「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

栄枯は一炊の夢 2005・12・21

2005-12-21 06:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「ヒトラーの全盛時代は十年である。おごる平家だって二十年である。栄枯は一炊の夢だと書いたら一睡の夢だろう、字引ぐらい引け、またそのまま印刷に付す編集部も編集部だという手紙をもらったので驚いたことがある。
 『邯鄲の夢の枕』また『盧生の夢』の故事はまだ生きているつもりで書いたのは必ずしも私の落度ではない。謡曲に『邯鄲』がある。黄表紙に『金金先生栄花夢』がある。盧生という若者が栄華の都邯鄲の旅籠で粥を待つうちついうとうと眠ると、富貴をきわめたり零落したりする一生の夢を見た。目ざめればもとの盧生である。粥はまだ炊きあがっていなかった。
 夕べは一睡もしなかったという言葉はむろんあるが、栄華は一炊の夢でなければならない。この人はあとで待てよと字引をひいてしまったと後悔したのではないかと、むろん返事はしなかった。この時も笑った。」


  (山本夏彦著「『豆朝日新聞』始末」文春文庫 所収)
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2005・12・20

2005-12-20 06:15:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、良寛禅師の短歌をふたつと長歌をひとつ。

 「うづみ火に 足さしくべて 臥せれども
              こよひの寒さ はらにとほりぬ」

 「雪の夜に ねざめて聞けば 雁がねも
           天つみ空を なづみつつゆく」

 「風まじり     雪は降りきぬ
  雪まじり     雨は降りきぬ
  このゆふべ   起きゐて聞けば
  雁がねも    天つみ空を
  なづみつつ行く」

 次は、良寛禅師の臨終近い頃の歌と伝えられるものです。

 「おく山の菅の根しのぎ ふる雪の ふる
  雪の 降るとはすれど 積むとはなしに
  その雪の その雪の」
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2005・12・19

2005-12-19 12:12:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「私は広告をするのも好きだが見るのも好きで、記事より広告のほうを信用していると言って、なぜと怪しまれたことがある。
 普通は記事を信じて広告を信じない。広告は自分に有利なことを言って不利なことを言わない。それさえ承知していればだまされることはない。
 自分の不利を言わないことは裁判でさえ許されている。そのつもりで広告を皆さん割引いて見るから安全なのである。記事は書くほうも本当だと思って書くし、読むほうも本当だと思って読むから気をつけなければならないのに、気のつけようがないから長い目で見ると結局はだまされるのである。」


  (山本夏彦著「『豆朝日新聞』始末」文春文庫 所収)
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2005・12・18

2005-12-18 07:10:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「 何度も言うがわが税制は我々の嫉妬心の上に立っている
  今から十年前二十年前千万円の貯金があるものは持てるもので 、持てるもの
  からは奪うのが正義だと気勢をあげていたら 、いつのまにか自分も千万円の
  預金の持主になって 、しまったと思うならまだしも今度は一億持つものは持
  てるもので 、持てるものから奪うのは正義だと言うのだから 、その根底に
  あるのは 際限のない 嫉妬 だと分るのである 。
   嫉妬心なら劣情で 、劣情がそのままあらわれるのはさすがに恥ずかしいから 、
  それはいつも正義のふりをして出てくる 。私が正義と聞いたら疑うのはこの
  故である 。新聞が税制改革を金持優遇貧乏人いじめだというのは読
  者の多くが貧乏だと思っているから 、それに迎合してのことである

  金持といわれるといやがって 、貧乏人といわれると安心するのは『 進歩的 』
  と関係がある 。正直者はバカをみるとといわれて喜ぶのも似たようなメンタ
  リテからである 。
   百万読者はたいてい貧乏で 、それは正直だからだとこの言葉はいわんばかり
  だから喜ばれるのである 。貧乏なのは儲けようとして儲けそこなっただけか
  もしれない 。バカをみたのはうまく立回ろうとしてしくじっただけかもしれ
  ない 。それをみんな正直のせいにしてくれるから この言葉は耳に快いので
  ある 。
   サラ金で借金でもしないかぎり 、昔のような貧乏はもうないとみていい 。
  金持もまたないとみていい 。あると言いはるのはどこかにあったほうが好都
  合だと思うものがまだいるからである 。」

