思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

阪神ファン

2007年09月14日 | Weblog
女房は高校生の頃、阪神の応援一色に染まっていたそうだ。
野球ばかりみて勉強しなかったために今その報いが来てるといっている。
どんな報いか分らんが。

以来なるべく野球からは遠ざかるようにしているとか言っている。
それがここにきて阪神が上昇ムードで遂に首位に立ってしまった。

昨晩寝る前に「今日は野球のニュース見逃したけど阪神どうなってる?」という。
ネツトで調べて「勝ってるよ」というと
「良かった、またズルズル負けが続いたりしたら、ボコボコにしてしばき倒すでぇ」と怪気炎をあげる。

また阪神にはまるつもりかね。

福田さん

2007年09月14日 | Weblog
どうやら次期総裁は「福田さん」に決まりそうだ。
あの人はどことなく面白いというか好感が持てるというか。
贅沢な人らしくみんなが「総裁選」に出てくれと言わない限り立候補はしないと言われていた。

今回は推す人が多く「それほど言ってくれるんなら立候補するか」という訳だ。
飄々としている中にも、どこか間抜けなところもありそうなのが嬉しい。

胃腸は大丈夫かな。

失恋のブログ

2007年09月14日 | Weblog
若い人が時々書いている「失恋ブログ」はいいですね。
若い人に限らず女性にとっては、恋は男よりも大抵真剣で人生の一大事なのだと思います。
「恋に夢中」よりも「失恋」の方が感情が大きく動くのだと思います。

しかし、なかなか失恋していることは表に出しませんね。
めんめんと人生の悲しみのようなものを綴ります。
何が悲しいのかよく分らないままに読んで、想像力を働かさないと失恋の悲しみを綴っているということは分りません。

抽象的な詩であったりもします。
人生は儚いもの、思いを伝える難しさ、自分の至らない点はなにか、そんなことを抽象的に書き連ねます。

女房が高校生の頃の大学ノートというのを一度見たことがあります。
それ以来ノートはどこかへ消えましたが。
非常に抽象的で何について書いているのかよく分らない文章が延々と続いています。
多分、片思いの失恋の文章なのかも知れません。


写真

2007年09月14日 | Weblog
わりとよく写真は撮りますね。
この前の旅行で10年使ったカメラも遂に壊れました。
それを愛用していた女房も流石に修理はあきらめたようで「今度はデジカメやね」と言ってます。
私の持っている数年前のデジカメと同じ程度の性能のものが価格は3分の1程度になってますね。

それで写真のこと。
女房は「皺は写さんでええよ、もっと離れて写して」といつも言います。
そして出来上がった写真を見ては「まだ若い子には負けてへん」といいます。
何が負けてないのか分りませんが。

我々が写す写真はすべて自然な表情とはかけ離れている写真です。
「さあ、写すよ」の合図で、最高の自分が写るように身構えます。
旅行中は私も、面白くないことがあってもカメラの前では「にっこり」表情で気取ります。

時々知らないうちに写真を撮られることがあります。
旅行していると観光地の業者が次々と知らない間に写真を撮って、たちまち仕上げて展示します、気に入ったら記念に購入してくださいと言うわけです。

そんな写真には構えていない自分の姿が写っています。
たまに自分を見て「どこの爺さんじゃ、そんなやつは知らんぞ」と言いたくなる写真に出会います。
それが本当の自分であるとは認めたくない写真です。

人間は本来の自分よりも価値ある自分でいたい、本当の醜い自分は認めたくない、そんな心理が働くのかも知れません。
女房も同じようなもんで、アルバムには貼らないたくさんの写真があります。
ケチなので捨てることはしませんが別の袋に入っています。
自分であることを認めたくない写真です。

それにしても女房が私を写す写真には腹が立ちます。
斜めになっていたり、構図がめちゃくちゃだったり。
私が女房を撮る写真はいつもバッチリなのに。
皺のことまでは知らん。

秋の夜長

2007年09月14日 | Weblog
風も涼しくなった。
秋風といえる。
夜が過ごしやすいので、ついつい夜更かしをすることになりそうだ。

秋の夜長といえば「読書」という連想はなくなった。
読書をしなくなったから。
物思う秋とも言うが、物思うことも無いな。
じいさんが物思いしても様にならんしな。

記憶力が落ちたかなあ。
冬の演劇公演の台詞、必死で覚えないと。
10月末の市民文化祭ダンスでのチャチャのステップ、早く頭に入れないと。

明日は英会話クラスで、サマーバケイションの発表があるしな、何を話すればいいんだろ。

そんなことを考えてる秋の夜だなあ。
ブログのネタも考えることのひとつかなあ。

対面朗読

2007年09月13日 | Weblog
視覚障害の方々への朗読ボランティアのひとつに「対面朗読」というのがあります。
本人が希望する図書を個室で対面して朗読して耳で聞いてもらうというボランティアです。
少し大きな図書施設にはそのような対面朗読室があります。

明日はその対面朗読の作業があるとのことで、女房はなにかしら難しそうな本を下読みしています。
図書館にボランティア登録してあるので、時々依頼が入ります。

今回は、アメリカの政治評論のようです。
難解な本はボランティアする人も嫌がります。
そんな本を指定してくる盲人さんはかなりの程度の高い知性を備えていて間違って読むと逆に指摘されたりするそうです。

そんな本は私も読む気はしません。
女房が下読みするのを聞いていても、どこかの教授さんでも読みそうな本です。
時々下読みを中断しては「○○は○○と読んでいいの?」とか、ひっきりなしに私に確認を求めてきます。

