蕃神義雄 部族民通信

レヴィストロース著作悲しき熱帯、神話学4部作を紹介している。

ヒトはいつから人になるか 1

2018年04月02日 | 小説
(2018年4月2日)

ユダヤ・キリストの神の教えから考えてみると。
洗礼のヨハネの誕生逸話。新約聖書ルカ伝から一節を引用する。
=ユダヤの王ヘロデの世に祭司で名をザカリヤ(ザカリとも)という者がいた。妻はアロン家の娘のひとりで名をエリサベトという=中略=
(注:二人の間に子はない、エリザベトは不妊である、二人とも老齢との注釈が前段にある)祭壇で祈るザカリの前に、
=主の御使が現れて香壇の右に立った。ザカリヤは恐怖の念に襲われた。御使が彼に言うに「エリサベトは男の子を産むであろう。その子をヨハネと名づけなさい」ザカリヤは御使に答えた「どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」=(引用はネットから採取、一部変更)
老齢しかも妻は不妊ならば子が授かる筈はないのだが、ザカリの素朴な疑問である。

投稿子がかつて購入したLa Sainte Bible (L’ecole biblique de JERUSALEM, エルサレム聖書学院、1961年版)の仏文で、上記文を追ってみる、ザカリと天使のやり取りは;
=Mais l’ange lui dit “ Rassure-toi , Zacharie; ta supplication a ete exaucee; ta femme Elisabeth t’enfantera un fils(聖書ルカ伝、1-7)この訳は上記のとおりです。
一点だけ;
上引用の後段=わたしにわかるでしょうか=はQu’est-cequi m’en assurera? の訳。直訳では「何がわたしにそれを確信させてくれますか」。この脚注に(エリザベト懐妊など信じられない)ザカリは「サイン=signes」を求めたとする。サインは証拠よりも幅広い、神の徴みたいなモノか。答えて天使は;=Je suis Gabriel, qui me tiens devant le Dieu, et j’ai ete envoye pour t’apporter cette bonne nouvelle(同)私は神に仕えるガブリエルと、この良き報せをお前に教えるために神から使わされたと答えた。祭壇の横で虚偽は言わない、ガブリエルの名がザカリに確かなサインを与えた。
この後に;
=et tu lui donnera le nom de Jean, il sera rempli du Saint Esprit des le sein de sa mere et ramenera de nombreaux fils d’Israel au Seigneur=
(懐妊のみならず)その子の名をヨハネとする指示を天使は与えた。子が男であると教えている。さらにヨハネなる子は、母の胎内に生きる時から精霊(SaintEsprit)に満たされ、成長ののちには多くのイスラエルの民を神に導くと伝えている。その子の成長してからの行動まで報せている。
すなわち懐妊の段階で神はその子の多くを知っているのか。

annonciation、受胎告知は西洋絵画の題材に採用広く採用されている。なかでも神秘性、そして後々の不幸を予言するかの色彩からグレコを選んだ。


もう一例
=六か月の後、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。
これが有名な受胎告知。Sainte Bibleで読むと;
=(L’annonciation)Gabriel fut envoye par Dieu dans une ville de Galilee, apple Nazareth, a une vierge fiancée a un home du nom de Joseph ; le nom de la vierge etait Marie.
Il entra chez elle et lui dit « le Seigneur est avec toi »=中略=Voici que tu concevras et enfanteras un fils, tu lui donnera le nom de Jesus.
そして;
マリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしは男性を知りませんのに」
=Mais Marie dit a l’ange : » Comment cela se fera-t-il, puisque je ne connais point d’homme »
動詞connaitreの現在形がconnais、一般的意味では「知る」となるが聖書用語ではavoir des relations charnelles (=le petit robert) とある。すなわち肉体関係を持つ意味に変わる。マリアは婚約者ではあるが処女、男性を知らないとはその意味である。
ガブリエルはマリアの疑いに答えて「今晩にも精霊がお前に降りる、天上の力がお前に影をおとして」と処女懐胎の説明の後、ヨハネの場合と同様に「その子をイエスと命名しなさい、彼は人々に神の子と呼ばれる」
子の性別も成長の後の行動も教えている。
それはある意味で人のすべてである。神は懐妊の時に、胚でしかない生命体の将来すべてを知るのか?それなら、人の胚とは、胎に宿るその段階で人の性状を獲得しているのではないだろうか。
人間の歴史で神が受胎を告知したのはヨハネとイエスの2例のみである、ならば胚にあっても人性を持っていたのはそれらヨハネ、キリストの場合のみなのか。
次回に続く。

ヒトはいつから人になるか 1 の了 (2018年4月2日)

余談;昔、聖書を平読してソドムとゴモラの一節で理解不能に陥った。旅姿の見慣れない二人の若者がロトの家を訪問した。近在の人々が「彼は誰だ、知りたい、ここに出せ」と騒いだ。若者とは神の使いの化身だった。この「知りたい」とは、高校生の身では、どこそこの誰か、そして名前はとしか理解できない。しかし、この騒ぎが原因となってソドムは破滅した。名を聞くだけで神はこれ程怒るのかが疑問だった。
聖書用語で知るとは「肉体関係を持ちたい」を最近になって知った。ソドムの悪習を語る一節だった。
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