  (山本夏彦著「『豆朝日新聞』始末」文春文庫 所収)
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2005・12・17

2005-12-17 07:20:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「今は職業に貴賎がないことになっているが、誰も信じてない。ホステスやボーイという職業はやっぱり賤しいのである。それはチップで衣食するからで、チップで暮せば多くくれる客に媚び、少くくれる客をあなどる風が生じるのは人情で、これは私がボーイになってもきっとそうなるだろうから私は戯れに人生ボーイになる勿れと言うのである。
 ご存じの通り戦後はチップというものはなくなった。戦後の一流バーの客はすべて社用族で、社用ならチップの出どこがない。やむなく店は請求書に含めるようになった。その請求書をマダムに頼んで水増しさせ、そのぶん自分の懐ろにいれる客があるという。ホステスもボーイもそれを知っているから、この男を客と思うわけにはいかない。けれどもこれ以外の客がないならやっぱり客なのである。客に対してボーイが能面のような顔になるのは故なしとしないのである。
 要するに彼らは客でもなくボーイでもなく、一つ穴のむじななのである。いま銀座のバーで札びらを切る客がいたら、それは何らかの意味で『お尋ね者』である。その金はうさん臭い金である。それを最も知るのはホステスでありボーイでありバーテンである。いつぞや『蜂のひと刺し』で名をあげた榎本某女の情夫は札びらを切ったという。そのときボーイたちは初めから彼を怪しんでいた。そのうろんなこと客ではない自分たちの仲間だと見破っていた。怪しい者には怪しい者が分るのである。
 ついでながらパリのカフェーのギャルソンは立派だ、紳士だと尊敬せんばかりのことを書く者があるがバカも休み休み言え。フランス崇拝のついでにギャルソンまで崇拝したのだろうが、腹が出てかっぷくがよくて、莞爾としているからといって紳士だとは聞こえぬ話だ。チップで衣食するものの根性なら洋の東西を問わぬ、紳士なんぞでないこと言うまでもない。」

  (山本夏彦著「『豆朝日新聞』始末」文春文庫 所収)
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2005・12・16

2005-12-16 00:01:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「往年の新帰朝者永井荷風は『監獄署の裏』という小編のなかに次のように書いた。
 ――私はすでに三十になっている。まだ家をなしてない。父の大きな屋敷の一室に閉居している。処は市ヶ谷監獄署の裏である。父は私に将来何になるつもりかおだやかに聞いた。新聞記者になろうか、いや私はことによったら盗賊になっても、まだ正義と人道を商品にするほどの悪徳には馴れていない。私はもし社会が新聞によって正されるなら、その正された社会は正されない社会より暗黒だろうと思っている、云々。

 荷風がこれを書いたのは明治四十一年で、私がこれを読んだのは昭和十二年である。かねがね私は何を売ってもいいが正義だけは売ってはならぬと思っていたから、荷風のこの言葉はわが意を得ていまだに忘れないのである。
 もう一つ売ってはならぬものに『平和』がある。そして正義と平和を毎日のように呼号し売っているものに新聞がある
 正義は利益にならないで損になる。正義と利益を並べてどっちをとるかと迫られたら、利益を捨てて正義をとってはじめて正義である。だから正義の人は損益を言うならもっぱら損である。足尾銅山の鉱毒事件の田中正造は正義をとって生涯損した。」

 「いま、戦争は悪で不幸だと新聞は毎日のように書いている。けれども侵略と戦ったり自由のために戦うのは正義である。だから戦争は悪だと言われても、なお正義かもしれないと疑われると田中美知太郎は言っている。ただ怒りをこめて他を非難すれば、誰でも正義になれるというのは、いったいどういう正義なのだろうかというほどのことも言っている。」

