都賀川沿いを離れて、西に向かう路地に入ると、正面に鳥居が見えます。
遠くからでも確認できるので、かなり大きな鳥居なのかと思いきや、普通の鳥居でした。
右の石柱には『船寺神社』、左の石柱には『厄除東向八幡宮』、鳥居には『船寺八幡宮』と書かれていて、「どれがホンマやねん?」と尋ねたくなります。
敏馬神社でも言われていたのですが、神功皇后が三韓征伐の帰途、この沖を船で通っています。
敏馬神社では、この地で船が動けなくなったので、占いによって神をお祀りし船を献上していますが、この神社では雨風を避けたとあるだけです。
神戸でも屈指の古さを誇る敏馬神社の謂れと、敏馬神社から1Kmあまり東にあるこの船寺神社の謂れと、どちらが正しいのでしょう。
まぁ、どちらにしても神功皇后という皇后は実在しない人物、事の成否を争っても仕方ないことではあります。
旧西国浜街道の標識があった橋の所に西へ向かう道があるのですが、その道を10mほど西へ入ると、このような碑がありました。
太郎八地蔵尊と刻まれています。五郎八などという名だったら聞いたことがあるのですがね。
一体だけでは無いのですね。太郎さんが沢山いたのでしょうか?
しかし、地蔵さんにしては愉快な顔をしています。
顔の刻まれた像、刻まれてない石のままの像、いろいろあるのですが・・・ここに写ってる3体、知ってる誰かに似ていませんか?
遠くからでも確認できるので、かなり大きな鳥居なのかと思いきや、普通の鳥居でした。
右の石柱には『船寺神社』、左の石柱には『厄除東向八幡宮』、鳥居には『船寺八幡宮』と書かれていて、「どれがホンマやねん?」と尋ねたくなります。
敏馬神社でも言われていたのですが、神功皇后が三韓征伐の帰途、この沖を船で通っています。
敏馬神社では、この地で船が動けなくなったので、占いによって神をお祀りし船を献上していますが、この神社では雨風を避けたとあるだけです。
神戸でも屈指の古さを誇る敏馬神社の謂れと、敏馬神社から1Kmあまり東にあるこの船寺神社の謂れと、どちらが正しいのでしょう。
まぁ、どちらにしても神功皇后という皇后は実在しない人物、事の成否を争っても仕方ないことではあります。
旧西国浜街道の標識があった橋の所に西へ向かう道があるのですが、その道を10mほど西へ入ると、このような碑がありました。
太郎八地蔵尊と刻まれています。五郎八などという名だったら聞いたことがあるのですがね。
一体だけでは無いのですね。太郎さんが沢山いたのでしょうか?
しかし、地蔵さんにしては愉快な顔をしています。
顔の刻まれた像、刻まれてない石のままの像、いろいろあるのですが・・・ここに写ってる3体、知ってる誰かに似ていませんか?
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