創造性の開発 新規商品を企画しよう

新規商品企画の成功学
求むる所第一義
随時随所楽しまざるなし

駄洒落で嫌味を表す

2018-11-19 04:10:33 | コーチング・マネジメント

 おはようございます。

 もう時効ですから、担当の先生や関係した先生の顔写真のプレゼン資料もリンクします。全学を目指し、先生と生徒さんが参加できる情報クラブを目指しましたが、参加した生徒さんは少ない上に、各人がそれぞれ珍しい趣味を持っていました。

 そこで、仕事や勉強や趣味のエーテルを目指し、オン・ザ・エーテル研究クラブ、約してOTA研と命名しました。さらに自主的な活動を重視し、情報クラブ活動を変身。日付は2013年12月26日、2014年度の契約を目指していた時でした。

 新年度の契約は不明で毎年、年末と正月は大変でした。年初の理事会にクラブ活動の申請をしました。理事会が承認しても、年度初めの生徒会でも承認が必要でした。生徒会は2階から目薬。理事長を経由し、理事会が承認し、当時の教頭、今の校長が教職員の会議に提案し、担当の先生が決まります。生徒募集は教頭の腹積もり。

 担当顧問の先生は情報教科と雑用と勧誘と運動部顧問が多忙でした。毎年、数人の候補の先生と面談しました。校長にパワハラされ、先生は実績が欲しいだけ、会員指導に自信がなく、私が話すと2度と来ませんでした。相棒はアホに優しいので、会員の好きなように新しい活動をしてくれました。でも、その会員の所属は何故か他のクラブ。表向きは他のクラブの実績になっていました。

 情報クラブに来る生徒さんは自宅クラブのオタクたち。校長に嫌味を兼ね、名前をオタケン、OTA研クラブと名称変更しました。冗談を言わないと、学校と付き合えません。でも、この名前に会員は大喜びしました。当時の理事長はくそ真面目な方。不満そう。でも私は構わず、無視。話をしなくなりました。

 面談に来る先生は相棒以外、当時の教頭の、今の校長だけになり、教頭を校長にする会の会長を私は広言。随時随所、オグシオにも言いました。彼を主役に、出前バドミントン講習会を数回開催し、OTA研クラブの会員がビデオ撮影し、コンテンツをネットにアップしました。素晴らしい出来でした。

 このビデオコンテンツはクラブのサーバーにありました。今、何処にあるか知りません。オグシオやイケシオ登場のビデオも、今の校長が颯爽と、初心者を指導したビデオもありました。彼はバドを教えると人が変わります。学校は人の動かし方を知りません。日本の不調の真因を見た気がします。

 有名人のビデオの管理は大変です。私も相棒も権利を放棄し、正解でした。2年で学校を首になり、良い判断でした。その名残がリンクしたプレゼンです。

 今日はここまでにします。

コメント
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