鉄道模型・色差し三昧

精密な模型製品だからこそ、色差しを施しませんか?
より、魅力を引き出しましょう。
お気に入りができますよ。

どうぶつこうえん

2010年08月30日 | 記録 程久保と高幡と
まず、ばらばら蒸機の顛末。
動輪の動きが渋いのは、左右に分かれたダイカストブロックに微妙なズレがあるためでした。
すべての部品を外して組み直すと、
「あ~ら不思議」
スムーズに動くようになりました。
余談ですが、さすがKATOの量産品ですね。
微妙な調整は全く必要なく、組み立てることができました。
むかし、もっと大きな蒸気機関車のモデルでロッドの調整に泣かされたことがある身としては、
なんとも痛快でありました。
それだけに…。
ダイカストブロックのズレ、ねぇ…。
微妙な遊びがあるのでしょうが、なんとなく釈然としません。
こんな大事な箇所に、組立精度の甘さが出る余地を残すかぁ?
ともあれ、nari-masa様には有用なコメントをいただきました。
ありがとうございました。

話変わって。
週末のおでかけ。
高校時代の友だちと会ってきました。

翌日、息子どもと“どうぶつえん”。


ともかく、暑い日でした。
「チョウの温室」が涼しいくらい。


最近のワタシのお気に入りは、ハキリアリ。


昼寝中のモモイロペリカン。


アミメキリンも昼寝をし始め…。


ライオンバスに乗ったら、ライオンにそっぽ向かれてしまいました。


チンパンジー相手なら、たぶん、目で会話が通じます。


コアラは、ちょうどご飯タイムでした。


鼻息が聞こえる近さで見られる水牛。


アクセスは、この電車で。


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多摩動物公園 開園50年

2008年05月10日 | 記録 程久保と高幡と
連休中のことですが、多摩動物公園が開園50周年を迎えました。
ライオンバスが走り、クロトキが繁殖し、コアラが昼寝している動物園ですが、
じつはワタシが育った町の動物園でもあります。
小学校の理科のときに、班行動で飼育係さんに話を聞きに行ったことがあるくらい。

最寄り駅は、京王線と多摩都市モノレールの多摩動物公園駅です。
しかし、50年前の開園時には、モノレールはおろか京王線の支線も開業していませんでした。
当時の最寄駅である高幡不動から、バスもしくは歩いて行ったそうです。

開園初日は猛烈な混雑で、ふだん10分弱のバスが2時間かかってもつかなかったとか、
帰りの切符が売り切れた高幡不動駅では、急遽ボール紙にゴム印を捺して切符にしたとか、
ようやく閉園したあとの園内は、あちこちで柵が押し潰されていたなどの逸話が残っています。

戦後13年目にしてようやく開園した新しい動物園です。
レジャーにまだ乏しかった時代、それだけ人々の期待が大きかったということでしょう。

もっとも、
“珍獣を集めず、アジアの一般的な動物をなるべく自然な環境で見せる”
というコンセプトが高尚すぎたのか、数年間は入場者の数は低迷します。
増加に転じたのはライオンなどを展示するアフリカ園が増設され、京王線の支線が開業てからのことでした。

5月5日に、開園50年を記念したヘッドマークをつけた電車が、京王線を走ったのだそうです。

知らなかったよっ!

悔しいので、むかし撮った写真を掲げます。

多摩動物公園行きの電車といえば、前面の行先表示に描かれたライオンのイラスト。
子どものころは、何が描かれているのかよく解りませんでした。
中学生くらいになって、なにかの書物で初めて知った次第。

1996年6月2日、高幡不動駅を発車したところです。
5000系最後の生き残りとして、日夜動物園線を往復していたころ。
半年後に5000系は全廃されました。
最後尾のクハ5773号車は解体。

多摩動物公園が今の場所になった背景には、地元の七生村(現、日野市の一部)の誘致もありましたが、
京王帝都電鉄(現、京王電鉄)の尽力が大きかったといいます。
土地の買収を取りまとめ、東京都に無償提供までしたのは、
沿線に日光や箱根、成田山のような観光地がないと考えていた電鉄が、それだけ期待していたのです。
その思いが方向幕のイラストに反映されていると見るのは、うがちすぎでしょうか?
ミシュラン日本版にも載った高尾山まで支線が開業するのは、開園から9年も後のことでした。

