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蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

島倉千代子駒ひき考

2011年06月28日 | 小説
島倉千代子が800年前に宮崎県で馬(駒)をひいた悲恋話です。

駒とは馬だが人を乗せる馬を意味する。これを知ったのは最近のことで、とある古老から聞いた。広辞苑を引くと駒とは「小さい馬」が一の意味として出ている。小さい馬なら仔馬(コウマ)だろう、駒を当てるのは無理だ。二の意味に乗馬用の馬と出ていた。この意が本来の意なのだ。物知りの古老の説明とこの解釈で合う。
同じ時期、YouTubeをたぐっていたら島倉千代子の「稗つき節」があった。今(11年6月28日現在)は著作権に触れるのか削除されています。千代子若い頃の美声をたっぷり聞かせる見事な歌いぷりなので、何度も聞いた。SPで探しようがないけれど、千代子の最高絶唱だと思う。
有名な稗つき節の歌詞なのでご存じかと思うが、あらためて書く。
相聞歌の形でまず男が、
>庭のさんしゅの木に鳴る鈴かけて、鈴が鳴るときにゃ出ておじゃれ<
女が応えて>鈴の鳴るときやなんというておじゃろか。コマに水やろと出やろか<
ここでコマ=駒=の乗用馬の意味が分かれば理解が深まる。

この庭に乗り付ける馬は駄馬(荷物運び馬)でも代馬(シロウマ、田んぼ掻きの馬)でもない、人が乗る馬なのだ。鈴が鳴るとは人がやって来たのだ。人とは「恋人」なのだ。するとこの民謡の解釈は
>今は別れるがさんしゅの木にこの鈴をかける。駒を駆って急いでお前に会いもどるぞ。鈴を鳴らすから出てきておくれ< >鈴が鳴ったらすぐに出ます。でもなんて言い訳しようか、駒に水をやるからと出ようか<なのだ。

駒に乗る恋人はだれだ。百姓でも馬に乗れるが、それは空荷の駄馬にのるだけである。百姓馬子め等は「馬」に乗るのだ。
駒とは人の乗馬用に選別され調教され、おそらく良質の飼料で育成されたのだろう。駒に乗れるのは武人でしかない。
古代中世では貴人の乗り物は牛車か輿。また武人の統領たる守護、守護代は輿に乗っていた。その周囲を守る若侍が駒に乗るのだ。若い侍恋人の相聞が第一、二番なのだ。続く三番を聞いて若侍と恋人とは誰かが分かる。

>那須の大八、鶴富捨てて~♪椎葉去るときや目に涙よう~♪<

トライブスマン(渡来部)は二週間まえまでは、恥ずかしながらこの意味合いを少しも理解していなかった。一、二番の歌詞を田舎の風景、庭先で「タノモー」の代わりに鈴をジャランジャランさせる、呑気なお隣百姓さんの馬連れ訪問だと勘違いしていた。
だから三番で突然「大八と鶴富」が出てくるが、まえとの関連を見つけられない。椎葉の「鶴富伝説」は本当かどうか、あやしいなとも疑ってしまっていた。その邪推を全て氷解させたのが駒の意でした。

筆者トライブスマンは部族民なので部族思考で想像をさらに巡らせた。

大八は涙で椎葉を立った。御殿の庭先で駒を牽き大八に渡したのは誰だ?それは鶴富にきまっているのだ。
浄瑠璃で椎葉の別れでは鶴富姫は絹すりの12単衣を着ている。平家公達のお姫様ですね。でもお姫様は駒に水やりに出ないから、鶴富は御殿付きの子女である。かも知れない、に決まってる。なぜって駒が来て、水をやりにでる口実が使えるのは低い地位の子女だ。

那須大八の出立の朝、鶴富が駒を牽き、手綱を大八に渡す。大八は無言で受けはるか坂東那須に出立する。彼は振り向かない、しかし目に涙を溜めていた。坂東荒くれ、烏帽子に甲冑の威丈夫がとの別れに泣いた。これが歌の意味です。

ここまで来て私も涙が出た。800年前九州は宮崎山村で鈴にかけた恋が目の前に現れたからです。800年前の恋をここまで歌い上げた島倉千代子の力量には恐れ入った。

鶴富は千代子似の、若武者大八はきっと中井貴一あたりに似ているのだろうね。トライブスマンに似てると言いたいのはヤマヤマだけれど、この顔(左の髭男)が若武者にはならないのが悔しい。40年前に駒の意味を知っていたら、20歳の私は那須大八になっていたのだ。

蛇足:民俗学の先達石田英一郎男爵は駒と馬を区別していなかった。残念。(河童駒ひき考)
馬と駒の差は世界でも一般的で、アラブ、サラブレッドを造ったのは乗用馬を人口淘汰したから。アラブ世界ではキャメル(荷運びのラクダ)とメハリ(人が乗るラクダ)では骨格、走行力で差がある。

コメント
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