おはようございます。
私が高校の非常勤を始めた時、会社の若手指導経験に基づき生徒さんに教えました。小論文の書き方だけでした。実践不足でした。教育の実践論を書いている色々な先生のブログを毎日アクセスしました。今は投稿していない、演奏活動家、元小学校教師、ドルチェ先生のブログがとても参考になりました。
先生のブログの大量の記事を読み、講演会をお願いしました。千葉の演奏会の都合に合わせ、学校まで来てくれました。理事長や現校長、そして私と相棒と、東大卒の新人の先生方、また生徒さんの有志に演奏会と講演会。演奏会は彼とコンピュータのアンサンブルでした。
素晴らしい演奏でしたが、生徒さんは騒いでいるだけ。クラブ活動の責任者の先生は生徒が騒ぐのを笑って見ているだけでした。自分の城が危うくなることを心配していると私は思いました。情けない先生ですが、このタイプが多いのに現校長も手を焼いていました。生徒さんは関係なく、自分に惚れているのが先生の特性だと分かりました。
ドルチェ先生のクラブ指導法とご自身の実践的な勉強法が勉強になりました。小学生や中学生相手の経験談の原理は、私の会社の実践経験と共通していると思いました。要するに義務教育と社員教育は基本の要求条件が同じで良いとです。
以前、私がブログでリンクしたプレゼン資料は彼の受け売りです。私の過去の経験談を若干加えただけです。理事長や現校長がこのプレゼンを使い、父兄や外部の先生に講演会をし、他校の校長先生方が納得した、とても使いやすい資料だと感心し、お礼を言われました。それで毎年、新しい非常勤契約を数年できました。
それまでは会社における企画業務の経験しかありませんでした。すなわち4項目の箇条書きと面接法、プレゼン法、そして創造性の開発をスポーツコースの生徒さんに講義していました。ドルチェ先生などのブログ村の先生の記事を参照し、私の若手先生の育成活動が始まったと言えます。
ドルチェとは音楽表現の言葉、情感を込めて。私は随時随所楽しまざる無しの男。彼は楽しんで情感を込め教育していた先生。私は沢柳精神で学生や社会人を育成できると信じていた男。基本の考え方が似ていました。
終戦直後の成城学園は設立者の澤柳先生のお考えだけの教育しかできなかった。蜃気楼だったと、悪ガキの喧嘩相手だった同級生と笑って話したことがあります。彼は定年まで同じ会社でサラリーマン。二人の息子は小学校から大学まで成城学園。他校の教諭。孫は成城学園に行きませんでした。今の彼は草野球とゴルフ三昧。
南無大師金剛遍照。今日はここまでにします。