 「新聞が呼号し売買する正義は常に読者の利益と一致する正義である。読者が欲する正義は損しない正義で、それは多く正義ではない。平和もまたそうである。これは内村鑑三が『平和なときの平和論』という一語で言い尽した。平和なときに平和論を喋喋するものは戦争になると黙して、たちまち戦争支持に転じ、支持しないものがいると支持する仲間に引きいれようとする。それでも平和論を唱えてやまないと、見放して当局に密告するか、石を投げる。投げるのはほかならぬあの平和なときに平和論を唱えた者どもだと内村は言っていると私は理解して内村に代って何度でも言う。」


  (山本夏彦著「『豆朝日新聞』始末」文春文庫 所収)
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2005・12・15

2005-12-15 06:25:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「『忠孝』のうちの忠を滅ぼすのは容易だったが、孝を滅ぼすのは容易でなかったから、昭和二十年代の文化人は筆をそろえて孝は骨肉の情で、自然に生じるものだから教えるに及ばぬ、強いるなと禁じた。
 ところが孝は自然の情ではなかったのである。人間以外の哺乳類は親は子を育てるが子が一人前になると互いに赤の他人のようになる。子が親を養うがごときは全くない。孝は中国人が何千年もかかって創り出したモラルだったのである。これで老後の問題をなくした知恵だったのである
 けれども元来自然の情ではないのだから、強いるなと禁じられたら僅々二三十年で滅びてしまった。その上核家族である。そして核家族はほかでもない私たちが選択したのである。今の親たちは若いときその子らに『お前たちの世話にはならないからね』と言った。子供にとってこんな好都合なことはない。親は言ったことを忘れても子は忘れない。心にもないことを言ったと親が気がついたときは遅かった
 いま韓国にはまだ孝は残っている。いっぽう核家族化は進んでいる。キムチがパックで売りだされたことによってもそれは察するに余りある。韓国は日本の轍をふむかふまないか、たぶんふむだろうと私は見ている。」


  (山本夏彦著「『豆朝日新聞』始末」文春文庫 所収)
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名士は多く二度死ぬ 2005・12・14

2005-12-14 06:35:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「坂本二郎の名をマスコミで見なくなって十なん年になる。それまで見ない日はなかったのに、ある日ばったり絶えた。ほとんど劇的な退場だった。
 社会的な名士は引退すれば誰もよりつかなくなる。生理的には存在しても社会的には存在しなくなる。凡夫凡婦とちがって社会的な死と生理的な死を、彼らは二度経験するのである。
 その代表的な例は芸人である。芸人の代表は力士である。土俵にあがらなくなった双葉山は双葉山ではない。リンドバーグが死んだとき、まだ生きていたのかと思わぬ人はなかっただろう。引退すべき老人が引退しないのはこのためである。」

  (山本夏彦著「『豆朝日新聞』始末」文春文庫 所収)
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2005・12・13

2005-12-13 06:45:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「すでに亡びた花柳界の義理と人情を私は知りたいと思っている。有島武郎は『或る女』のなかで明治の女で人間らしく生きたのは芸者くらいかと書いている。谷崎潤一郎は明治の芸者の人気は全盛期の映画スターをはるかに凌いだ、日本中の男のあこがれの的だったと書いている。芸者たちの写真は絵葉書にして売出されたから、その名は全国に知られた。」

 「色と欲の世界なのに花柳界はたいてい美化して書かれる。私はそれを芝居で見た、小説で読んだ、もと妓籍にあった老女の懐旧談で知った。
 大阪の舞妓照葉(てりはが本当だが誤り読まれるので自分でもてるはと書いた)が自分の小指を切って一世を驚かしたのは明治四十三年十五のときだとは、このごろその自伝で知った。」

