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新規商品企画の成功学
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随時随所楽しまざるなし

D51の保守を見学

2018-12-21 04:14:41 | コーチング・マネジメント

 おはようございます。

 清水さんの素晴らしさを書きたいと思っていたら、余談が長くなりました。すみません。

 大学4年生の春、機械工学科必修の工場実習が2週間あり、指定された20ほどの工場の中から各自が実習先を選びました。私は祖母の家から40分ほどで通える国鉄大宮工場を選択。国鉄の実習者は国鉄運賃が無料、旅行ができる、特急に乗れる、と先輩が言いましたが、噂は間違いでした。

 私は大型システム開発担当ができる関東の会社に修士修了で就職するつもりでした。国鉄も考えたこともありますが、新人は日本全国どこに配属されるか分からない、すぐ駅の助役にさせられる、と先輩に脅かされ、止めていました。

 学園紛争がもっとも激しい時代、機械系の同期で博士課程に進んだ人を知りません。だからこそ行くべきだと今なら思いますが、当時は甘ちゃん、世間知らず。そうは考えられません。

 修士課程は、クレーンの計算機シミュレーションが課題でした。三菱重工に就職した同僚は新幹線の運転台の人間工学的課題を研究。私たちが国鉄の研究所を志望すれば鉄道技術研究所でした。それなら東京府中と分かったのは富士通と東芝に志望届を出した後でした。

 すでに富士通と東芝に我が儘を言い、両社とも内定、良い条件で誘われてどちらにするか迷っていました。鉄道技術研究所では研究費も事欠くと先輩が脅し、指導教官が勧めても行く気になりませんでした。この選択が良かったか悪かったか、人生の岐路でした。

 労働組合が強かったためか、楽に見えました。5時に工場が終わる10分前に、工員さんと一緒にお風呂も入りました。油に汚れる作業現場です。身体を洗い、着替える時間も作業時間なのは普通でしょうが、終了ベルの10分前に鳴る予鈴の前から工員さんが並んで待っていたのが印象的でした。

 実習は主に見学。期間は2週間。やったのは砂型鋳物と旋盤の実習だけ。黄銅のD51銘盤模型と灰皿を作りました。まず教育担当者が要を手伝いできた物を私が磨いて見事な出来栄えになりました。実習ではなく、お手伝いでした。

 興味を覚えたのは蒸気機関車と整備。傍から機関車を見上げました。真っ黒な凄い迫力。機関車から部品を取り外し、釜がむき出し。裏からも動輪を見ました。一番人気のD51と、貴婦人と言われたC62。廃棄する機関車から外された部品や特急表示板があちこち。頼めば貰えると先輩から聞いていました。今なら凄い価値でしょう。

 当時、私はシステムアプリ開発に興味があり、国鉄は興味無しでも、凄い部品点数や作業は分かりました。動輪や車輪や線路の設計は難しい、動輪タイヤと線路の固さ、各部の保守の周期など何でもバランスが大事、難しいと思いました。甘ちゃんは蒸気機関車の保守と美しさに見とれただけでした。

 最後の一文を書きたいと思ったら、色々思い出し、当時の話を書いてしまいました。すみません。今日はここまでにします。

コメント
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