自分はどれくらいのことを
自分の道徳基準で動き、考え行動しているのだろう?
どれくらいのことが周りに流されているのだろう?
そんなことを考えてみる。
本当に自分の内面から出ている感情によって
行動していることなのだろうか?
意外と考えてから行動していることの方が
多いのではないだろうか?
感情から動くときは行動も早い気がするけれど
思考からの時は間がある。
思考からの時は何かしらの計算を頭の中でする。
感情からの時はそんなものはない。
今の自分の状態のまま何か行動するのだろう。
人からの目を意識して行動すること。
社会においての目を意識して行動すること。
自分で考える良いことを意識して行動することなど。。。
そんなのもは大人になるに従ってどんどん身につけ
自分の中から湧き出る感情で動くことが減っていく。
成長する過程の中で自分の中で培われたものが
その感情を深いものにし、
より自分が持つ感情を基礎に動くなら
とてもシンプルでいられる。
思考を使いすぎていると、
感情からか思考からかさえわからなくなるだろう。
それこそ、愛なのかどうかもよく分からないような。。。
感情が深くなるということは、愛情も深くなれるだろうに
何だか軽薄なまま歳をとることもある。
愛は測れない。
自分が思う、自分が他に対して発する愛が
大きく深いのかも分からないものだ。
さらには、愛を単に執着やエゴ、甘やかしと
ごちゃ混ぜにしてしまうこともよくある。
自分に在る愛を他にも自分にも発していけば
思考より感情を使い動いていけるのかも知れない。
それが自分にとって全てがうまく回ることになるのだろう。
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