最近、人生の目的と自分の目指す仕事ととしての
目標を見つけました。
仕事は全く違うものも考えていたりしましたが
結局同じ仕事を通しての目標になったので
今までの自分を振り返ったり、
何を失敗しているか考えてみました。
この仕事の目標を持ったことで気付けたことがあります。
前に持っていた仕事の目標を見失ったきっかけは、
自分で決めた目標にコツコツ一人で努力して
やっと近づき、手が届き始めたころに
権力を持っている人達にバッサリ奪われたから。
私は単に個人の目標として努力していたので楽しくできるけれど
組織としても同じものを目指してやっていたら
お金も時間も会社が個人にかけるわけなので会社側は
自分達側が思うような結果がでなければ
気軽そうにやっている一個人など不利なようにしたくもなります。
まぁ、目障りだったようなのです。
でも、一人だからこそ努力したし自分の目標を達したかったので
どうしてそんな意地悪をするのか悔しくて
私は長い間、引きずって落ち込んだしいじけていたと思います。
そして今、また同じ仕事で目標ができやる気もでて思うのは
私が脆かったということです。
一匹狼でやっていたので、誰かに守られたり助けられる
状況ではないのに、組織で動いている人と同じステージに
立とうとしていたので大きな力が働けば
ちっぽけな力を潰すのは簡単です。
それに、まんまとハマッタ形ですね。
実力も精神も脆かったわけです。
もしも、一人で大きな組織と張り合うのなら
それなりの秀でた強い実力が必要でした。
同じレベルだったから消されるのも簡単だったわけです。
そのときは、実力があると自分で思い込んでいたので
被害者意識ばかりだったから落ち込みも強かったのだと思います。
随分前に吹っ切れたと思っていたけれど
今、本当の意味でやっと吹っ切れたのかもしれませんね。
今度は全く違った形でやっていきたいと思うので
どこかの組織に関わることもないでしょう。
結局、何かがあって落ち込んだときには
その分析が出来るようになるのは時間がかかるかも知れませんが
それを誰のせいでもない自分の弱点を発見できたのなら
またそれが強みに変わっていくのだと思います。
頭で分かったというのでは、まだ弱いのかもしれません。
それは本当には吹っ切れていないようです。
その状態では、まだ歪んだ見方や「どうせ駄目」と言うような
ひがみも気付かぬうちに含んでの思考になります。
でも、本当は誰もあなたの目標や夢を
潰すことなんて出来ないのです。
本当の意味で吹っ切れていくと
心のそこから良い感情が湧き出て
見え方も違ってくるものがあるかもしれません。
何もやっていないのに、何も結果を出していないのに
諦めるのは馬鹿げていることだし
誰かがその力に気付いたり認めるわけがありません。
きっかけがあろうと、なかろうと自分を知ることは
大きな強みとなっていきます。
回りに非がある状況にあったとしても
自分自身に対してだけの物事として捕らえたとき
そこは自分が学ぶべきものが発生していて
自分が乗り越えるべき精神もあるのかもしれません。
そのときは良くないことが起こったとしても
その原因は自分自身にもあるのです。
その状況を引き起こさせた自分にあるのです。
同じことを思っていたけれど
今はもっと、その理解が深い気がします。
不思議なもので自分は気付いた!と思ったことでも
もっともとっと深い理解が同じ理解の中にあるのです。