モンシロチョウにはヒトには見えない紫外線が見えている。コウモリにとっては超音波が聞こえない世界は考えられないものだろう。
ヒトが客観的だとか絶対的だとか思っているこの環境は別の生物からみると全く違ったものに見えているし感じられている。
音、あるいは音楽に関することも似たようなことかもしれない。
音楽でも絵画でもなんでもいいが、芸術について「~~はわからない」という発言をよく耳にする。~~はジャズ、演歌、クラシック音楽、抽象画、などなどなんでもよい。わからない、ではなくて、「認識できない」とか「感じられない」という言葉のほうが適切だと思う。
ヒトは赤外線や紫外線を目で見えるものとしては感じられないが、頭では理解して「わかって」いる。超音波も耳では聞こえないが、その存在を「わかって」いる。
自分が聞いてみて何も感じない音楽は、耳には聞こえていても、そこから何の感興もわかないということで、それは、「わからない」のではなくて、「感じない」紫外線のようなものであろう。
感じないものを無理にわかろうとしてもつまらない。人生限られた時間なのだから、感じるものだけを楽しむほうがいいのではないか。などと考えた。
この本の内容からはずいぶん脱線してしまった。
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