突然自分にトラブルが起こるとパニックになるし
内容によって、怒りや恐怖や悲しみが襲い掛かる。
以前、仕事で私自身出る杭は打たれるように
権力で一個人の夢や努力を叩き潰されたこともある。
大きな組織や力がある人の周りにおいては
縦社会の中で、誰もが見てみるふりをするし
彼らをおだてたり、たてたりゴマをすることで
自分にとっての得も計算するので変わることなく
そのゲームは続くし繰り返されることが
多いのではないかと思う。
そう言ったことがおかしいとっての思う人や
権力の縦社会が嫌な人は、そこから身を引くので
似たような人が常にその集団の中には属していることが多い。
個人の問題
集団の中での問題
もっともっと枠を広げても同じことではないか・・・
何か一つの問題が起きたとき、
つい、起きた問題自身や
それぞれの立ちばの人の気持ちばかりに目が行く。
でも、もっと落ち着いてしっかり全体をみると
問題はそこではないような気がしてきた。
個として小さな観点から見たら
とんだ犠牲を負うことになるけれど全体で見たときに、
それは大きな問題に気づき
改めなくてはならないときなのだと思う。
それなのに私たちはつい小さな見方をしてしまう。
もちろん、個人的に何か起こった時
自分が犠牲にはなりたくないし
どうして全体の中の自分だったのかは分からない。
真実なんて何も誰にも分らないけれど
ただ、なんとなく感じるのは
それぞれにそこから必要な何かがあるような気もする。
小さい問題で気づかないようなら
より大きな問題になり気づかせるように働きかけてくる。
もしかしたら、
必要なことなんて何もないのかもしれないけれど
大きな観点からみたら大きな問題には根本を見直す、
変化させる必要な何かはあるのだと思う。
でも、その問題だけをつい見がちだけれど
その問題から根の部分を見ていかなくてはいけない。
そうするには努力や学びも必要になるときもあるだろう。
もしかしたら、個人の認識したくない部分を
自分自身が認めなくてはならないかもしれない。
集団のような、しがらみの中ではそれぞれのエゴや権力を
除外しなければ何も問題を掘り起こすことはできないだろう。
根というのは個人にとっても集団にとっても
根深いものです。