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

長田神社 Ⅲ

2009-09-09 05:00:00 | 神戸にて
閑散とした境内に入ると、このモニュメントが目に入りました。以前来たときは全く気付いていません。いつもボォ~ッとしていた頃の私は、周りなどあまり気にかけるようなことはなかったのですが、Blogを綴るようになってからは、周りをよく見るようになったものだと思います。

          

案内板が無ければ、メガネを模ったものだとは判りませんね。
確かにメガネは遠視・近視に係らず、望遠鏡や顕微鏡など、物事を広く深く正しく見るのに役立ってきました。ここまでは科学的です。でもメガネじゃなくて、正確にはレンズですよね。

それを何でも知っているという事代主神と結びつけ、事代主神を祀る長田神社にこのモニュメントがあるのを当然視する結論には、いささか抵抗があります。

          

どうやらこのモニュメントは昭和34年に建てられたもののようです。
眼鏡碑のイメージとして薀蓄が並べられ、最後に「その造形は 文明に疲れた現代の無限の空間へと 温かくおおらかに回転する」と刻まれています。

昭和34年当時からもう既に文明に疲れていた日本人がいたのかと思ってしまいますが、東京オリンピックも未だ、新幹線も名神高速道路も未だ開通していませんでした。現在の文明と比較すれば、私たちはもっと疲弊しています。

          

この神社の手水はセンサー式になっていて、屋根の下に入ると水が出るようになっていますが、すぐに出てくるわけではありません。何となくタイミングがずれていますけど、水道代の節約にはなっています。

          

大和のさざれ石と書かれた石、丹後国・志高郷とあります。現在の舞鶴市辺りの出土らしい。
君が代の歌詞が書かれてあり、さざれ石は「生々・繁栄・隆昌の象徴とされる」と説明されていました。

さざれ石は細石と書き、雨水で溶解し、石灰質の作用により、小石がコンクリート状に凝縮したものです。

神武天皇が初代天皇として即位してから(所謂皇紀元年から)2670年ぐらい経つというのですが、そのような時間で巌=磐石な岩が出来上がるものでしょうか。苔だけなら生すのに100年もかかりませんがね。

10世紀に創られたという古今和歌集にこの『君が代』の歌があるのですが、さざれ石がどのようにして出来るのか理解している由も無く、君=天皇であり、その繁栄を願っていようが、君=恋人であり、美しさが永遠であるように望んでいようが、このような非科学的な歌が国歌として歌われるのは、チョイと恥ずかしいと思いませんか?


          


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