かなり広範囲の段々畑です。
遠くに見える山の稜線で、低い部分がある。そこに向かって山の中腹から伸びる一本の黒い線がインカ道です。
鉄道などのない時は、この峠を越えてマチュピチュに入って来たそうです。

左:居住区の一段低い所にある石室です。この階段部分は一個の石をっ削ったものと言う。牢獄だったと言う。
右:そのすぐ前には、コンドルの模様かも知れない石の造形がある。

そこのすぐ上にある石の造形。石の穴はコーナーでトンネルになっている。
人が座って両側の穴にそれぞれ手を通し、拘束したものとガイドは言う。

ウサギは2羽いた。全く動かないので縫いぐるみかと思った。

強い紫外線の下で、人々は三々五々寛いでいる。

帰るときに、入口の近くで記念パネルを見つけた。
ハイラム=ビンガムが1911年に発見したとでも書いてあるのだろう。
彼は川沿いを歩いて進むうちに、山の上にある森の中に遺跡が見つかったと言う。
すべてが森とブッシュで覆われていたと言う。現在でもまだ新しい段々畑が発見されていると言う。

このバスで、山を下って駅に行く。

車窓からみると、列車の待避線に赤い列車が2本停まっている。橋までジグザグ道を下って行く。

この少年は、走ってバスを追いかけてきた少年で、グッバイ少年と呼ばれる。
ジグザグをバスが降りていると少年は直線で走って降りてきた、バスに向かってグッバーイと叫ぶ。
すべてのカーブで、ぎりぎりにバスと出会うと、車内から拍手さえ起こる。

最後に橋を渡った所で、バスが止まり少年を乗せる。彼はお金を求めてきた。
そう言えば、山上で、2-3人の少年を男が動かしていた。日本人のバスには必ずついて来ているようだった。
ペルー国鉄。マチュピチュ=クスコ間の、出発時刻表である。

全容の写真です。

この後、リマの市内観光・ナスカの地上絵などをアップする予定です。
遠くに見える山の稜線で、低い部分がある。そこに向かって山の中腹から伸びる一本の黒い線がインカ道です。
鉄道などのない時は、この峠を越えてマチュピチュに入って来たそうです。

左:居住区の一段低い所にある石室です。この階段部分は一個の石をっ削ったものと言う。牢獄だったと言う。
右:そのすぐ前には、コンドルの模様かも知れない石の造形がある。


そこのすぐ上にある石の造形。石の穴はコーナーでトンネルになっている。
人が座って両側の穴にそれぞれ手を通し、拘束したものとガイドは言う。

ウサギは2羽いた。全く動かないので縫いぐるみかと思った。

強い紫外線の下で、人々は三々五々寛いでいる。

帰るときに、入口の近くで記念パネルを見つけた。
ハイラム=ビンガムが1911年に発見したとでも書いてあるのだろう。
彼は川沿いを歩いて進むうちに、山の上にある森の中に遺跡が見つかったと言う。
すべてが森とブッシュで覆われていたと言う。現在でもまだ新しい段々畑が発見されていると言う。

このバスで、山を下って駅に行く。

車窓からみると、列車の待避線に赤い列車が2本停まっている。橋までジグザグ道を下って行く。

この少年は、走ってバスを追いかけてきた少年で、グッバイ少年と呼ばれる。
ジグザグをバスが降りていると少年は直線で走って降りてきた、バスに向かってグッバーイと叫ぶ。
すべてのカーブで、ぎりぎりにバスと出会うと、車内から拍手さえ起こる。

最後に橋を渡った所で、バスが止まり少年を乗せる。彼はお金を求めてきた。
そう言えば、山上で、2-3人の少年を男が動かしていた。日本人のバスには必ずついて来ているようだった。
ペルー国鉄。マチュピチュ=クスコ間の、出発時刻表である。

全容の写真です。

この後、リマの市内観光・ナスカの地上絵などをアップする予定です。