おはようございます。
いろいろあった、今もある偉い人の組織論は成功者の後付け論かも。むしろ1945年ごろにできていた現実的な社会論から学べると私は思っています。何故でしょう。日本以上にドイツは壊滅状態。フランスもイギリスもイタリアも、経済は破綻。かろうじてアメリカだけがまともな庶民生活があったのでしょう。だから焼け野原で考えた、社会学者の論は素晴らしいと感じられるように私は思っています。
組織論は上からも論じられます。組織の宿命でしょう。軍隊の組織から学べるでしょう。また国を治める仕組みからも、昔の藩政の仕組みからも学べます。もっと卑近に家父長制からも学べるのでは。いろいろある今の良い組織の話は何処かに落とせ込めるでしょう。
私は組織論は嫌い。学校なんて組織で考えるとろくなものにはならないように感じます。むしろ今はあまり役立って居ない様な、社会学から学ぶべきだと思っています。でも神様でない限り、社会の変革は読めません。社会も結果論になるからでしょう。
結局私が好きなのは個の教育であり、個の力なのでしょう。安定な社会状態を各国の国民が好きですから、安定が良いとなり、ましな政治も組織も教育も胡散霧消したと私なりに納得しているのです。
さて私が好きな寺子屋に世の教育の主体が戻るとどうなるかです。結局教育は個人だと考えていますので、教える先生と教えられる個次第になります。そう考えると、集団を無視して考えて、相対だけで考えた方が良い未来が子供にあるのかも。個人塾が流行るようにです。塾の先生次第と言うことになります。でも今は塾の先生以上に学校の先生が保護者の思考の対象になります。私も期待してはいけないが、今は論じざるを得ません。
最近の記事で、ニコニコが先生の第一条件であるがkoderaの法則1だと言いました。次の第二条件はノリが良いです。ノリが良い学生や新人が伸びたからです。成績も実技もです。一方、そのように言う私はダメな男でした。ノリが良くなったのは窓際族になった前後からです。若い時はあまり良くなく、だから失敗ばかりしていたと思っています。遅すぎました。
若い人に後悔をさせたくありません。ぜひノリよく生きて欲しいのです。南無阿弥陀仏。
今日はここまでにします。
ところで、人に者を教える職業である先生は本来客商売ですから、ブスッとしていたらお客さんが寄ってきてくれませんから、「ニコニコ」が必要条件の一つに入るのは、納得がいきます。
仕事はのりがよいのと悪いのでは、10:1あるいはもっと差ができますから、これも納得です。
でもそういう当たり前のことが案外わかっていない、それは職種の異なる人と対等の議論をする機会を積極的に創らないからです。
診てやる⇒医者
教えてやる⇒先生
ここから考え違いが始まるようです。
外部の人と積極的に、そして率直に話をして見聞を広げる人たちが教育業界に増えてくれたらいいですね。
そういう思いでわたしは不特定多数の人たちに向けてブログを書いています。投稿欄へのコメントには、耳を傾けて聞きます。
「先ず隗より始めよ」