★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
日々、感じたことを通してみえること。

簡単では無いこと

2024-07-16 | 最近おもうこと
悲しみや怒りは強ければ強いほど
いつまでも自分を卑下して
同じ場所に留まらせてしまう。

いつまでも留まりすぎて
自分でも理由なんて分からなくなっても
そのまま同じように留まる。

気が済むまでそうしていることもできる。
かわいそうな自分でい続けることもできる。

閉ざしてしまった心でいることが
本当の自分を現し続けられているのだろうか?
手放したふりで自分を誤魔化していないか?
卑下し続けることが快適さを作り上げていないだろうか?

悲しみに向き合うことも
悲しみを受け入れることも
怒りを手放すことも
許すことも
納得できる時まで十分に時間をかければいい。
自分の正当性を主張し続けることで
自分を保てるのならそれもいい。
もしも、いつか思いもせずに
フッと心の扉が開いたのならそれもいい。

ただ、その時の強い思いに囚われ、
心がそこに留まり続けなければ良いのだ。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アメリカで暮らせる英語力

2024-07-15 | 日記
アメリカのターゲットというお店のTVコマーシャルで
お店大好き従業員の女性が買い物客に向かって
期間限定のセールを宣伝するという設定のものがある。
けれども、彼女の訛りが強く何を言っているのか分からず
皆んな不審げな顔で「何?」と言っているところに
別の上司らしき人が来て彼女の言葉を通訳してあげるのだ。

個人的には通じない英語に何の意味が含まれているのか
さっぱり分からないけれど
この冷ややかな対応や言われる言葉や表情は
私もされたことが何度もあるのでよくわかる。
小心者の私はそれでも同じ言葉をさらに言う度胸はないのだけれど。。。

現地での生活もし、1、2年で
英語もすっかり使えるようになる人たちがいるけれど
本当に凄いと思うし、
耳がよく語学学習のセンスも良いのではないかと感じる。
さらに、打たれ強いのか周りも優しい人たちが多いのだとも思う。

年齢が上がれば出会って友達になるのも
お互いに選ぶので簡単に親しくはなれない。
なおさら、言葉も話せない人と出かけようなどとならないし
分かったのか分からないのかさえ
よく分からない人の世話もしてくれない。
相手も言語を学びたいとか利益がなければ
挨拶程度で近寄らないのが大人の行動だ。

外国人が多いカリフォルニアやニューヨークなら
まだ多少イントネーションの違う言葉や間違っている文を言っても
聞く努力や察してくれたりするのだけれども
外国人に慣れていない人たちは本当に冷たい。。。
とてもじゃないけれど一緒に行動なんて誘われない。

聞くのはできても
話せなければ大人として社交ができないわけだ。
そういった機会に多く会うと苦手意識や恐怖心もあり
私のような臆病者は話す機会がさらに減ってしまう。。。
相手の反応などを全く気にしない人が
ほとんど通じない英語を話したところで
やはり友人や仲間として誘われるようなことは見ない。
まだ、30代前半とかで同じような年代の小さな子供など
共通するものがあれば子供同士の遊びとして
お近づきになることはあるかも。。。

よく芸能人など外国に行って数年で日常会話ができると言うけれど
ちゃんとレッスンもして
実践も聞いてくれる人にしているのだと思う。

前に知り合いがほとんど英語を喋らないのに
身振り手振りと表情だけで会話していて
彼女の友人は全て理解していた。
周りも彼女は英語が喋れると思っていたけれど
実は、もちろん細かな話や本音とか
考えについては話していなかったけれど
そのように表情でコミュニケーションするタイプの人もいる。

ともかく、大人の語学学習において環境は大きく影響すると思う。
言葉もわからない大人に興味を持ち親切に教えながら
行動してくれるような人は私の知る限りいなかった。














コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

注意の時期

2024-07-14 | 日々のこと
何だが私の周りは急に病気やら怪我やら事故やら
と言ったことが起きている。

気をつけた方がいい時期らしい。
気をつけた方がいいと言っても
何か対策ができるようなことではないので
注意をしておくと言った方がいいものだ。

私の家族だけなのか分からないけれど
最近の話で嫌な感じだ。
何となく全体的に少し重い気配があるので
注意に越したことはない。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後もあると意識すること

2024-07-13 | 最近おもうこと
物事はいつが最後になるか分からないこともある。
後から、あれが最後だったんだ。。。と気づく。

最近は特にそんな風に感じて
何事もこれが最後でもいいように行おうと思う。
これは、分かってはいても直ぐ忘れてしまうことだ。

多くの人は何事もとても小さな見方、考え方をしているので
今ある状況や状態がずっと続いていくと思ってしまう。
時間も十分あるように錯覚するほど小さな存在でもある。

何もしないのもいいし
テレビを見続けるのもいい
何かを成すとか、
何かをしなければいけないわけではない。

意識を持つことを意識するだけでいい。













コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分自身で選ぶ力

2024-07-11 | 日々のこと
世の中には自分が必要なことについて多くの情報がある。

様々な分野で研究も進んでいるので
常に情報は更新され以前は良いとされていることも
今では違うものになっていることも多いので
自分の情報も変えた方がいいこともある。

ただ、私たちのように生き物に関しては
単に情報ばかりに踊らされるのは注意した方がよく
それぞれが全く同じように働くとは限らないと
素人ながら私は感じているから。。。