 「私が知りたいのは多く些事である。些事しか私には興味がないのである。
 芸者は芸を売って色を売らないという。これは照葉ではないが、色を売らないはずの芸者の懐旧談のなかに枕をかわした男のなかには顔もおぼえてないのがいると、ついうっかり書いたのをみたことがある。
 それなら『みず転』と同じではないかというと同じではないのである。芸を売る芸者だという看板をあげておきさえすれば、かげでは何といわれても枕芸者ではないのである。第一衣裳がちがう。みず転は初めからみず転で、だれも衣裳に金をかけてくれない。
 人みな飾って言うと私は書いたことがある。一双の玉臂千人の枕――浮き川竹のつとめをしたものは本当のことを言うつもりでもなかなか言えない。一度や二度みごもったり、悪い病気をわずらったはずなのにそれを書いたものを見ない。いくら苦労しても人はついに本当の告白はできないのではないか、自慢話しかできないのではないか、私は些事を通してこのうそで固めた世の中の一端を描いてみたいと思っている。」

  (山本夏彦著「『豆朝日新聞』始末」文春文庫 所収)
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2005・12・12

2005-12-12 06:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。今から20年ほど前に書かれたコラムの一節です。旧弊が改められるまでには気の遠くなるほど長い時間がかかるものです。

 「何年か前『暮しの手帖』は『こわれもの』と但書きして茶わん二百なん十組を全国に送ってテストした。宅配便はほとんど割れないで着いた。次いで鉄道小荷物は一割四分、郵便小包は実に半分こわれて着いたという。窓口の女はきっと割れますよと保証して、それでもいいならと引受けて『こわれもの』と書いた注意書をマジックで塗りけしたという。
 なぜこわれるかというと投げつけるからである。局員は明治の郵便開始以来小包は投げるものと心得て育ったのだから、今さら改めることはできない。こうして郵便小包の扱数は激減したのである。そこで十個以上まとめて出すなら二割引、百個以上なら二割五分引にするとたまりかねて言いだした。幹部は客をとりもどしたいらしい。
 その幹部もはじめは宅配便を郵便法違反で取押さえてこの危機を免れようとした。それができなければせめて小さいものを扱わせまいとして、何年か扱わせなかったがついに古い規則では抗しきれなくなって小型六百円を許した。
 六百円であくる日着くなら、いかなる速達小包より安い。速達にしたって明日着くとは保証できないと窓口嬢は言うから、窓口は客を追いはらっているようなものだ。文句を言うと郵便局は小包だけ出しているのではない、貯金も保険業務もしていると答える。
 さて旧冬わが社はお歳暮の小包を近所の特定郵便局から三百個以上出した。郵便番号別にして料金別納スタンプを押して出した。いつもしていることだからしたが、考えてみればいずれも郵便局員がすべきことである。それをなが年命じて客にさせているのである。こっちは窓口を独占して他の客に迷惑をかけては悪いと思ってしているのである。すっかり片づいたあとで局員は、これだけ数がまとまっているなら、電話すれば取りに行くのにとつぶやいた。
 『えっ』と思わず声をあげたら何十個以上まとまれば取りにきてくれるのだそうである(但し手があいていれば)。『だれが?』『本局の係員が』。
 あとからここは特定局であって本局ではない。それならそうと早く言ってくれれば混みあわないですんだのである。小声で言ったのはそんなサービスをするのが不本意だからである。ここが『官』と『半官』と『民』のちがいである。」

 「古い規則を励行してまだ意地悪できるのは、役人にとってはこの上ない快事である。さぞかし宅配便にもしたことだろう。
 全逓にかぎらず国鉄でも幹部は少しでも客をとり戻したいと思っているが、下っぱは『こわれますよ』と引受けまいとする。親の心子知らずかというと実はそうでないのである。ナニ上役だって本当はサービスなんかしたくないのである。そもそもそんな発想はないのである。うそだと思うなら、別納便のスタンプを局員に押させることを考えてみるがいい。それと察して下っぱもサービスなんかするつもりはないのである。両者はいまだに一心同体である。」


  (山本夏彦著「『豆朝日新聞』始末」文春文庫 所収)
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