1992年6月29日、高幡不動での発車待ちです。
この駅はさいきん橋上駅舎となり、ずいぶん雰囲気の暗い駅になってしまいました。
先頭のクハ5723号車は、廃車後、電鉄の研修所に保存されているとききます。

動物園線は1964(昭和39)年4月の開業です。
当初は、多摩動物公園線と称したそうですが、いつの日からか、公園の文字が取れています。
多摩動物公園は、正式には都立多摩自然動物公園といいます。
動物園ではなく、公園と付け加えられているのがミソ。
ただ珍しい動物を展示するだけの場所ではなく、
公園を散策しながら自然の生態に近い状態で飼育されている動物を見学しよう、
そういうコンセプトが名前にも表れています。
ですから、入園者は雑木林のある丘を歩きながら巡ることになり、ちょっとしたハイキング。
また、ほとんどの動物は、檻の中ではなく運動場にいるところを見ることができます。
生態を見せようという動物園はいまでは珍しくありませんが、日本ではここが最初です。

1991年9月24日の多摩動物公園行きです。
沿線はこの支線の開業後、宅地化が進みました。
背景の公団住宅も1970年前後に造成されたものです。
いちばん右側のクハ5715号車は、いま一畑電気鉄道デハ5009号車として宍道湖のほとりを走っています。

動物園線は単線ですが、複線分の敷地が確保してあります。
開業時の日野市の広報には、八王子市柚木方面への延長も視野に、と書かれていました。
多摩ニュータウンが造成され相模原線も全通していますから、いまさら実現することはないでしょう。

上と同じく1991年9月24日、同じ編成が高幡不動へと折り返してゆきます。
車体側面に旧社紋が残っているのが判りますか?

宅地化は進みましたが、多摩動物公園駅の周囲にはまだ市街化調整区域があり、雑木林が残っています。
夕日に輝く冬木立ちほど美しいものは、そうざらにはありません。
画面右上側、屋根だけ見えるお寺は新宿から移転してきたそうですが、毎日夕方6時には鐘を撞いています。
いまも“お寺の鐘の音響く山里“といったら怒られるでしょうか。

1994年2月5日、多摩動物公園駅に進入する下り電車です。
最後尾のクハ5869号車は、一畑電気鉄道のデハ2111号車として活躍しています。
彼の地の夕暮れどきにも、お寺の鐘は鳴り響くのでしょうか。

1978(昭和53)年、八王子市東中野に中央大学が移転してきます。
それまでにも明星大学がありましたが、通学生のために平日の動物園線利用者が急増しました。
そのため編成が4輌から8輌へと増強され、動物園線は冷房付きの5000系が活躍するようになります。
編成が4輌と半減しワンマン運転が始まったのは、多摩都市モノレールが開業してからです。

画面が飛んでいますが、1990年1月6日の多摩動物公園行きです。
このころ、一時的に非冷房の5000系が動物園線専属となっていました。
先頭はクハ5705号車、いわゆる狭幅車です。

雪の降る中、帰宅するサラリーマンに混じって夜学の学生たちも降りてきます。
高幡不動からの標高差は約30メートル。
隣の駅なのに、積もりかたが違うことも珍しくありません。

1994年1月28日の撮影です。
動物園線は曲線と勾配が連続する線区です。
8輌編成が一直線になるのは、この多摩動物公園駅1番線しかありません。
ロングレールもないので、いまもジョイントを刻む列車の音を楽しむことができます。

5000系だけ、お目にかけました。
この電車がなくなってからというもの、写真を撮ろうという気にならないのです。
偏食ですかね。

緑濃くなった1996年6月2日の撮影。
今年の連休は、実家に帰りませんでした。
でも、たぶんいまごろは新緑が目に鮮やかなころだと思います。

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コメント (7)
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