思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

心ない言葉

2005年06月17日 | Weblog
昨夜はダンスレッスン。
スローフォックストロット。ちと難しい。
女房とは踊っていても何となくぎこちない。姿勢がふら付いているし、ふら付くと寄りかかってくるし、ステップもよく覚えていない。男性のリード次第とかいってるがそうとばかりも言えないと思う。
帰りの車で「油の切れたロボットと踊っているみたいだ」とつい言ってしまった。
しまった~、と思ったが女房は何も言わない。と言うことはエライ事になる予感が走った。

案の定、帰ってから寄ってきて寝るまで言い続けた。彼女も私の踊りには言いたいことが山ほどあるが、失礼なことは言ってない、ということだった。

口は災いの元、とはこのことだ。
頭を深く下げて陳謝しても、元には戻らない。あ~あ。

時間に縛られる

2005年06月17日 | Weblog
我々は時間に縛られて生きている。
先日、エジプトを旅行したとき田舎の地方でロバを見た。荷物を運んだり、荷車を引いたり、人を乗せたり、恐らく何千年も繰り返されている光景だろう。
イエス・キリストもロバに乗って民衆の前に現れた聖書の話を思い出す。
馬より小さいけれど力持ち、格好もそんなに素敵とはいえない。歩く姿もトボトボというのがピッタリする。
そんな光景は何となく時間を忘れさせる。茫漠としたエジプトの男性は、時間を忘れて座っているようだ。永遠に座り続けるような様子で。
実際にはそんなことはなくて、仕事もないし仕様がなくて座っているのかもしれないが、我々が見るとそんな感じを受ける光景だ。

ふと時計を見ると思った時間にまだ1時間残っている。何となく得をしたような気分になることがある。逆もあって思わず焦ったりする。
あと何年生きられるか、あるいは何年生きなければならないか、そんな風な思考の仕方に縛られている。
実は1時間後、1年後に死ぬ宿命を背負っているかもしれないが、そんなことには思いは行かない。病気で死を宣告されたとしても、その間をどう生きるべきか、時間に縛られて生きてゆく。

一時、腕時計のバンドで腕がかぶれて、時計を持たない生活をしたことがある。
殆ど不便は感じなかった。というのは至る所に時間がある。時計そのものも至るとこるにあるし、行きかう馴染みの顔も通勤時間の正確さを証明してくれる。昼になれば全員食事に席を立つ。定刻には派遣のおねえさんが帰り支度する。メールに縛られていたから時計をも持たなくても時間は秒単位まで把握できる。

時間に縛られないはずの今でも時間に縛られて生きている。
この時間には自分はこういうことをしていなければならないと言う思考が身についている。

時間を忘れて没頭する、そんな生活ができればいいな~。それが一番の幸せと思う。

作家 角田光代

2005年06月17日 | Weblog
朝のテレビで直木賞作家の角田光代さんが紹介されていた。
以前に1度見た記憶があるので再放送と思われる。
38歳独身、服装ははっきり言ってダサイ感じだが立ち居振る舞い・話し方は非常に好感が持てた。素直で衒いがなく、自分の心を正直に表現しているように思えた。

人にこう思われたいとか、こんなことを言えば人はこう反応してくれるだろうとかの企み・打算は一切感じられない。
素直に真実の自分を表現して様になる人は人は本当に羨ましい。

小学校の1年生のときから将来は作家になろうと決めていたというから凄い。作文に対して先生が必ずコメントを入れてくれていて励まされたのがきっかけになったという。
小学校の作文帳にも「かくたみつよ」と名前がかいてある。本名で通しているのかな。

彼女の本は1冊も読んだことが無いが、多分読者層は若い女性が多いだろうなあという感じを受けた。二重まぶたの、人を見詰めて話す真摯な瞳が美しい。
大学もただ作家になるための勉強中心、家には閉じこもらない。世間とずれが生じないように、とか納得できる行動パターンも面白い。
1人旅で世界20数カ国を回ったというのも凄いし、近所のボクシングジムに通っているとかも面白い。ボクシングをやるタイプには全然見えないところが意外でいい。頭を真っ白にできる時間が欲しかったという。

自宅の5分ほどの近所にマンションを持って仕事場にしている。
仕事時間は朝から夜5時までと決めているそうで絶対に残業はしない。原稿の締切日に遅れたことも無いとか、30近い連載を抱えているという。
朝、ボサボサの髪で仕事場に向かう姿は、どう見ても寝起きのねえちゃんだ。それを気にしている様子も見えない。前の日に深酒した顔だ。酒を飲むピッチはべらぼうに早いらしい。
近所でも直木賞作家と気づいてるひとは少ないという。そりゃそうだろと思うくらいごく普通のおねえさんだ。
仕事場は禁煙にしているそうで、キッチンの換気扇の下で煙草をすっているのが笑えた。私もそうさせられているので。

彼女は既に多数の著作を出版しているが、駄作は1冊も無いといわれているらしい。
パソコンに向かっていて書き進むときは殆ど淀みなく進み、考え考え休みながら書くというタイプではないという。
何を訴えたいのか、という質問に「そんなものはありません」と答えていた。一度自分の手を離れ出版されたものについては、どんな読まれ方をしてもいい、それは読んでくれる人の自由だ、といっていた。
なぜ書くのですか、いう気障な質問にも「小説家でいたいから書く」と答えていた。書けなくなっても小説家を名乗ることは自由だが自分はそれは嫌だから、と答えも様になっいる。

多分彼女の頭脳は、小説家の思考をするように、ながねん鍛え抜かれている。
人の日常の所作・会話とか、そんなものに興味を持って、そんなことから人生の真実を汲み上げるのが得意みたいだ。
今まで生きてきた自分の人生とは違うものにも挑戦してみたいとか言ってた。

好感の持てる人であった。