肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『ジャーヘッド』、観ました。

2006-08-11 20:39:50 | 映画(さ行)

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 『ジャーヘッド』、観ました。
アメリカの青年アンソニー・スオフォードは海兵隊員に憧れ入隊するも、そこで
待っていたのは虐待とも呼べる厳しい訓練。その後、彼は斥候狙撃隊に
組み込まれ、戦場へと赴くが、そこには銃を向ける敵さえいなかった‥‥。
 まさか、あのサム・メンデスが、ありきたりでお座なりな戦争映画なんて撮る
筈ないと思っちゃいたが、案の定、これまでとは全く“視点の違う反戦映画”で
安心した(笑)。ならば、詳しく、それがどういうことなのかと説明すると、
これまでの(アメリカで作られた)反戦映画のほとんどは、壮絶な銃撃戦や
残忍な虐殺シーンをこれでもかと見せつけて、多くの人を傷付けるから…、
多くの人が死んでしまうから戦争はいけないという、“表面的な反戦”でしか
なかったと思うんだ。一方、この『ジャーヘッド』の特徴は、一切の敵の兵士は
登場せず、戦闘シーンで人が死んでいく場面もほとんどない。つまり、そういう
人間同士の“殺しっこ”に戦争の意義を問うことなく、一体これは誰のための
戦争で、何のために戦うのか??、そして、戦い終わった後に何が残るのか??‥‥、
もっとエモーショナル(感情的)で哲学的な部分にまで踏み込んで描いている。
例えば、『地獄の黙示録』のコッポラは、壮絶で行き過ぎた戦闘シーンを見せる
ことで“戦争の狂気”を描こうとしたが、結果は観る側の“隠された闘争本能”を
呼び覚ましてしまった。それは本作でも皮肉っている。また、『プライベート・
ライアン』のスピルバーグは、観客に戦闘の模擬体験をさせ、“戦争の恐怖”を
植え付けようとしたが、結果として戦闘シーンの迫力ばかりに観客の目が
行き過ぎて、その物語の内容についてはほとんど注目されなかった。ボクは同じ
理由で、キューブリックの『フルメタル・ジャケット』も、マリックの『シン・レッド・
ライン』も、凄い映画とは思っていない。つまり、この『ジャーヘッド』は、過去の
戦争映画の弱点を修正し、これまでの反戦とは明らかに一線を画した(あえて
言うならアルトマンの『M★A★S★H マッシュ』に一番近いかな)新しいタイプの
戦争映画なんだ。
 そう、それは“内なる戦争”‥‥、物語の舞台となるのは、隔離された砂漠の
戦闘地帯。容赦ない太陽の光が乾いた大地に照りつけ、僅かな水分と一緒に、
彼ら兵士たちの“人格”さえも奪い去っていく。徐々に“孤独”に蝕(むしば)まれ、
“恐怖”に追い詰められていく過程が、ジリジリ焼け付くように伝わってくる。
きっと彼らのその銃口は、遥か彼方の“見えない敵”ではなく、自身の“狂気”に
向けられていたんだろう。さらに、映画終盤、燃え盛る戦火の中から現れた
“油まみれの馬”は、我々に何を伝え、何を訴えようとしていたのか。薄汚れた
エゴと権力によって“汚されていく神聖なもの”‥‥、彼らの「良心」であったり、
「正義」であったり、「友情」であったり‥‥いや、そんなことはどうでもいい。
何故なら、この戦争は“自身の内なる部分”に存在し、それぞれに“形の違うもの”
だったんだから。彼らはあの灼熱の砂漠の向こうに、“聖なる心”を置き忘れて
しまったんだ。