女房も読んでいるその難解な評論の中身は多分全然わかっていないと思います。
ただ、正しく読んでいるかどうか、ということだけに気を使っているようです。

それでいいと思います。

聞いている盲人さんの方も、ボランティアのミスを指摘したり、たまには教えを垂れたりして、交わされる会話を楽しむことも生き甲斐なのです。
女房もそのような知的な盲人さんとの会話を楽しんでいるのでしょう。

骨壷

2007年09月11日 | Weblog
今日の講演での挿話。
講師は、毎日新聞客員編集委員。

電車に置き忘れるもののひとつに「骨壷」がある。
いずれもおびただしい数に登るそうで、わざと置いていったとしか思えない、と職員が言っているらしい。
持って帰っても家には仏壇も無い・葬る墓も無いし処理に困る、捨てるわけにも行かないし電車内に置いていこう、ということになるのだろうか。

最近はお墓を守る人もどんどん減っていっているらしい。
核家族化・少子化が更に拍車をかけるだろう。
葬式も最近は無駄な費用と考える傾向が強くなっているという。

極端な例では、病院で死亡したら「焼き場」に直行というケースも増えているとか。
お葬式を省略してしまうのだ。

それをどのように感じるかは人それぞれだが、私自身の死に関して言えば「お好きなように」というしかない。
お葬式もやってもやらなくともいいし、お墓も無くともかまわない。
骨壷を電車に置き忘れてもらっても結構。
死は「無」だから、死後のことには一切関知しない。
遺言もしないだろうと思う。

ブログ休止

2007年09月10日 | Weblog
「長い間私の拙いブログにお付き合いいただいてありがとうございます」
「思うところあってブログを休止します」
「いろいろな励ましのお言葉や温かいコメントをいただいた方々に心より感謝いたします」

最近よくそのような挨拶でブログを締めくくる方々が増えている。
私も始めてから2年半ほどになるかもしれない。
1年前2年前の自分のブログを読み返してみても、似たような心境が書いてあり進歩のカケラも無いようなマンネリとも言えるような自己嫌悪に陥ることもある。

こんなことに貴重な時間を費やしているよりも、もっと別なことに時間を割いたほうが有益ではないかと考えたりもする。
匿名のブログとはいえ、本当の自分をさらけ出す訳にはいかない。
中には2つ、3つのブログを駆使して自分の違う面を吐露しているブログをお持ちの人もいる。

それとブログのコメンテーターもある種の仲良しクラブになる。
共通の人生観を持った人が集まるから、賛意を表するコメントになる、「お前、ちょっとおかしいんじゃないか」とコメントする人はいない。

そんな訳でブロガーは根拠のない自己満足に陥ることもありそうだ。
賛意が得られなければ逆に自己嫌悪に陥る、自分はバカなことをしてるのではなかろうか。
「アホやなあ、お前」と思われてるような感覚。

匿名性も逆にある種の問題を抱えている。
友達同士で「私ブログ作ったから今度見てね」式のブログはそんなことも無いだろうが、匿名のつもりで書くブログは違った意味で気を使う。

自分の素性が明らかになることを隠さねばならない。
私も「もし女房がこのブログを読んだとしたら?」と一応構える。
「なに馬鹿なことを書いてんのよ」と笑って済ましてもらえる程度にとどめようとする。
自分が特定されないように固有名詞には気を使う。

従って臨場感の無い現実味の薄い表現になる。
実際の本人はブログの記述とは似ても似つかない現実生活を送っているかもしれない。

架空の世界で遊んでいるような物足りなさを感じる。

そんなこんなで「亭主が私のブログを読んでるかも」「女房が知っていて知らない振りしてるのかも」「実は知人が読んでいて知らない振りしてた」、そんなことにある日気づいたら嫌な感じになる。
実際に私も身近な人のブログを知っているが、知らない振りをしている。
その人は本来なら私に知られてはいけないことも平気で書いている。

そんなこともブログ休止のひとつの理由になっているに違いない。
長いこと日常を書いていて、身近な人が読む機会があればブロガーが誰かは察しはつく。

私は暇をもてあましているので、暫くはこのまま続くとおもう。
椿事が発生しない限り。

今日は何した?

2007年09月09日 | Weblog
日曜日は昼過ぎまでの間、過ごし方はパターン化している。
テレビを見ることが多い。

NHKの日曜討論、そのあとテレビ朝日、昼のニュース、のど自慢、新婚さんいらっしゃい、囲碁番組。
そこからあとは何をするか決めていない、いわば自由時間。
今日は徹底的に束縛された。

大掃除が始まった、女房は決して一人では掃除しない、必ず私も一緒だ。
掃除は滅多にしない代りに、ひとたび始めると時間をかけて徹底的にやる。
夕方、車で30分ほどの遠方の図書館に用事があるから連れて行け、といわれて行った帰りは、スーパーに寄ってくれといわれて買い物。

夜は飲みに行こうかと思ったが、巨人阪神戦が始まって出そびれた。
同点のまま放送時間終了、チェッと思っていると、女房がテレビドラマ「生きる」を見始めて、ズルズルと一緒に見てしまった。

それにしても阪神強い。延長戦の末今日も勝っちゃった。
スゲエ。

阪神首位

2007年09月08日 | Weblog
久しぶりに野球放送を見た。
遂に阪神が首位に、巨人戦を勝ったのが気持ちいい。
星野・梨田のダブル解説。

隠れ阪神である私、野球はあまり見ないが、最近新聞の順位表を最初に見る日が続いていた。
頑張れ阪神。