エジプトのピラミッドの中に「今の若いものはなっとらん」という落書きがあるという。
若者に対する不満は、いずれの世、いずこの里も変わらぬようだ。
言葉遣いや考え方など世代格差は幾分あっても、若いからダメだ、と決めつけることはできないだろう。
身近にいる若い人達は、パソコンなど機械に明るいし、男性でも、優しい人が非常に多い。
大人は、「なっとらん」と若い芽を摘むことなく、若者に経験を伝え、若人からは情熱を学びたいもの。
互いに尊重し、高める関係が理想と思う。
しかし、目を家庭に転じて、実際はどうだろう。
核家族化は進み、地域の交流もほとんどなく、たとえ同居であっても、食事はバラバラ、対話もケータイ、
という家庭が珍しくないようである。
老後の世話になるからと通帳を渡した途端、施設に入れられたという悲しい話も聞こえてくる。
昔は親の面倒を見るのが当たり前だったのに、なんでこうなるのか、という嘆きになれば、
「今の若いものはなっとらん」はその通りと言えるだろう。
戦後経済は驚異の右肩上がり。
戦前、不自由した親達は、子供達に不自由させまいと、何でも与えた傾向があった。
金やモノなど目に見える有形の財が最高と、それだけに価値を見て与えられ、動かされ、育てられた
子供達は、それらを親が失ったとき、やがて離れていくのだろう。
それに対し、目に見えぬ無形の財がある。
頼りないようだが、身について失うことがないから、与えるほど宝は増し、子も周囲の人も身近に
集まってくる財である。
どんなに経済や社会、家族の形態が変わっても、親が子、大人が若者に遺さねばならないのは、
有形の財ではなく、無形の財産。
それは、一体何なのか・・・。
何のために生まれてきたのか、苦しくてもなぜ生きるのか。
誰もが最も知りたい解答であり、それを教えられた仏教である。
教えは目に見えぬ無形の財ではあるけれど、それを施され、人生の大事を知らされた若人は、
ご恩に奮起し、情熱を持って返さずにおれなくなるだろう。
まして優しい彼らが、生きる意味を教えてくれた親を見捨てることなど、ありはしない。
どんなに世代格差があろうとも、ここに互いに尊重し、高めあえる社会が築かれるのでなかろうか。
それも大乗相応の地と言われる日本だから、率先してできること・・・。
世界に発信する夢の社会に向かって、個々がまず、仏縁を求め、聞法を重ね身につけて、世代間が
絶えることなく、正しく伝えていきたいものである☆
若者に対する不満は、いずれの世、いずこの里も変わらぬようだ。
言葉遣いや考え方など世代格差は幾分あっても、若いからダメだ、と決めつけることはできないだろう。
身近にいる若い人達は、パソコンなど機械に明るいし、男性でも、優しい人が非常に多い。
大人は、「なっとらん」と若い芽を摘むことなく、若者に経験を伝え、若人からは情熱を学びたいもの。
互いに尊重し、高める関係が理想と思う。
しかし、目を家庭に転じて、実際はどうだろう。
核家族化は進み、地域の交流もほとんどなく、たとえ同居であっても、食事はバラバラ、対話もケータイ、
という家庭が珍しくないようである。
老後の世話になるからと通帳を渡した途端、施設に入れられたという悲しい話も聞こえてくる。
昔は親の面倒を見るのが当たり前だったのに、なんでこうなるのか、という嘆きになれば、
「今の若いものはなっとらん」はその通りと言えるだろう。
戦後経済は驚異の右肩上がり。
戦前、不自由した親達は、子供達に不自由させまいと、何でも与えた傾向があった。
金やモノなど目に見える有形の財が最高と、それだけに価値を見て与えられ、動かされ、育てられた
子供達は、それらを親が失ったとき、やがて離れていくのだろう。
それに対し、目に見えぬ無形の財がある。
頼りないようだが、身について失うことがないから、与えるほど宝は増し、子も周囲の人も身近に
集まってくる財である。
どんなに経済や社会、家族の形態が変わっても、親が子、大人が若者に遺さねばならないのは、
有形の財ではなく、無形の財産。
それは、一体何なのか・・・。
何のために生まれてきたのか、苦しくてもなぜ生きるのか。
誰もが最も知りたい解答であり、それを教えられた仏教である。
教えは目に見えぬ無形の財ではあるけれど、それを施され、人生の大事を知らされた若人は、
ご恩に奮起し、情熱を持って返さずにおれなくなるだろう。
まして優しい彼らが、生きる意味を教えてくれた親を見捨てることなど、ありはしない。
どんなに世代格差があろうとも、ここに互いに尊重し、高めあえる社会が築かれるのでなかろうか。
それも大乗相応の地と言われる日本だから、率先してできること・・・。
世界に発信する夢の社会に向かって、個々がまず、仏縁を求め、聞法を重ね身につけて、世代間が
絶えることなく、正しく伝えていきたいものである☆