無闇に信じるのではなくて
自分自身で実験して体感して選択する。
時間はかかるかもしれないけれど、一番大切。

誰かがこれがいい、これが効果があると言っても
自分には合わないこと、効果がないものはある。
それなのに頭は頑固になって
何となくやりたくないと体は感じていても
「やらないと」と思い込んでしまう鈍感さが出てくる。
特に習慣でやっていると
毎日、または定期的にやらないと「いけない」ような
やらないことに罪悪感を感じたりする。

情報と体験、その上で実感があるものを選択し
無理なく取り入れながら情報も新していくことが必要だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

話好きも特技

2024-07-10 | ちょっと、ひとりごと
話すのが好きな人は人の話を聞いていない。

だから相手が言った内容も適当に自分で解釈してしまう。
または、相手が言ったことを所々しか耳に入っていないので
大事な部分もぼんやりとしか聞いていないので
また聞いてくる。
人の話の上に自分がしたい話を被せてくるほどせっかちに話す。

それはそれで、特技だと思う。

私は人の話を聞くことが好きなので
おしゃべりな人は好きだ。

世の中には素晴らしい知識、様々な体験
面白い見方をする人がいる。
地頭がいい人は話も上手い。

それでも彼らも興味を持つ人の話は少しは聞こうとするので
きっと自分はそんなに興味がある対象ではないのだろう。
そこでムッとする必要もない。
大抵の人はそうそう人から興味を持たれるような
対象にはなれないものだから。


















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謙虚な人は少ない

2024-07-08 | ちょっと、ひとりごと
自信を持つことは大事だけれど
自信過剰になるのは謙虚さを失うことにつながる。

謙虚さなんていらない。。。
謙虚でいいことなかったと思うこともあるかもしれないけれど
自信を表に出さないだけで心底にある謙虚さはどうだろう?
自分を振り返ってみると、本当に謙虚である時は
特別いいことなんて期待もしていないので気づかないけれど
何かを期待していているのに手に入らないから思った記憶がある。

他の人を見ていても、
明らかに自信満々に見えて内心が謙虚な人もいるし
とても静かでとても謙虚そうにしているのに
ちょっとした瞬間、会話の中に本心の自信過剰な部分が見える人もいる。
表面で見せることではなく本心がどうかと言うことなのだ。

自信は持っても謙虚さがなければそれ以上の伸びはない。
伸びが止まるから今度は力づくになっていく。
または他の責任であるような思考になっていく。

自信と謙虚さは同じように持つ必要があり
その中でバランスが必要だ。

いつも言うことだけれど
全てバランスをとることが大事。
気づかずに直ぐにどちらかに偏ってしまうのだけれど。。。









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分の社会

2024-07-07 | 最近おもうこと
当たり前だけれど、
人は自分がいる社会の中で比べたり
その中で常識を作っていったり評価や批評し
普通だという感覚も持つ。

さらに、その密接に関わっている
小さな社会に長くいればいるほど
そこの普通が刷り込まれていく。
そこに馴染める人しかそこにはいないので
何をとっても似たり寄ったりの人にしか出会わない。

誰もが簡単に「井の中の蛙」になっているわけだ。
それが悪いわけでもないし、
実際、その中で一生を終える人も多いのだろう。
自分が所属していられる社会があるのなら
それは安心でき、感覚も似ている人たちなのでいいことだ。

自分が所属していない社会にいる人を見ると
驚いたり、憧れたり、非難したり見下したりする。
けれども、そんなことはお互い様で
それぞれの社会の中では普通だったりするのだから。。。

様々な職種、様々なタイプの人に会うのは
固定された見方を外しさえしていれば
とても楽しく刺激もあり視野も広げてくれる。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詐欺

2024-07-06 | 日々のこと
詐欺にあってしまいました。

ショッピングサイトを利用して銀行振り込みをしてから商品が届かず問い合わせをしてもラチがあかず。。。

返金を要求すると全く同じ内容の文が届くだけで、しまいには代表者の名前を変えていました。

返金はLINEを使う方法を書いてきますが
やってはダメです。

やはり、Amazonなどの大手だと保証があるけれど無名の会社がやっているのは注意しないといけません。
小さな会社の方には悪いけど、もう大手からしか買わないと思う。

普通に色々なモノを売っているホームページです。皆さんもご注意下さい。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もっと、個として考える

2024-07-05 | ちょっと、ひとりごと
今はほとんどの国で、ほとんどの人がネットを使う。

考えてみれば、昔より現代のほうが同じ情報を見る確率は高い。
前はテレビの情報だったけれど、
それは、その番組を見ている人とそれを聞いて影響を受けた人だった。

今はいつでもどこでも、ぼんやりしていても
何となく情報を眺めていたりする。
それは、多くの人の意識を同じような方向に持っていくことが
以前より可能だということ。

私はそれがどんなことであれ違和感を感じてしまう。

たとえ、良かれと思った自分が信じる方向へと
多くの人の気持ちを向けさせようという動きも
集団の感情を故意に同じように向けさせようとするものは
どんなことであっても危険な気がする。

実際の目に見える状況や
目に見えないエネルギーとしても影響されている。

意識を故意に同じ方向に向けさせる必要はない。
尖って強い意識ではなく
私たちはもっと柔らかな意識を持っておいたらどうだろう。

負は正にもなり、正は負にもなる。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする